乾杯!根岸|#1 リク[13年ぶりに会ったおふざけ後輩]
ついに#1のはじまり。
初回くらいは気合いを入れて書きたい!ので
ノンアルコールどころか、ハイカフェイン状態です。
某オシャ緑看板フラペチーノバックスに来ました。
#1になってもらった決め手
13年ぶりに会うことになったリク
リクは、私の高校時代の部活の後輩でした。
私が3年生の時の、1年生なので、
当時からしたら相当お姉さんに見えるはずだし、
ちょっとは憧れの存在になるはずなのに、(笑)
なぜか、一緒に低レベルなノリでふざけ散らした仲間でした。
※例えば…を書いたけど、くだらなすぎて消した。
全く敬語も使わないし、めっちゃ突っ込んでくるし、完全にナメてかかってきた奴!
そんなリクが、先日私が投稿したFacebookにコメントをくれました。
この時は、卒業して一度も会ってない13年ぶりのリクが
どこで何をしているのかは知らなかった。
このコメントの後に、メッセージが来て
私の悪ノリを後悔したよね。
「25歳の時難病になって、言語障害もある」
そ、そうだったんだ!!!!知らなかった!!!!
まじか、配慮足りなくてごめん!っていう気持ちと、
でも、あのリクのままでしょ?という複雑な気持ち。
彼も心配しないようにか、事前に情報をくれた。
「でも、しゃべるのは全然OK」
「左足に麻痺あるから長距離は無理」
「その日の体調によってドタキャンするかも」
そう言ってくれて、ありがとう。
一応、私もどんな病気か知ったうえで会いたくて、
前日夜に病名を聞いた。
「ミトコンドリア病だよ。」
会う前日に聞くあたりが、ギリギリ族の真骨頂。
看護師・保健師実習も、テスト勉強も、社会人の今も。
直前で情報を集め始める性分は変わりません。
いや、そんなことはどうでもよくて。
8年間保健分野で働いたけど、
ミトコンドリア病、、、
聞いたことがない名前でした。
仕方ない、難病対応は保健所の仕事だよ、うん。
って思うようにした。
夜な夜なネットで調べて、
ミトコンドリアの機能低下だから、
全身の細胞の中でどの臓器で起きるかによって
症状とか障害の程度はよりけり。
5000人に1人の病気。
私のように知らない人も多い病気なのでは。
そうだ、#1にしよう。
ただ話聞くだけじゃもったいない。
あちこちに大切なテーマ散らばってそうじゃん。
このリクの人一倍、いや、人百倍
経験値の高い大切な数奇な人生を
#1にしたいって思いました。
ということで、日曜の昼下がり。
久しぶりのリク!乾杯!
全然変わらないリクちゃん!
ネギシは安心しました。
言葉が出なくて喋りにくそうなことは少しあったけど、
ほとんど言語障害があったことを感じられないほどで
2時間くらいずっと喋っていた。
そろそろ「前置き長げぇよ」が聞こえてきそうなので
では、ここからリクの話を。
リクの人生
大学院ラストイヤーの11月に発症
工業系の超理系大学から、大学院に進学。
残り4か月で卒業、就職先も決まっていたし、
卒論で忙しくしていたころ。
他大学で自分の研究を発表した帰りJRでリクに異変。
自分ではわからないけど、意識消失。
たまたま、知人の医師がいたことで
近くの大きい病院に搬送された。
気づいたのは、約半年後。
なんと意識を取り戻したのは、6か月経った頃。
記憶喪失。
自分の名前がわからない。
言葉が出てこない。
初めは、隣に寝ているオジサン・オバサンが
「自分の両親」だってことがわからない。
何があったか、何が何だかわからない。
なんだか色んな検査が自分の知らないうちに済んだ。
言葉(日本語)と記憶の障害
不思議なことに、近くまで学習していた英語と数学は
日本語よりは障害されていなかった。
初めは自分の名前も書けなかった。
当時流行ってた「うんこドリル」をひたすらやった。
言葉は今も勉強中で、カタカナが苦手。漢字も勉強中。
だから、話したいことを考えるとき、日本語か英語かわからなくなる。
記憶は、遠い記憶ほど残っていないのかな。
断片的なエピソードはたまに残っていた。
謎に、私が勉強できなかったことを覚えておった。
リ「アナタ、数学できなかったよね(嘲笑)」
ネ「いや、数学どころかほとんどできなかったよ…」
リ「アナタが数学の先生と面談し終わった後に、
俺にジュースおごってくれたよ。」
なにその変な記憶、、、私、覚えてないけど。
一番しんどかったのは、自宅療養期間
退院して自宅療養になった1年間。
その時期が一番つらかったーって。
ずっと、カーテン閉めて鬱々と過ごした期間。
「しんどかった」と、過去形にしているけど、
今も病状が悪化したり、足が痛んだりすると、辛い。
薬が合わず、連休とかで主治医に会えないと、地獄。
そういうのに連動して、心も沈む。
考えることは、
「大学院、卒業したかったな」
「なんで自分がこの病気になったんだろう」って。
「こんな悲しいことってある!?」
りくの発した言葉で一番残っている。
自分の苦労して書いた論文(微分積分ばっかり)が
今になっては分からない。
友達が仲間の写真を送ってくれるけど、
誰かわからない。
好きだった運転ができない。
いやぁ、その言葉に尽きるよね。
「ほんと、悲しすぎる…。」しか言えなかった。
「人の10倍疲れやすい身体」ゆえに、
仕事や家事も制限されてしまうのは仕方ない。
やる気と疲れと病気の波が合わないと難しい生活。
私なら、もう疲れちゃうから、
頑張れらんない〜〜〜
って、甘ったれまくるかも。
りくは、再びの勉強も、リハビリも、
仕事も自己研鑽も前に進んでいる。
そして、それは色んなことがあった家族への
優しさのようにも感じたよ。
あれ、リクの本質は変わってなくない?
そういえば、覚えてないかもしれないけど、
高校の時も、私のこと「アナタ」って呼んでたわ。
ほら、今日も
「アナタが看護師じゃなくてよかった、絶対やばそう」とか
「おれ、まさかアナタの運転で死ぬとかないよね?笑」とか
ちょいちょいバカにしてくれてるよね!?笑
記憶がなくても、中身は変わらないんだな~。
って笑った。
そして、後から話してて気づいたけど、
リクは昔も今もおしゃべり好きで、人好きで
いつも誰かにちょっかいかけて
それがリクの心にとって、大事なことなのでは。
身体が病気で不具合起きても、
今までの記憶が失われても、
リクの本質は変わってないよ。
これからの生き方
ちゃんと繋がる出会いがある
いま、建設会社で週に数日働いている。
そこの会社につながったのがまたオモシロイ。
なんと社長さんと、入院中のシャワー室で出会った。
さすがリクだよ。
通院や体調に配慮した勤務も理解ある。
それ以上に、りくの得意な英会話を続けられるように
毎日のオンライン英会話を補助してくれる。
そして、会社の中で、
英会話講師して紹介されている!
やりたいことを実現させてもらえる素敵な会社じゃん!
いい人、いい場所に出会ったよ~。
もっと色んな人と話したり、出かけたり!
きっとりくは、沢山のつながりの中で
やっていく方が元気になれるんじゃない?!
と、提案してみた。
「そうなんだけど、でも、やっぱ疲れてしまう」
そっかぁ、難しいな。
りくは今、仕事のほかに、
この経験を生かした事にも挑戦してる。
・講演活動
・家庭教師
・塾ボランティア
「仕事はパートだし、講演とかはボランティアだし」
だから、、玉の輿に乗りたい! とか言ってたな。
私が高校生で捨てた夢を拾ってきたんか(笑)
本当に「玉の輿乗せてくれる人、募集中」らしい。
※記事作るなら、ちゃんと宣伝するという条件
そして本当のやつは、
体力つけて仕事して、稼いで
地元を離れて一人暮らしをしたい。
今の会社のように病気に理解があって、
安心して続けられる会社って
もしくは、家族以外も見守れる社会って
地元離れてもあるかなぁ…?という現状。
もっと難病や障害に対する理解が
自分ごとのように広まる社会になるといい。
私も含めて!
リクしかできない
経験と得意を生かせる活動ができるように
心の底から応援しているよ!
それに、これだけ生きるチャンスが多くて
いろんな運や縁を味方につけて
大きな波に飲まれながらも、
ちゃんと今、自分を見失ってない。
大丈夫だ!!
(根拠ないけど、声に出すこと大事)
私も元気もらいました。
最後に
この記事を作り、リクにも見てもらいました。
(相当疲れたと思う)
記事に関しては、概ねご納得いただけたよう。
ただ、共通の繋がりが多いSNSでの発信に
少し抵抗を感じていました。
それは親に対する配慮だったり、
「大変だったね」という言葉でも
知らない人(本人にとって)から言われても…
そういった負の反響が不安でもあり悩みました。
驚いた人も多いと思いますが、
配慮ある応援が一番優しいのかな。
でも、それ以上に
この難病が認知されていくことや
こうして頑張ってる少年の生き様で
一人でも心がぐっとくるなら…
という思いを込めて投稿することに。
「おれもネギシもwin-winな活動になれば
わずかかもだけど地域が活性化するよ。」
と言ってくれました。
どうもありがとう。
4,241文字。作成3日間トータル7時間くらい。
長くなりました。
読んでくれてありがとうございます。
エピソード1から、えらいこっちゃ!
終
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