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『夢見る帝国図書館』読書会に向けて

本を1回読んで理解したいと思うことは、もしかしたら傲慢なことなのだ。たった1回会って話してその人のことをわかった気になるのがそうであるように。

忙しくしているから、全てのものについて、何度もというわけにいかないというのは、そうだろう。だから最初の1回は、これからも縁が続きそうか、自分にとって大事なことを言っているからまた読み返す必要があるのか、その雰囲気を確認するために読む。そのための時間はあまりかけすぎないほうが良い場合もあると思う。

たとえばまだ自分のレベルがその本に追いついていないかもしれないとき。少し遠回りをして経験値を稼いでから挑んだ方がよい対面になることがある。

中島京子さんの『夢見る帝国図書館』。初見のときは、各パートに挟まれた帝国図書館の歴史に関する小説の考証のほうばっかりに気が向いてしまい、肝心の物語の全体を上手くとらえられなかった。それでもさわやかなラストに感動はしたんだけど。

「図書館を愛した」喜和子さんと、「図書館が愛した」人々の物語
上野公園のベンチで偶然、出会った喜和子さんは、
作家のわたしに「図書館が主人公の小説」を書いてほしいと持ち掛けてきた。
ふたりの穏やかな交流が始まり、
やがて喜和子さんは
終戦直後の幼かった日々を上野で過ごした記憶が語るのだが……。
日本で初めての国立図書館の物語と、戦後を生きた女性の物語が
共鳴しながら紡がれる、紫式部文学賞受賞作。
出版社サイトによる紹介文より

文庫化されて、もう一回落ち着いて読み直して、登場人物の意外に複雑な生い立ちや、思い出話が重層的に展開されていて時系列に直すと見え方が変わってくるプロットに驚きながら、もうちょっとこの本のことを知れた気がした。

それで、せっかくなので図書館史の勉強をしている仲間とこの本の話をしてみたいと思って読書会を計画した。

読書会としては、久しぶりである。自由論題の発表が続いていて、課題図書を読んできて話し合うっていうのは、6年近くやってないんじゃなかろうか。わたしと喜和子さんが疎遠になって合わなくなった期間よりずっと間があいてるじゃない(笑)

口火を切る役は自分がするしかないと思うのだが、後半ではそれぞれ参加者の人の感想を聞いてみたい、と思っている。それは2度目に読み終えた後で、この本の主役は、なんだかんだいってもやっぱり「図書館」じゃなくて、「図書館を愛し(てき)た人たち」だろう。という思いが強くなったからでもある。

とりあえず当日までに資料を頑張って作る。


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