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僕はコンサドーレサポーターに「なった」ことがない
1.多分その気持ちは一生分からない
2024年はコンサドーレサポーターにとって大きく気持ちが負の方向に揺らいだ年として記憶されるだろう。成績不振による降格危機、選手や監督の姿勢、クラブの対応……応援する気持ちは変わらないけども、心は呪詛のような思いを叫びたがっている。そんなサポも少なくないだろう。中には訓練されたサポもいる。幾多の危機や降格を経験してきた傷だらけの猛者たちだ。その人たちは誰に言われずともとっくに覚悟を決め、その上で精一杯応援しているような気がする。
僕が本当に今しんどいだろうなあと思う人は「コンサに素晴らしいところを見つけ応援し始め、そのイメージを持ち続けてきたコンササポ」だ。特に2017~18年以降にサポになった人に少なくない気がする。これは新しく応援し始めたからどうだという話ではない。2017年以降のコンサには従来よりも素晴らしい点が多すぎただけの話だ。サポになる動機は様々である。でもコンサに美徳を見つけて好きになった人が、その美徳が崩れていく様を眺めるとき、きっと心は苦しくて仕方ないだろう。今年は特にその現象が生じやすくなっている。
「サポになったとき」と「今」のクラブのギャップに苦しむ。それは多くの人がどこかで経験することだろう。僕も理解できる。理屈上では。でも心の奥底から自信をもって本当に理解できると言えることは一生ないんだろうなとも思っている。なぜなら僕はコンササポに「なった」ことがないからだ。
2.コンサの前にまずサッカーがある
僕にはコンササポに「なった」実感がない。高校国語の教科書で『「である」ことと「する」こと』という評論を読んだことがある。そこからとるなら僕はコンササポ「である」実感しかないのだ。
父親は、十代のころから大のサッカー好きだった。高校時代はサッカー雑誌を読んでジョージ・ベストのソックスの履き方を真似し、東京に住んでいたときは室蘭大谷が決勝に行った1979年の高校サッカー選手権を国立競技場まで見に行ってた。身内が言うのもなんだが筋金入りだ。
Jリーグと同じ1993年に誕生した僕は父親の影響を受けて、4歳のころにはサッカーを見たり『Number』をながめたりしていた。記憶に残る一番古いサッカーの記憶は、1997年フランスW杯アジア最終予選の日韓戦での山口素弘(現・名古屋グランパスGM)のループシュートだ。翌年の1998年、僕は初めて厚別陸上競技場に足を踏み入れてコンサを応援する。ここまでで分かるように僕の記憶は、ほぼ初めからサッカーとコンサドーレで塗りつくされている。サッカーに触れてなかった記憶がほとんどない。幼児が何かを好きになるとき、その本当の動機をあぶりだすのは難しい。だから僕には「なった」実感がないのだ。
整理すると僕はコンサの前にサッカーにどっぷり漬かっていた。コンササポの中では、始まりはサッカーが先かコンサが先かで結構分かれるのではないだろうか。コンサに興味があるんであって、サッカー自体に興味はない。そういう人もいるはずだ。僕はまずサッカーに興味がある。その延長線にコンサがいる。
その意味では僕はコンサよりもサッカーの人かもしれない。あり得ないし比較の仕方がおかしな仮定の話だが、もし地球からサッカーかコンサのどちらかを消滅させてどちらかを残さないといけないとする。僕は迷うことなくサッカーを選ぶ。僕の愛とはその程度のものなのだ。
3.心を震わせる不思議のタネ
ずっとサッカーが大好きだった。だから色々なサッカーを見てきた。国内も国外もだ。マウリツィオ・サッリが世に出てきたときは衝撃だった。「サッカーってこんな面白いスポーツだったんだ!!」とサッカー好きになって15年目ぐらいにして改めて感じさせてくれた。ひょんなことからトルコのアダナ・デミルスポルのサポになり、サッカー文化の多様さをこれまた改めて知った。
ピッチ上でのサッカーという点で、コンサのサッカーが僕の好みだったことは一度もない。ミシャのサッカーもそうだ。これは就任当初からずっと変わらない。大体「いい攻撃はいい守備から」がモットーのイタリアサッカーの世界が大好きな自分の好みと、ミシャのサッカーが合う訳ない。でもそれでいいのだ。仮にサッリが来たからといってコンサで僕好みのサッカーが見れる保障はない。成功するかも分からない。コンサには僕の好みに合わなくても、クラブに合って結果を出せるサッカーをやってほしい。
でも僕はコンサを応援し続けている。改めて考えると不思議なことである。
どうしてコンサが勝ったとき、他のチームが勝ったり面白いサッカーをしたときには感じない喜びに満ちあふれるのだろう。
どうしてコンサが負けたとき、他のチームが負けても感じない絶望が身も心もひたすのだろう。
どうして「We are Sapporo」の声援を聞くと、胸が震えるのだろう。アウェイで聞くと、無性に泣きたくなってしまうのだろう。
サポになったきっかけも、コンサを応援し続けようと思ったターニングポイントも僕には一つも思いつかない。サポとしての思い出を書くなら普通はそういうエピソードがサビになるのに。色んな経験をした。華やかな昇格も、みじめな降格も、石にかじりついた残留もした。ルヴァンカップでは決勝まで進んだ。でもコンササポとしての経験は大きく目立つことばかりが大事なのではない。日常のささいな経験も含めた積み上げが僕をコンササポであるための強固な土台になっている。
Jサポは熱心すぎるあまり、自分にも他者にも行動を求めすぎるときがあると感じる。だから行動ができないと「自分はサポなのか」と悩む人もでてくる。サポーターのベースは「好きであること」。これ一本だろう。別に試合に行かなくても行動してなくても「好き」がベースにあれば自分はサポーター。試合結果を見てちょっとでも一喜一憂できれば充分。他の行動はあくまで+α。その考えが軸にあるから、今まで僕はコンササポでい続けているのかもしれない。
幼いころ父親からよく聞かされてたのは「ヨーロッパや南米では、強かろうが弱かろうが地元の人は地元のサッカークラブを応援している。それが地元の誇りなんだ」という話だ。父親は別に海外でサッカーを見てきたわけではないし、今考えると必ずしもそうとは限らない。だが、幼い僕には「応援するのに強いも弱いもない」と「地元の誇り」というニュアンスは胸に刻まされた。そして父親は後にこうも話している。「まさか自分が地元のサッカークラブを応援できる日がくるとは想像もしなかった」と。まさに先日の石水創・石屋製菓社長の声明のようだ。
私がコンサドーレを応援する理由は、「北海道で一番最初にうまれたプロスポーツチームであり、おらがまちの誇りだからです」。
(https://www.consadole-sapporo.jp/news/2024/07/10514/)
僕も「サッカーが大好き」と「サッカークラブが地元の誇り」という2つの思いを確かに持っている。その2つこそ僕がコンササポ「である」最大の動機なのだ。
4.「J1にいるべきクラブ」だと証明しよう
思うに僕は自信があるのだと思う。コンサを好きでい続ける自信である。サポとしてのベースが揺るぎがないからだ。そしてそれは「なる」という実感・記憶がないことの裏返しだ。僕の記憶にはコンササポにならなかった・なっていない自分が存在しないのだから。サポ「であること」が生きていれば意識せずとも行う歯磨きのような営みなのだ。
コンササポとして20数年、僕は楽しいことばかり経験している。そりゃ負けるのは悔しいし、降格するのは悲しい。優勝だってしたことない。でも僕が今交友関係を結んでいる人たちはコンササポかどうか問わず、元をたどれば僕が「コンササポ」というラベルを付けていたから出会えた人たちがほとんどだ。また、僕が物事を考えるときのベースはサッカー、特にコンサドーレだ。これも元をたどればコンササポでいたからこそ様々なことに関心を持ち、考えることができた。なんてったって大好きなサッカーも楽しめる。そんな楽しい思いを過去も現在もでき、未来もできるならコンササポであり続けるしかないだろう。
僕にはずっと思っていたことがある。僕も含む古くからのコンササポの多くはエレベータークラブだと言われようが、J2に何年もいようが、内心こう思っていたのではないだろうか。「自分たちはJ1にいるべきクラブだ」と。よそから見たら小馬鹿にされるだろうし、何の根拠もない。でもどこか心の片隅にはそういう気持ちがあったはずだ。
J2は色んな地方に行けるし、サポーターもあたたかい。だから楽しい。楽しいのは事実だ。僕も楽しんだ。でも「J2を楽しむ喜び」を心の底から味わえただろうか。勝っても「こんなサッカーで昇格してもJ1で戦えるのか……」と思い、負けたら当然「J1に上がれない……」と思う。勝っても負けてもしんどい世界。それがエレベータークラブだったコンサにとってのJ2ではなかったか。
「J1にいるべきクラブだ」なんて、今のコンササポが言うのはよそからすれば傲慢きわまりないだろう。そして傲慢はおごりと結びつけられ悪い方向に働くと思われがちだ。でもその傲慢さは良い意味のプライドにもなる。「いるべきクラブ」だからこそ、それを今度こそ証明したいからこそ、どんな手段を使ってでも石にかじりついてでも残留する。そうやって勝ち取ったのが2017シーズンのJ1 11位だったはずだ。
正直なところ、前向きになれる材料が多いわけではない。でも心の中では念仏のように石水社長の言葉を唱えていきたい。そして何があろうとコンササポであり続けることには変わらないと僕は改めて確認するのである。
リーグ戦残り16試合、私はJ1残留を諦める気なんてサラサラありません。
(https://www.consadole-sapporo.jp/news/2024/07/10514)
※この記事は、Nanaseさん企画の『#私がコンサドーレを応援する理由』に乗っかる形で書きました。企画ありがとうございます。
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