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普通に暮らす

今年はフリマサイトを活用した一年だった。
昨年からの体調不良でこの一年は仕事を休んだり半日しか働かない日がほとんどで、このままだと家賃が払えなくなりそうだったので、家にある色々なものを売った。
洋服、家具、雑貨、本、たくさんのものが旅立って、物で溢れていた部屋もいくらか風通しが良くなり、わたしの心も軽くなった。

今の仕事に就く前は、10年ほど会社員として働いていたのだが、忙しさとストレスがピークに達すると買いもので発散する傾向にあった気がする。

アパレルの販売員として働いていた時期は、社割が効くからという理由で、毎月何着も洋服を買っていたし、プライベートでも3万円のワンピースや5万円もするコートを試着せずに買ったり、6千円のクワズイモ(植物)を思いつきで購入し、大した世話もせず1ヶ月程で枯らしたりしていた。

当時のわたしは、その物へのときめきより、自分の気持ちを保つために買いものをしていた気がする。
もちろん当時購入したもので今も大切にしているものはあるが、大半は手に入れた瞬間にいくらか価値を失っていた。
買うという行為のために買いものをし、高価なものを買えている自分に満足し、百貨店の紙袋を片手に煌びやかな御堂筋を歩くとき、小さな優越感に浸る。
それは日々の支えだったように思う。


そんなわたしが、今はブックオフで見つけた100円の本やスーパーに並ぶ季節の果物、だいすきなパン屋さんの焼きたてのメロンパンに心躍らされている。
今思い浮かぶ幸せといえば、すみれ(愛犬)とあそぶ時間や、毎日の散歩と長風呂、就寝前のNetflix、布団の中での読書。そんなところだろうか。

そして、冒頭でも申し上げたように、決して裕福な暮らしではないし、からだの具合もまだ万全とはいえないが、なぜかあの頃のわたしより地に足がついている。
心のどこかでホッとしている自分がいる。
身の丈に合う暮らしとはこういうことを言うのだろうか。

きらきらの20代を過ぎたいま、日常が、生活が、普通に暮らすということが、やっと楽しくなってきたところだ。


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