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戯れ、ゴト。

※ネタバレ注意!
 これは私がシンプルイズベストにroute©️さんの舞台初めて生で見たら激タイプだったよって話です。記憶違い解釈違い等許してください…ただの感想文なので文めちゃくちゃです。たぶん。敬称略です!


 簡潔に言ってしまうと(そんなことは無粋な気がするけど)この作品は選ばれなかった人たちの話なんだなあと思った。話は人魚姫になりたい少女(喜多よつ葉)と友達の黒(大屋沙季)の二人の高校生(中学生だったかも…?台本買います…)を中心にそれを取り囲む細波(小泉日向)、人魚(まひたん)、夜光虫(鹿角東子)の5人のキャストで繰り広げられる。『少女』はどこか夢の中を泳いでいるような人で、大人になりたくないとしきりに言う。対照的に『黒』は大人びた女の子である。
 まず私が感じたのは『黒』は『少女』に選ばれた人だ、ということだ。『少女』は普通コンプレックスな私には特別な女の子に見えた。人魚姫を夢見て死に一直線に向かう少女。あまくってかわいいものだけをみたいと願い、そしてそれが外見とピッタリ合う特別な女の子。そして、『黒』はその少女に一人だけ選ばれた放課後の逢瀬の相手だ。大人になろうと足掻いている、平気な顔をしているフリをしたこども。のちにそのアンバランスさが起こした出来事も明らかになる。この二人は学校を飛び出してラブホテルに遊びに(この表現も微妙かな…)行く。このふたりだけの世界が私にはすごく眩しかった。それと同時に高校生の頃の私は選ばれたかったし、特別な女の子になりたかったなあと言うのを思い出した。特別な女の子というのはなにも王子様が来て…ということではなくて。誰かに選ばれたかった。他の人から見たら選ばれてるのかもしれないけれど、退屈な田舎から連れ出してくれる特別な人に選ばれたかった。そして同時にその願望はいつの間にか消えてたことにも気づいた。成人したから?上京して都会に来てひとり暮らししたから?アルバイトを初めてして現実を見たから?どれが原因がわからなかったけど、そういえばいつの間にか思わなくなったな。選ばれた『黒』をみて自分の奥底に沈めた羨望に気づいた。私はこれをいつの間にやら封印してたらしい。これがおとなになることならやだな、と思ったけど『少女』と違って大人になることを選んでしまった私はこうなるしかなかったのかもしれない。
 もう一つ、『少女』の死後の『黒』について。『少女』が死ぬのを見送ったあとの『黒』は彼女の死を納得(理解?)していたはずなのに、警察に電話する。ぐちゃぐちゃの頭で大人に助けを求める。もちろん彼女は助からなくて、でもその後学校に行ったら自分を無視していた子たちが大変だったねとすりよってきて、彼女も戸惑いながらそれに慣れていってしまう。私はあまり身近な人の死を経験したことがなく、特に自殺は一度もない。だからあまり知ったかぶったようなことが書けないんだけど、これがリアルなんだろうなと感じた。人の死は最初はショックだけど、人の脳の作用とか諸々で段々と時間の経過で日常に溶けていってしまうものなんだろうな。そういう意味ではこの作品は忘れることを肯定してくれているのかもしれない。あと、『黒』が必死に『少女』の自殺を止めようとするシーン。自分の物差しで人の不幸を測ってはいけないというような台詞。(ニュアンスのみです)これには深く共感した。小さい頃は人が死のうとしたら話を聞いてあげようとか、緊急ダイアルに電話をすすめようとか聞いたけど、今はそんなことはできない。助けてと差し伸べられている手は握れるけど、無理矢理手を掴んで引き上げることはできない。この選択は現代的だなと思う。救われる自由も救われない自由も死ぬ自由も助けてもらう自由もすべて尊ぶべき選択でそこに大小はないのだ。
 ふたりの周りを彩る夜光虫、細波、人魚も魅力的だった。彼女たちは黒のレースがふんだんに使われた衣装を身にまといながら動いていて、彼女たちがいることで舞台の緩急がつく感じがした。緊張感だったり、動揺の中の静けさだったり。あと、効果音(?)を彼女たちがやっていることが多くて、緊迫するような呼吸音だったりチャイムだったり。それがなんだか見ているこっちも追い詰められるような感じを受けた。ライトも懐中電灯で表現されていたんだけど、あとからあれは燈台の灯りだったのかな(たぶん回転してたはず)と思ったり。でも、照明音響をすべて舞台上の人の力でしているわけではなくて。それもまたよかったなあ。
 舞台が白黒でほぼ作られていてそれがまた照明がはえてよかった。私は特に冒頭とおわり(だったはず…)についていたピンクのライトが可愛くて毒々しくてすきだった。裏方の専門的知識ほしい…まだまだ見逃しているところがある気がする…
 ついったでも書いたし、多分ここの文章でもさっき書いたんですけど、人ががんばってがんばって大人になろうとして生きていこうとして閉じ込めたものをもう一度掘り起こされるような舞台でした。嫌いだったなあ高校。あのころの私を肯定してくれてありがとうっていう舞台でした。

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