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宮谷県庁跡(千葉県大網白里市)

大網駅から徒歩で2、30分くらいか。旧宮谷県が置かれた日蓮宗の本国寺前に立つ。

1868年、政体書が出され、旧幕府の直轄地に知県事が置かれた。

宮谷県庁跡

『千葉県の百年』によると、慶応4年7月、安房上総知県事に任命されたのは久留米藩士の柴山文平(典)。徳川家達と駿河移封にともない諸藩が大規模な転封をする状況下での着任であった。

戊辰戦争のさなかである。会津藩降伏後、鎮守府が廃止となると、柴山は「賊徒モ漸ク掃除シ」たことを認めて民政に着手。

柴山の陣は慶応4年の7月、最初市原にあった。そのあと長南宿に移るが、長南宿は浜松藩が移ってくることになっていたので、柴山が各地を物色して、最終的に山辺郡大網村宮谷の日蓮宗本国寺を借りて着陣。明治4年までここで政務を取ったという。(『千葉県の百年』p.31)

明治2年2月、安房上総知県事直轄地はそのまま宮谷県となり、柴山も同県知事となった。その範囲は安房上総、下総国匝瑳、海上・香取郡、常陸国河内・信太・行方・鹿島郡までひろがっていた。

柴山は明治4年の廃藩置県の直後、県内の内紛(宮谷騒動)で罷免され、後任には柴原和が任命されている。

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