定型と非定型
タイトルの言葉を知ったのは2年前の秋頃だと思う。
知人がSNSで呟いていたのを、
偶然、読んで知った。
知人の返信コメントにも「私も非定型」という軽いやり取りが続いていた。
それを読んで私は否定なら分かるが、非定は聞いた事がない、しかも「非定型」とは何ぞやと不思議に思い、何を指しているのかさっぱり意味が分からなかった。流行り言葉なのかと思ったぐらい当時は無知だった。
そこでネットで検索して、どうやら「非定型」とは「定型型発達」と「非定型型発達」を指すことを知った。
「非定型発達」を調べているうちに、その言葉はなんとなく私にも当てはまるような気がする。とはぼんやりと思った。
どつやら「非定型発達」とは、脳の発達の特性に凸凹があるタイプの人々を指すらしい。
出来ることと出来ないことの差が激しいらしいのは私に似てるなあ、と思った。
ちょうどその頃、いや、思い起こせば10代の頃から私は子供の頃や過去の嫌な思い出のフラッシュバックに悩まされていた。その世界に入ってしまい、自分でその世界の中で、要するに頭の中の別の世界で戦っていた。酷い時は家人の指摘だと2時間ぐらい、身体はあっても心がここにいなかった。
そんな人とは一緒に暮らせない、言われ、自分と生まれて初めて向き合うことになった。
自分で調べていくうちに、
ASの当事者でもある、細川貂々さんの「それでいいシリーズ」を知った。
それが発達障害を知るきっかけにもなったわけであるが、その時は自分自身が当事者である自覚は全くと良いほどなかった。
それというのも7年前ぐらいに異動先のの上司からの指摘で私がADHDはないかと思い、精神科に行ったら普通に働いている人は発達障害ではありません、と言われた事があったからだ。
そして、本を読んでいる間に、対人関係療法という治療法があることを知り、私は自分が気分変調性障害ではないかと勝手に自己診断したのだった。
(その後、分かった事だが、発達障害には障害なので生まれつきの特性で治せないこともあり、対人関係療法は適用しない。障害の診断をした医師から指摘された。)
そこで病院を探した。
新しい精神科では受診の前に生活記録や生育歴を書いてからの診断と言われ、受診するまで約1ヶ月以上かかった。母親にも協力して書いてもらった。
その後、その精神科に行くと、いくつかの問診やらテストの後で、医師からは「食欲もあり普通に眠れている人は鬱病ではない、何でそう思ったのかな、ASDです、アスペルガー」だとはっきり言われた。
それが自分が発達障害の当事者だと知る初めの一歩となった。
そして。
ASDという言葉に、私は相当悩んだ。
ネットスラングで、アスペと言われる嫌われる人達なんだ。そう思うと悲しみしかなかった。
確かに私はマルチタスクが苦手だし、
人とのコミニュケーションも、
変なこだわりがあるし、
テンポ良く会話が続かない。
本音と建前の区別がつかない。
思ったことを忖度なく言ってしまう。
興味がある事とない事の落差が激しい。
正確にはADHD併発なので、
時間管理が苦手なところもある。
主治医からは東大生の8割ぐらいがそうで研究者に多い、専門職が合っていると言われた。
今がせめて高校生ぐらいなら進路を専門職の道を色々と考えるだろう。
もう人生の折り返し地点の人間には、
転職は厳しいし、正社員の仕事は見つからないだろう。
慰めようとしてくれているのかもしれないけれど、酷なことを言う先生だなあ、とおそらく的外れな解釈を私はしていた。
そして、主治医からは、
離人症も併発しているのに私が良く働いていると感心された。
自分の中では、
障害者の認識が
これっぽっちもなかったし、
浮きがちの為、毎日必死だったので、
今まで何とかやってこられた。
それだけだ。
私自身は衝動的だし片付けが苦手な事もあるので、ADHDだと思っていたのだ。ADHDは人とのコミニュケーションはさほど問題がない、と後から知り、違うなあと納得した。
テストの結果は、ASDメインのADHD併発。
そうか。私。非定型発達なのか。
主治医と言う通り、本も色々出ているし、YouTubeもあるし、当事者会もある。自分の障害を知るための勉強をしようと思う。