no.93:いい人は「どうでもいい人」
「あの人、いい人だよね」
私の墓碑銘には
「いい人、ここに眠る」
になるかもしれない
世間一般の私への評価
夫にすら
つい最近言われてしまいました。
「ママの調和型の性格にどれだけ多くの人が助けられていることか」
(まず夫には言いたい「私はあなたのママ(母)じゃない」)
それは置いといて
下記は
わたしの”いい人”は「どうでもいい人」の事例報告です
事例①
「ねこすさんって話引き出すの上手ですよね、ついついプライベートを
ベラベラとしゃべってしまう」と、元夫の悪口をたっぷり語る同僚に言われたことがあります。引き出してはいません、聞いているだけです。
事例②
お子さんがエリートで、さらに彼氏さんもエリートで、二人揃ってアメリカ出張に行くという子ども自慢をしょっちゅう私に聞かせる年上の同僚女性、ご満悦のご様子で「ねこすさんは私の隣に座ってくれているだけで精神安定剤なの」と言われました。薬は与えていません、聞いているだけです。
事例③
壊れたラジオのようにずっと自分の生い立ちや名門校に進学した話など、毎日喋りっぱなしのかなり年上の男性同僚から「ねこすさんが教祖様になったら僕は信者になるな~」と言われたことがあります。喋り過ぎた照れ隠しに私を教祖に仕立てるには無理があります。
私は特別なアクションをしていません。
話を聞き
相槌をうち
「それはすごいですね」
「さすがですね」
という相手を褒める返答のみ。
それらの返答は
相手を気分よく饒舌にさせる
マジックワードなのですね。
話を聞くだけの私のポジションを
彼らは「いい人!」に格上げしちゃうんです。
けど、特にこのような方々から話し相手以上の地位を私は頂いた事はございません。ようは"どうでもいい存在"なのです。
私は会話型ロボットみたいな存在です。
こういった人たちは
私を褒めても
私を知ろうとしません。
"いい人"とは「どうでもいい人」。
老若男女
なぜ私を見ると
「思うたけを言い尽くす」
のでしょうか。
自分たちより
私が格下に見えるんでしょうね。
何故ならば
経営側の上司に
自分の話ばかりする
部下の一般社員はいないと思うんです。
絶対に聞く側に回りますよね。
主従関係以外でも
ニコニコ朗らかな人には
人が寄ってきます。
「もしかしたらこの人、温かく話を聞いてくれるかも」と思われがちです。
私の事を知っている人はどれだけいるでしょうか?私は間違いなく自己存在証明記録として毎日このようにnoteに綴っています。
again and againでくどいのですが
50歳の私が51歳の私へ贈るnoteです。
なぜ私は「自分の事を知ってもらおう」とリアルにシェアをしない(できない、とくに聞かれもしない)のか?というと
二つ理由があります。
一つ目は
「足るを知る」という言葉が
自分に一番ふさわしいようです。
自分が大した人間ではないから
私のことなんて話しても
相手は面白くないだろう。
だったら
私について聞かれないなら
話さないし
自分の事を話したい人は
気持ちよくなるまで
喋ればいいさ
という感じです。
現況にだいたい満足しているし
心がだいたい豊かで
だいたい幸せを感じているので
自分を知ってもらう事も特にない。
他者の話を聞く態度としては
私は牧草地で放し飼いの牛に
草をあげる
みたいな感じです。
二つ目は
どうでもいい事で
人と争いたくない。
私は小さい頃から
両親の喧嘩をおさめる調整型で
懐柔も得意としています。
争いを一切好みません。
無意味なエネルギーを発散したくないからです。
大昔の話ですが
大学生の時に
デモに参加しようとした時がありました。
友人から
「ねこすさんってそんな人だったんだ、意外だ」と言われたことがありました。省エネで日和見主義だと思われていたのでしょうね。
けど、私は日和見主義になったことは
ほぼ無いと思います。
自分の強い信条や意見は常に持っています。
けど、それを発信したり
我を通すことを
重要視していないだけです。
たとえば、他者の意見や考えを尊重する姿勢を持つことも重要だと思っているし、ルールもない、立法化されていない個人の意見交換で対立を避けるために意図的に意見を控えることも多いです。または、自分の意見が他者にとってそこまで重要ではないと考えることも多いです。
他者との調和を重視する態度や、ハンブルな自己の内面に重きを置く姿勢の反映だと思っています。謙虚さや節度が増すと無口になると思います。
あと、喋るのが面倒・・・ってのも当然あります。
けど聞く側も疲れますよね。
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