ものを捨てること、満ちてゆくもの。
夫が、元カノからもらったぬいぐるみを捨てた。
捨てるように仕向けた、が正しいのだけど、かつて付き合いたてだった彼の部屋にはピンクのイルカが無造作に転がっていた。
たたみのThe昭和なワンルームでそれは異彩を放っており、これなに?と聞くと、前に付き合ってた彼女がデートでプレゼントしてくれたと言う。
あっそう。
いやさ、思い出は大切に取っておいたらいいと思うけど、いやさ、そこら辺に転がしとくのはどういう心境?なんなん?
遊びに行くたび、床でひっくり返ったままの蛍光ピンクのイルカは大きな口を開け、満面の笑みでこちらを見てくる。
その顔腹立つわー。こっち見てんじゃねぇよ。
むんずと頭を掴んで反対側へ向けた。
夫の家には不思議な物がたくさんあった。
数年前引っ越したときのダンボールが壁の隙間に刺さっており、それで作ったであろう傾いたお手製CDラック。
アリさんマークを丸めて支柱にして、マイクスタンドと合体させたハンガーラック。
掃除が嫌いであちこちほこりが振り積もっている。
米をたくのが面倒だと、パックのご飯を買って金欠だと嘆く。
バンドマンとは付き合うなとよく聞くけど、想像の斜め上を行っていて、正直どう関わっていいか分からなかった。
なんか、すごいんだけど。当時一緒に住んでいた友人に話すと、「これすごくいいよ!」と1冊の本を渡された。
" 人生がときめく片づけの魔法 "
こんまりが降臨した瞬間だった。
「断捨離しよう、断捨離」
あまり乗り気ではなさそうな彼を半ば強引に誘い、ときめくかときめかないかの仕分け大会が始まった。
押し入れのものを全て引っ張り出し、あれはどう?これはどう?うーんいらないかな。
最初は「ときめき」にピンと来てなさそうだった掃除嫌いの手もだんだんノってきて、軽くハイのゾーンに入り次々物を掘り出していく。
「このぬいぐるみはどう?」
さりげなく、しかし圧をかけながらピンクいヤツの顔をずいと差し出した。
今カノがどう思うか全く気が付かない茶色の目は、しばらく悩んだあと
「ときめかない。」
と言った。
プリクラを見つけてしまった気まずさもあったかもしれない。
さっきまでイラついていた気持ちが急に萎んでいき、水族館からやってきたであろうその笑顔が、少し切なくエモかった。
今まで、ありがとう。
ゴミ袋に入れられていく姿に勝手にしんみりする。
顔を上げると、ときめかないゾーンが雪崩を起こしていた。
本、服、CD、小物、毛玉取り。
「そんなに捨てて大丈夫なの…?」
最初はヤクザ映画の下っ端みたいな柄シャツが仕分けられてて心の中で喜んでいたのだけど、心配になるほど、あ、タオルは取っておこうか。
終わってみると、部屋の中が引越しの退去前のように空っぽになっていた。
「今はいてるズボンしか、もうズボンがない」
いや、そんなことある?
そんなにときめかないものに囲まれて暮らしてたの?とおののいた。
本人が一番「俺の人生って…」と驚いていた。
ときめかないものを両手に持って、二人でリサイクルショップまで歩いた。
これからまた、気に入ったものを集めていこう。
話しながら換金したCDたちは結構な額になっていた。
「余計なもの買うなよ!借金返せよ!」
気づいたら口から出ていた。
時が経ち、一緒に暮らす部屋を床ぶきしていた。
夫が藤井風の「満ちていく」をかける。
明けていく空も 暮れていく空も
僕らは越えていく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を離す 軽くなる 満ちていく
棚の奥にしまってある、キャラクターもののミニバッグを思い出した。
昔付き合っていた彼からもらい、好きで集めていたキャラだったから、なにかに使えるかもと取っておいたやつ。
人のこと言えない、何となく捨てられなかったやつ。
あの頃がどうとかこうとか、浸りたい訳ではない。
ただ自分を想って買って来てくれたという事実は、使わなくてもどこかで私を勇気づけてくれていた。
ベッドの下のホコリを拭いていた夫が「新しいデスクが欲しい」と言った。
「今のは(仮)感があるんだよね」
「出た、(仮)」
夫は自分のことをよく(仮)の人生と言っていた。
バイトしたり、やりたいことがすぐ変わったり、分からなかったりすることをそう表現する。
「来月買うから、それまでは今のを使うよ。なくなったら困る」
大人じゃん。
今ならわかる。
ときめきは大切だけど、そうじゃなくなったもの達が確かに人生を支えてきてくれたこと。
好きなものが分からなくたって、そのときどき一生懸命で、いらないものは、ひとつもなかったこと。
ミニバッグを手に取り、しばらく眺めてから、リサイクルショップ行きの箱に入れた。
バッグは、次へ旅立ちます!という顔をしていた。
来月は、夫の新しいデスクを一緒に買いに行く。
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