何気ないdisと愛のことば
「徳島、自然はきれいだけどなんもない」
と半笑いで言ってきた。
ゆめタウンくらいしか行くとこないからさ〜って言いながら、でもホームなんで、何を言っても受け止めてくれると思ってるこの感じ。
それってdisだよと友達に言われてハッとした。
やっちまってるー!!と思った。
昔からやさしい子と言われてきた半生。
やさしい世界で生きたいと思い、やさしい言葉を使おうと意識してきたつもりだったけど。
これまでを思い返してみた。
「このお腹酷くない?おしりがつくれるよ」
腹肉を集めてみせる、自虐芸。
「全然、役に立たないじゃん」
不要になった道具への悪態。
相手の気持ちを察するのが苦手という夫には、あなたは心優しく思いやりのある人と言いつつ、腹が立つと
「なんで気づかないんだよ(想像力ねぇな!)」
そこにいた私は、とても口が悪かった。
なんもないとか想像力ないとか役立たずとか、自分が人から言われたら、ぶっ飛ばすと思う。
自らやっといてなんだけど、本当はおしりを作って笑われるのも、普通に嫌だった。
ごめん。全部ごめんなさい。
いつも標的になっている夫に謝ると、
「いいんだよ。ちゅき(好き)だから」
そういう事じゃない。
この人は放っておいたら何でも許可してくるぞ。
脳内で警告音がリンリン鳴った。
私の内側で、めっちゃ飛び交ってるもの。
気づいてるものもあれば、気づいてないものも。
何気ないdis。
disが何気ないってやばくない?
あ、と思ったことがある。
「やさしい」と言われるたび、そんなことないと思って、いやあって返してた。
それはきっと、無意識に自分が様々なものをdisっていたからだ。
特に自分で自分のことを、disっていたからだ。
「みんなはすごいけど私はダメだなぁ」
「二の腕がふくらはぎみたいだなぁ」
「無駄な時間過ごしてるなぁ」
直接的な死ね!とかじゃなくても、ポロッと出る言葉たちが自分を殴り続けている。
ヘラヘラしながら、落ち込んで、やる気を削いでいく。
夫と出会ってからは、その言動をツマミに、disツッコミを繰り広げていた。
「ゲリゲリゲリオだ」
トイレに駆け込む彼はこっぴどく、グローブをつけた私に殴られていた。
茶化さなければやってられない、心の守り方があったと思う。
以前はdisで笑い飛ばすその芸風が私を生かしていた。
でもそのやり方は、自分のパワーを奪い、失敗したら何を言われるんだろうと死ぬほど怖くなっていく。
手放そうと、心から思った。
私は徳島の山が好きだ。
素敵なコーヒー屋さんでアイスクリームを食べたし、落ち込んだ時にはドライブに救われた。阿波踊りもかっこいい。
もう全ての美しさにNGフィルターをかける、そんな力の使い方で今世を過ごしたくない。
本当にやさしい世界で生きていきたい。
言葉の使い方、一年生のつもりで始めてみよう。
夫婦漫才ならどうやったって私はツッコミだから、愛で華麗にボケを拾うのだ。
これからは、あいのことばを放つのだ。とここに記す。
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