シェア
というわけで、5月となりました。なかなか時間がとれず 2か月のお休みをいただいてしまいま…
そもそも日本では、(主に玄人筋が)「哲学」の範囲をむやみに限定してしまいがちなところは…
前回のエントリの続きである。そこでも予告したとおり、今回は「日本において(世間一般の人…
前回のエントリでは、「世間一般の人々が考える哲学を、そのまま自分でもやってみる」ための…
哲学についてのエントリを長々と書いておいてからいうのもアレなのだが、このところ私は狭義…
「明治時代の日本を形成し支えた優れた人物たちは、基本的に江戸期の(もしくは、その影響を色…
昨日のエントリでは、哲学的・抽象的な思考を訓練する意義について述べたけれども、それでもやはり、「そんなことがなぜ必要なのかわからない」と感じられた方々もいるであろう。そこで、今回はこの点について、もう少し説明を補ってみたい。実際のところ、哲学的・抽象的な思考の欠如というのは、私がいつも述べている「現実教」(≠事実に立脚した理性的な態度)の問題点そのものでもある。
とある禅者の方が、「自分は説明をかなりするタイプというか、むしろ相手が『もうわかった』…
『論語』の泰伯篇に見える、「民は之を由らしむ可し、之を知らしむ可からず」という有名な孔子…