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父のフィクション

父は後にホラ吹きとなる。

わたしの出生の理由、それは「夫婦仲がもう一度良好」になるために、意図的に作られた命なのである。
すでに4つ上の姉はいたけれど。

祖父母と同居の6LDK木造2階建て。
町内で初めて電子レンジを買った。
台所には赤富士の油絵が飾ってあり、流行りのダイニングテーブルで食事をした。
母と祖母は絵に描いたような不仲で、洗濯物の干し方を巡り日々バトルをする。祖父は芸術を愛する自由人、禿げ頭にベレー帽を被ってたばこをふかし、問題からはいつも逃げている。ソフトクリームが大好きで、きちんとハンカチを持ち歩く乙女座のA型だ。登場人物にするにはこれといった重要なエピソードのない祖父だが、「不幸な星の下に生まれちゃったな。もうしょうがないよ」と、時々わたしに軽く言った。祖父の「しょうがないよ」は、今ではわたしにとって、お守りみたいな言葉になっている。だって、しょうがない事だらけが人生なのだから。

4人兄弟の長男で、世間体どおり両親と住む父は、真面目なサラリーマンで熱血漢で短気、亭主関白に加えて潔癖症。一方母は、気が強く大雑把でマイペース。支配したがる父とは折り合いが悪く、形ばかりな見合い結婚の典型的な失敗例で、喧嘩が多く冷めた夫婦だ。母はキャリアウーマンで、おもちゃ屋さんの正社員をしていた。わたしを出産してわりとすぐに職場復帰をしたものだから、わたしは首が座る前から祖母に育てられることになり、夜帰ってくるあの人がお母さんだと気がつくのは、もっとずっと先のことになった。祖母の横じゃないと眠れないわたしを、母は淋しく思っただろうか。

わたしは、どちらかと言えば母似の性格で、特に何の取り柄もなくマイペースを貫いていた。外で遊ぶのを嫌い家の中で人形を抱っこし、毎日絵を描いた。
父は、祈りのような気持ちで作った救世主のはずだったわたしに、毎日イライラしていた。
夫婦仲も一向に良くならないし、神童でもなく、体は弱く内気ですぐに泣く。スポーツマンの男の子が誕生して一緒にキャッチボールをしたかった父。悲しいかな勝手に期待していた父の理想の未来はやってこなかったのである。わたしはあまりにも正反対だった。

そんな父と母は、せっかく生まれたわたしに世の中の素晴らしさを囁いてくれたりすることもなく、それからまもなくして離婚をした。
わたしは3歳。姉は母に引き取られて行く。
金輪際、父チームと母チームは会わせないと勝手な約束を交わし合った切ない離婚だ。
家族の一員だった母と姉が居る最後の夜は、家族全員でご飯を食べ、あんなに仲が悪かった祖母と母は抱き合って泣いていた。今でも思う、あれは不思議な光景だった。その夜父は、母が姉と2人暮らしを始めるために契約した、古い小さなアパートまで車で送ることになっていた。最後のドライブだ。出発前に車の窓を開けてもらい、わたしは母にさようならを言ったような気がする。
真っ赤に目を腫らした父はまるでうさぎで、どうして皆んなが泣いているのかわたしは分からなかった。大きなうさぎは、母と姉を乗せ不安な夜の暗闇に向かってゆっくりとアクセルを踏んだ。

その時父は恋をしていた。

新しい恋人は離婚後すぐにわたしの母となった。ある日、「今日からお母さんだから『お母さん』と呼びなさい」父と祖母にそう促された。その新しい母は、実の母の兄の妻だった人で見覚えはあったのだけれど、まさかお母さんと呼ぶ日がくるなんて。父の身近すぎる恋は実ったが、一体どれだけの人が傷ついたのだろう?想像しただけで食欲が無くなりそうである。
少し知ってる新しい母は、カサブランカのように麗しい容姿を持ち親戚中で評判だった。連れ子の女の子がいて、わたしの新しい姉になった。栗みたいなヘアスタイルのぽっちゃりした、つぶらで悲しい目をした意地悪な姉。容姿は母に全く似ていなかった。後々それが彼女のコンプレックスになっていくとは、まだ誰も気がついていなかっただろう。不思議なことに何の因果か実の姉と同い年で、名前も同じだったのだ。手品のように中身だけ入れ替わった姉は、ニコリともしないまま惰性で家族の一員となる。

父は、生まれて初めて本当の熱い恋をしたのだと思う。
新しい母のために祖父母を捨て、2LDK 201号室の社宅へ引っ越しをし、今までしたことも無い家事をするようになり、母の言うことを何でもきいた。
母のためにサラダを作り、風呂を沸かし、洗濯を干し、金魚に餌をやり、真っ赤なサテンのブラウスなどをプレゼントした。連れ子にも、わたしにも興味はなかった。母と同じ空気を吸える毎日がとても幸せだっただろうし、綺麗な顔を見るだけで仕事の疲れも吹っ飛んだに違いない。そして、母を会社の同僚に自慢した。いつからか、嫉妬深い母のためにわたしを視界から排除することも覚えてしまった。
わたしはその頃、夜になると吐いてしまうという妙な癖があり、自分でもいやになったのを覚えている。眠っていても吐くのだから枕がよく汚れて、いつも怒られた。

美しい母は、わたしだけにとても冷酷だったけれど、なす術はなかった。父は母を女神かなんかだと思っていたので、わたし自身に困ったことがあっても父は全く役にたたず、そのうち家の中でわたしは孤立していった。
心はいつも痛みを抱えるようになった。それなのに、悲しい時泣きながら母の顔を盗み見たとしても、やはり美しさは変わらずで、わたしはげんなりした。歪んでいるのに。ぐちゃぐちゃの人なのに。父にとっては価値のある女。わたしにとっては価値のない女。たとえ母の冷えた心に釘を打ったとしても、薔薇の涙をハラリと流すことは分かっている。みんなそれを素敵で大切なものと思うだろう。お金と一緒で惑わされていくのだ。わたしはそれが怖かった。みんなが壊れて行く様が。

そんな父と母と姉とわたしの可愛くない奇妙で複雑な関係は13年間続いた。

それまでの間に、母は2度本気の恋をして、父は2度母に失恋をした。男が失恋をすると厄介なもので、腹を空かせたヒグマのように暴れた。地団駄踏んだところで心は戻ってこないのに。防空壕に身を潜めるように、わたしと姉はヒグマに見つからないように息を殺して小さくなっていた。怖いと言うより、迷惑だった。

母は母で情熱的だったし、子供たちに自分の恋愛を隠す様子もなかったから、目の前で恋人とキスをしたり、ある日は母のスカートの中に、男がにやにやしながら手をすべらせて行ったりもした。テレビから流れる夜のヒットスタジオでは、ジュリーがパラシュートを背負いながら煙に包まれ歌っている。東京はどんなところなんだろう?下品なカップルに部屋の出口を塞がれ、行き場を失ったわたしはテレビの中のジュリーに没頭した。その頃の母からは、「恋愛ってこういうこと」という安っぽい授業を受けさせられていたかのようでもある。わたしにとっては、まるでぬるくて薄いカルピスを永遠に飲まされているような不気味な日々を過ごした。姉はいつも無反応を決め込んでいた。慣れているのかもしれないけれど、わたしにとってはそれもまた不気味だったのである。ラジカセのボリュームを上げることしか思いつかない姉もまた、ぬるくて薄いカルピスを飲んでいたのだろうか。せめて、2人で乾杯すれば良かったのに。

父が仕事に出かけると、何処かで見張っていたかのように恋人はマメに家にやって来た。通りすがりの人が見たら、わたしたちは家族の様だったかもしれない。

母が恋人と駆け落ちした時には、わたしは父に隠れてわくわくしていた。まだ未定の次の展開にどんなドラマが待っているのだろう?だけどもう、うちには帰ってこないでねと固く思った。そういえば、その時姉はどういう気持ちだったのだろうか。食パンにバターと砂糖をたっぷり塗ったものをよく食べていた姉は、母の駆け落ち中もそうしていた。一度だけ泣いているところを見かけたけれど、テレビドラマのせいだったかもしれない。
わたしは姉のことも好きじゃなかったから、背中をさすらなかった。今思えばさすってあげれば良かったと思ったりもするけれど。
3日後、お金が尽きたという理由で母はあっけなく逃避行から帰ってきたのだ。そこまでするならそのまま愛を貫いた方がドラマチックだったのに。

大失恋を味わった父の怒りは収まらず、ある暖かい平日、何かの儀式のように母のクローゼットの前に正座をして、華美で高そうな洋服たちを引っ張り出し、無言で切り刻んでいた。良く切れる大きなハサミが、リズミカルに青いワンピースにトドメを刺した時、部屋中に金木犀の香りに似た、母の香水の匂いが充満して、わたしは久しぶりに吐きそうになった。その日はとにかく、無事に明日が来れば良いなと思いながら必死に祈っていた。だって、父はもう父じゃなく、狂ったバカな男だったから。

4LDK2階建て。ついに父自慢の新築が完成した。外壁はフェイクのレンガ模様で駐車場は2台。異様に風呂が広くて寒い。
曲がった階段は夜中に軋む音がする。
何度か引っ越しをしたが、この家で父は2度目の離婚を決意する事となった。母がまた恋をしたからだ。

新築を建てた新天地で母はスナックを経営していた。その店に出入りする出稼ぎの中年と母は恋仲になった。頼りなく、丸くて小さい背中の男。秋田には妻と子供が2人つつましく暮らしているのだ。やはり父が会社に行くと、すぐに男は家のインターホンを鳴らして入ってきて、いつも父が座る場所に座り母と鍋などつついていた。
父は何故勘づいたのだろう?まあ、学習してきたのもあったのかもしれない。
それとも、神のお導き?父にとっては神も悪魔だったに違いない。

その頃はもう、父も母も疲れ果ててボロボロになっていた。

冷酷だった母はわたしに何も告げずに、ある日いなくなっていた。

不倫がばれて父に殴られ、あちこち骨折し入院していたはずで。父に促され一度ヤクルトを持ってお見舞いに行かされたことがある。わたしも母も病室のテレビから流れる漫才をクスリともせずに見ていた。父は駐車場にいた。一緒に病室に入ってくればよかったのに。殴るなら解放してあげればいいのに。ヤクルト持たせるなら離婚届を持たせてくれても良かったのに。退院したことも、わたしは知らなかった。

母が家を出た時、お年玉をコツコツ貯めたわたしの貯金通帳まで持って行かれたけれど、なぜだかすぐに許してあげようと思った。新しい恋人と住むアパートには、まだ何も家具が揃っていないからだ。別に、あげても良かった。もう帰ってこない事を約束してくれるのなら。姉もあっけなく、いつのまにかいなくなっていた。

わたしは、長い病気が終わった時のような気分がして深いため息がひとつ、出ただけだった。

その一方で父は、悲しみしかない毎日を送っていた。母への未練が酷く、毎晩母と恋人が住むアパートを見に出かけていた。明かりがついた小さな窓を途方もなく眺めては、夢遊病者のような足取りで家に戻ってきた。なぜわたしが知っているのかと言うと、時々付き合わされたからだ。父の精神がおかしくなっているということに気づいていたから、「散歩にいこう」と誘われたら断れなかったのだ。優しさではない。憐れみが強い。わたしはいつかそんな父と縁を切りたかった。わたしはわたしで疲れていた。
そんなわたしが散歩に同行した時は、2人して小さな窓から溢れる明かりを何十分もボーっと見ていた。上を見上げると、もっとずっと綺麗な月があったというのに。「もう帰ろう」わたしがそう言うと父は頼りなく頷いた。
もしかしたら、父もいなくなるかもしれないと覚悟はしたけれど、父は頑張って生きたのだろう。散歩からはちゃんと帰ってきたし、消えることはなかった。

あれから、わたし達はそれぞれがいくつもの日々を重ねた。それぞれに良い事も悪い事も満遍なく起きたし、人生はただただ毎日稼働して過ぎて行く。

今、父の隣にいる人は、わたしの3番目の母だ。カサブランカとは違う、マイペースとも違う、たんぽぽのように牧歌的で優しく、献身的な女性である。父はまた亭主関白に戻った。その3度目の結婚をきっかけに、父の性格は180度変わって愉快で饒舌になったのだが、途中のドラマチックな旅のことを一言も話さなくなり、登場人物すらやがて脳裏から抹消した。自分に都合が良いように記憶を塗り替えてしまったのだ。わたしだけが覚えているあの父はもうどこにもいない。昔話ができる家族はわたしにはもういなくなったのだ。
それから、実の姉のことも父の中にはもういない。と、思う。センチメンタルと薄情が同居している。
思い出すのが怖いのかもしれないけど、面倒なのかもしれない。

父が新しく創造した過去は全て大袈裟な美談となり、そこに本当のわたしは何処にもいなく、全てを葬られてしまったのだ。あの毎晩散歩をしている時、父はわたしの前から消えることはなかったけれど、わたしの事を消すことでバランスを取ったに違いない。悲しくはないが、やはりいつでも憐れみを感じさせるのが父である。

父はそうしてホラ吹きになった。
過去を面白おかしく書き換えて幸せになった。これまでの煩悩だらけの生き様を、まるで誰かのある日の他愛もない悪夢と位置付けた。そうして何もなかったかのようにフィクションの過去を人に語る。それは悲しいような前向きなような、気持ち悪いマーブル模様をしているけれど、父の生き方として尊重したいとも思う。いや、ようやく思えるようになってきたのかもしれない。
だって、父に背負えるわけがないから。

サザエさんちみたいな平屋の4LDK。
小さな庭には母が育てた野菜と沢山の種類の花が揺れている。蜜蜂は2匹。
物干しの白いシーツが風に揺れて、時々隣の赤い屋根が見え隠れする。空気のよく通る部屋と近所の子供たちが遊ぶ声。父が子供たちにアイスクリームを配っている。
頑なにガラケーを所持し、居間にあるファックス付きの電話機の前には「知らない番号は出ないこと!」と手書きのメモが貼ってある。母が毎日磨いている、埃ひとつない廊下を父がパンツ一丁で歩き「暑い暑い!シャワーでも浴びようかな」と言って脱衣所の引き戸を勢い良く閉めた。2秒後にまたガラガラっと忙しなく開いた隙間から、皺くちゃの顔だけ出してにっこり笑ってわたしにこう言った。
「コーヒーでも飲んでいき」

シャワーの音がザッと聞こえて、久しぶりに膨らんだわたしの何かが、夕焼けみたいなオレンジ色の居間に向かって、亡霊のようにスーッと消えていなくなった。母のスリッパがキッチンでリズミカルにパタパタと響き出す。わたしにコーヒーを淹れるために。

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