内村鑑三と上州
内村鑑三に「上州人」という漢詩がある。
上州人は無智で才能も無く、気性は強いが無口で人にだまされやすく
でも正直な心で人に接し、誠をもって神に尽くして最終的に勝利を期す
みたいな意味だと思うのだが、私も学生時代から好んできたものである。
群馬県の「上毛かるた」にも「心の灯台 内村鑑三」と詠まれるくらい、群馬県民にとって内村の名前は親しいものでもある。
なお、高崎には碑が建っているという。
http://www.takasakiweb.jp/takasakigaku/jinbutsu/article/08.php
若松英輔氏『内村鑑三 悲しみの使徒』(岩波新書)を読んでいて色々発見があったのだが、この本の冒頭も内村の「上州人の自覚」に関する記述から始まる。
そこで紹介されている、内村の「過去の夏」(1898・8月)なる文章がより気になった。内村が群馬で過ごした時間はそんなに多くなく、13歳くらいの頃にいた記憶から「過去の夏」という一文に群馬の思いを込めたようである。
内村はそこで、高崎を流れる利根川水系の烏川、碓氷川にいた川魚に魅せられている。
読書を放棄して魚ばかり取りに出かけるので父親には割と怒られたらしいのだが、しかしそこでの自然観察は、彼にかなり大きな印象を残したようだ。
そう思って、「過去の夏」の上州部分を読むと、地元批判が結構苛烈でおどろく。
1898年夏ということは第1次大隈内閣なので、「節を売る肥人」は大隈だろうか。自分は群馬の人と土地は忘れるかもしれないけれど、魚は忘れません!っていうのはなかなかに凄いと思うのだが、本気なんだろう。
彼は札幌農学校を出た後水産の仕事に従事するが、魚は本当に好きだったのかもしれない。その好みをはぐくんだ理由が群馬=海なし県「なのに」なのか、あるいは海なし県「であるがゆえに」なのかは、いまちょっとわかりかねる。