見出し画像

ド・ゴールが本当にサッカー少年だったのか調査してみた


1.救国の英雄はサッカーがお好き?


 飛行機でフランスのパリへ行くときに降り立つ空港には、一人のフランス人の名前がついている。パリ=シャルル・ド・ゴール空港のことだ。フランスにはありとあらゆるところでシャルル・ド・ゴールの名を見かける。街路、大通り、広場、ロータリー、などなど。

 シャルル・ド・ゴール。後で詳しく説明するが、20世紀フランスの危機を2度救った「救国の英雄」である。成し遂げたこと、やり方に賛否はあるも、その大きな存在感は誰もが認めるところだ。

 日本語版のWikipediaで彼の記事を読むと、以下の記述が見つかる。

ド・ゴールはフットボールと文学が好きな少年であり、16歳の時には「悪しき出会い」と題された戯曲(1930年にドイツ軍がフランスを侵略するという、いわば仮想戦記)がコンクールで一等に入賞した。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シャルル・ド・ゴールより

ここでいう「フットボール」はサッカーのことだ。サッカー好き兼歴史好きの血が騒ぐような一文である。ところが日本語版よりも内容が詳しい英語版やフランス語版にサッカーに関する記述は見当たらない。日本語版についても出典が明記されていないので、ド・ゴールが明確にサッカー少年だったか真偽が分からないのだ。

 僕は以前「東郷平八郎がイギリスのニューカッスルでサッカー観戦をした」という内容がWikipediaに書かれていたことを発見し、真偽を調査したことがある。今回の「ド・ゴールはサッカー少年だった」説も同じく調査してみることにした。

 そもそもド・ゴールとは何者か。彼はフランスの軍人であり何事もなければ優秀な軍人としてキャリアをまっとうしたはずだった。転機となったのは第二次世界大戦(WW2)である。ナチスドイツのフランス侵攻でパリが陥落し、ドイツとの和平派によるヴィシー政権が樹立された。ド・ゴールはその動きにあらがうように亡命先のイギリスで自由フランスを結成しドイツへの抵抗活動を指揮した。アメリカやイギリスなどの連合国とともにパリを解放した彼はフランス中の英雄となった。WW2後は2回国家元首(政府主席、大統領)を務めている。現在のフランスの大統領制は、彼が元首のときに成立した第五共和制に基づくものだ。

 彼は2度フランスを救っている。ひとつはWW2での抵抗活動、もう一つはアルジェリア独立運動に伴う戦争危機への対応だ。特にアルジェリアに関しては「ド・ゴールしかいない」と請われて引退状態から復帰し解決まで導いている。その手腕や思想に賛否はあるが、まさに救国の英雄である。

2.謎を解く鍵はイエズス会にあり


 では「救国の英雄」ド・ゴールは本当にサッカー少年だったのだろうか。日本語で読める彼の評伝で最も詳しいジュリアン・ジャクソン『シャルル・ドゴール伝』にはサッカーの記述が見当たらなかった。ニュース雑誌『Marianne』によると「若い頃サッカーの大ファンだった」そうだ。もっと証拠がほしい。

 ニュース雑誌『Le Nouvel Obs』によると、そもそも彼は歴代大統領の中でも最もスポーツへの意欲がない人物だそうだ。彼がスポーツに触れるのは国家のために必要なときだけ。もっとも若き日の彼が運動をしなかったわけではない。ただそれも軍事的な目的をもつ身体訓練であってスポーツではなかった。厳格なカトリックの家系で育ったことも影響している。当時のフランスのカトリック界は、アングロサクソン系の現代スポーツ(テニスやサッカーなど)への不信感があったとされる。

 しかし彼とサッカーを結び付けたのもまたカトリックだった。19歳で士官学校に入学する前、彼はベルギーのイエズス会系の中等学校や宗教修養会で学んでいた。16~18歳のころである。イエズス会はカトリックの男子修道会だ。創設メンバーには日本史でおなじみのフランシスコ・ザビエルがいる。

 そこでド・ゴールはボールを蹴っていたというのだ。実はフランスのカトリック界は不信感があったというものの、カトリック自体はサッカーを暴力的でないとみなしており、むしろ若い少年を教会などに引き寄せることに利用できると考えていた。学び場のカリキュラムとしてサッカーを行われていたのである。

 では肝心のサッカーの腕前はいかほどだったか。当時の同級生であるラプートル神父が「優れたキック技術を持っており、フリーキックを任されるほどのプレイヤー」と貴重な証言を残している。193cmの身長から繰り出されるシュート。なんだか破壊力がありそうだ。

 十代後半にサッカーを楽しんだド・ゴール。しかし軍人のキャリアを歩もうとする彼がサッカーに親しむことはなかった。あくまで彼にとってサッカーは学び舎のカリキュラムに過ぎなかったのだ。

3.ボールボーイはド・ゴール大統領


 時は流れて1967年、優れたキックを持つ少年だったド・ゴールは大統領になっていた。76歳である。この年のクープ・ドゥ・フランス(フランス・カップ)の決勝は、ソショーvsオリンピック・リヨンで争われた。彼は大統領席で見守っている。試合中、リヨンの選手がクリアしたボールが大統領席に飛び込んできた。ボールをキャッチしたのはド・ゴールだ。彼は即座に立ち上がりボールをピッチに投げ返す。臨時のボールボーイとして役目を果たした大統領に観客は大喝采だ。

 彼の名前がついたスタジアムが世界には存在する。その名もスタッド・シャルル・ド・ゴール。西アフリカのベナンのポルトノボにあるスタジアムだ。ベナンは元々フランスの植民地だった。今もドラゴンズ・ドゥ・ウエメが本拠地として使用している。なぜド・ゴールの名前が付けられたかは分からなかった。

 ド・ゴールには確かにサッカー少年の日々が存在していた。だからといってサッカーに親しみを持っていたわけではなさそうだ。しかしあのときクリアボールが自分の元に飛んできたとき、彼はこう思ったかもしれない。自分ならもっと上手く蹴れた、と。

4.参考資料


◎Euro 2016 : de De Gaulle à Hollande, quand nos présidents kiffent le foot(Marianne)
 ド・ゴールに限らず歴代フランス大統領(オランドまで)とサッカーとの関わりが書かれている。ボールを投げ返したシーンの動画も見れる。

◎Les présidents et le sport : qui imagine De Gaulle en short ?(Le Nouvel Obs)
 ド・ゴールとスポーツの関わりが書いてある。この資料がなければ、イエズス会の影響でサッカーに触れていたことは分からなかった。

◎ジュリアン・ジャクソン『シャルル・ドゴール伝』
 分厚すぎてめまいがしそうになる評伝。しかも上下巻。日本で最もド・ゴールを学べる本。

◎佐藤賢一『シャルル・ドゥ・ゴール 自覚ある独裁』
 ある程度詳しいのに読みやすくて面白い評伝。これでド・ゴールは一通り学べる。さすがは直木賞作家の筆力だ。

本の購入費に使わせていただきます。読書で得た知識や気づきをまたnoteに還元していきます!サポートよろしくお願いいたします。