Encourage#2 「感情」
◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。
赤黒い灰色の雲の集まりが北の空に広がり、さっきまであった真っ白い雲を飲み込んで何か心のやり場のない憤りを示すかのようだった。
楽しい事、辛い事その繰り返しの中の人生で、どれだけの人々が自分の横を通り過ぎたのだろう。
彼らはきっと自分に熱い期待をよせずにはいられないのだろうと考えられる。
それは光る物を人々が感じたからこそ人々の願いを自分に置き換える。
いつもそのプレッシャーを裏切るまいと頑張るもいつの間にかその歯車が狂い、噛み合わず人々の怒りを買ってしまう。
人々のつき合いが長くなると多かれ少なかれそういう問題に直面する。
そういった問題を常に頭に置いて行動することができていたが次第に心が蝕まれて気づいた時には症状が出てボロボロになっていた。
いつしか人々の怒りを買うことに脅え始めていた。
相手の言いなりになっていた時期もあった。
怒りが恐くて離れるのができなかったり、間違っている時に言えなかったり・・・
そしてそれを乗り越えて自分の意見や主張を通すと人々は距離を置いた。
今思えば期待が大き過ぎて、それに応えるような中身が自分に備わっていなかったように思えている。
もっと良く自分を変えてゆこう、もっと自分を良く見せていこう、そう思えば思うほど、つらい気持ちになり次第に疲弊していく。
それらが引き金となって症状に表れる。
そして音も立てずに感情がハジけてコントロールすることが不能となる。
テンションが上がったり下がったりして精神が崩壊する。
その後、魂を抜かれたようになり何も手につかない。
そんな浅はかな考えで純粋に良く見せようと足掻いたが、逆に疲れてしまいそれどころではなくなった。
こういったシンプルで欲深い事につまずく。
ようは何事も考え尽くしそういった時間を持つというか心の余裕がなくても、それが当たり前でその競走をやらざる得ない。
みんな一通り、通る道である。
だが、その成長の途中で一度リタイアしなくてはいけなかった。
非常に心引き裂かれる思いだった。
こうして行き場のない辛いだけの挫折を味わった。
何もかも中途半端で貫き通すだけの意地も我慢もなかった。
どっちつかずであったのは感情に左右されすぎていたのだろう。
恐がったり、怒ったり、そして悲しんだりすることを恐れてしまう。
それらを受け入れて成長の糧とする事をほとんどの人々はやっている。
自分はそうした当たり前の事を避けて逃げていた。
その成長の糧はそれだけではない。涙したり、喜び笑いあったりもする。
そうした経験、人としての歩むべき道も放棄してしまった。
自分の横を通り過ぎていった人々はその事を分かち合いたかった、離れたくはなかった、守りたかったと今さらながら感じる。
諦めるのはまだ早いのかもしれない。これからが勝負どころなのだろう。
待っていては時間が無駄に過ぎていく。愛されていたのは痛いほど感じていた。
それは人々によって生かされていたという証。
素直に感謝したいと思う事の方が強い。
まだそれを伝えていない。伝えなくてはいけない。
「自分はもう大丈夫だ」と知ってもらいたい。
彼らは僕の妄想の中で生き続けてる。
時に話し相手になったり、慰めてもらったり、笑い合ったりとまるで学生時代に戻ったような感覚がある。
そして症状の為に犠牲になった時間を埋めていく。
もう遅いのはわかっていた。
だからこそ、これから先なのである。
あの赤黒い灰色の雲はどこかへ過ぎ去っていた。
怒り憎しみ憤りはいつの間にかコントロールできるようになり不思議と冷静に落ち着きを取り戻していた。
嵐のような青い時代だった。
そして長く続いた冬の時代。
それらの経験が自身の原動力となり、やっと解放されるのである。
それから地道に仕事や家事を憶えて、やっと少し成長する。
受け身にならず自分から一歩踏み出す。
永らく忘れていた良き時代の感覚をもう一度思い出そう。もう怖がる事はない。
目の前に広がる光景は澄みきっていた。 了
【今回の執筆担当者】
コズミ/40代男性。統合失調症。若くして発症し、入退院を繰り返しながらもエッセイやお笑いなど発表。趣味は宇宙を勉強すること。