笑い方をググった
近所に川がある。
オナホールが捨ててある。
俺の目は、大体そこの川くらい濁っている。
俺は笑うとき、口角は上がってもその目の奥の濁りを澄ますことができない。
なので人からうっすら恐れられている。
人嫌いな俺だって仲間が欲しい。
蹴りを入れられるとも知らず中国人に近づく、あの鹿のような純粋な目が欲しい。
笑い方をググった。
最もらしいことが最もらしい外国人のフリー画像と合わせて書いてある。
それを鏡の前で試してみた。初対面の俺たちは挨拶を交わした。
1時間後に上映される映画のチケットを買い、彼女が食べたいと言う近くのベトナム料理屋に入る。
小さなテーブル越しに向かい合う。
彼女は無言に耐え兼ね、自身の趣向を示したり、彼女なりのユーモアを交えた話をした。
彼女は俺の表情を、説教を受けている思春期の男子高校生に例えた。
俺がいっそう他人に興味を持てなくなったことを知るための有意義な1時間であった。
ところで川の清掃活動の目的を知っているだろうか。
ゴミを失くし川を綺麗にすること?
もちろんそれもあるが、その夜には既にクソガキの溜まり場になっているだろう。真意は川のゴミ問題の現状を知ることにある。
自分の手でゴミを拾いその状況に悶々とすることには、それなりの意味がある。
俺の目も澄むことはない。
ただその気づきによって、コミュニケーションを分解して抽象したり、それをまた組み立てて訳分からんくしたりすることはできる。
うーん、もんもん。