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“理不尽”こそが我が人生か?

こんにちは。社会のサンドバッグと申します。
何故こんな名前なのか。その通りだからです。
社会といえば大袈裟すぎるかもしれませんが、体感的にはそのように感じているのでお許しいただければ幸いです。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。

最初ということで早速私について軽く自己紹介させていただきたいと思います。頭が悪い故に文章もおかしいと思います、申し訳ありません。

私は近しい存在なはずの人間からは暴力や暴言などの虐待行為を受けました。他人と比べられ、“勝てなかった”時は目の前で食事を投げられ床に落ちたものを食べろと言われたり、食事自体与えられないなどまさに拷問を受けました。サンドバッグの如く蹴られることもありました。その時お前を蹴るとストレス発散になって気持ちがいいと言われたことが記憶に強く残っています。

その他にも私は近しい存在な人たちの都合で各地を転々とすることがあったのですが、“余所者”ということでいつまでも後ろ指を指されたり、体に物をぶつけられたり、毎日のように死ねと言われることがありました。
他にも刃物を向けられた経験や人間としての尊厳を傷つけられるような被害にも遭いました。

でも、今となっては過去の話です。
いつまでも記憶の中に置いていても何にもなりません。社会でも前向きな人間が求められていると思います。
私は許すとか許さないとか、そういうのはどうでもいいです。
ただ、私は普通に生活がしたいだけなのです。
みなさんもきっとそうでしょう。

しかし私には生来のなめられやすさというものがあるのか、他人に続いて列に並んでいても割り込まれやすかったり、図書館で読書をしているとそんな本を読んで…これだから馬鹿は。と怒鳴られたり、理不尽な目に遭うことが多いです。

結局、自分でも何を言いたいのか分からなくなってきたのでそろそろ終わりにしようと思いますが、もはや理不尽こそが私の人生なんだと思うようになりました。理不尽の心地よさに酔いしれそうにもなります。

最後に
私のような目に遭うことが多い、多かった方々。
あなたは一人じゃありません。
赤の他人にこんなこと言われても気持ち悪いかもしれません、ごめんなさい。
でも、あなたは偉いです。
どんなに理不尽な目に遭っても強く生きている。
どうか、“理不尽”のせいで自分を責めないでください。

本当はもう理不尽な目に遭わせてきた人間たちもまとめて地球丸ごと包み込みたい気分ですが、感情が邪魔をしてそうもいきませんね。
人間の醜さというものでしょうか。
きっと私だけでしょうけどね。
私は自分に甘い人間なので。

まとまりがなく滅茶苦茶な文章だと思いますが、読んでくださった方がいらっしゃったら本当にありがとうございます。

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