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kunihito_miki
なぜ私は、ここでこんな話をしているのか
さて、酷暑の八月も、どうやら今日で終わりである。寄る年波で「光陰矢の如し」の感が年々歳々強まっているところではあるが、いちおう今生の時間が残っているうちは、自分にできることはやっておきたい。
科挙に関しては、在野の才を吸収して世襲の弊害を一定程度制限できるということに加えて、統治に関わる者たちの規範を一定程度統一できるというメリットも、なんだかんだいって大きかったのではないかと思う。もちろん、どちらも「一定程度」ではあったとしても🐱
— ニー仏 (@neetbuddhist) August 30, 2022
いまの私たちは、「自分」に立身出世の余地がなければ不平等だと感じるようになっているのでわかりにくくなってはいるが、皇帝が統治するような国で三代前には何をやっていたのかわからないような者が宰相になったりすることがちょいちょいあるというのは、それはそれでけっこうスゴいんだよな🐣
— ニー仏 (@neetbuddhist) August 30, 2022
で、在野から人を引き上げるとなると、その者には既存のエリート(士大夫)層の規範をあらかじめ身につけておいてもらわないと、統治の混乱を招くので困るわけです。当時の社会の限界の中で、広い意味での「法的安定性」を保ちつつ、新しい血も多少は入れようとするとあんな制度になる、という話かと🐈
— ニー仏 (@neetbuddhist) August 30, 2022
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