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ドラマ「夢を与える」正晃と夕子。

今晩和、藤佳です。

ドラマ作品を見たので、感想を語ってみたいと思います。

作品はこれ、wowowドラマの「夢を与える」

小松菜奈が子役上がりの美少女タレントを演じ、菊地凛子がその毒親マネージャーを演じた作品です。
2015年という平成末期の作品でありながら、ステレオタイプな昭和末期~平成初期の子役・ステージママの匂いがプンプンします。
WOWOWという媒体を使ってからこその、世俗的な地上波番組に対するアンチテーゼか!?という、後味の悪い作品…(誉め言葉)

今日は第3話(全4話中)の感想を書いてみたいと思います。
なんでわざわざ第3話かって?
私の推しがチョイ役で出てるからです。チョイ役で1話しか出てないからです。

独断と偏見による登場人物紹介

夕子(演:小松菜奈) 子役出身のドドドド美少女タレント。
作中では高校生くらい。顔もスタイルもいい。繊細な内面を持ち、過干渉の毒親と、芸能界の大人たちの間で揺れ動く中、美少年と出会い、恋に落ちる。

正晃(演:真剣佑) 私の推しが演じている(当時17歳)駆け出しのストリートダンサー、ちょっと不思議ちゃん。顔がいい。スタイルもいい。
夕子と恋に落ちるも事務所から手切れ金を受け取ってあっさり別れるものの、最後には夕子とのあふ~ん♨な現場の動画を流出させ、炎上させる。サイコパスでクズ。

(アレな動画をどう表現したらいいのかわからなかった結果、語彙力が昭和っぽくなった)

あらすじ

過干渉な親や芸能界の仕事に苦しみながらも、美少女タレントとして仕事をこなしていく夕子。

そんなとき夕子は、駆け出しのストリートダンサーである正晃と出会う。ダンス大会で優勝コメントを求められるのにいきなりクシャミをしたりと挙動不審な正晃だが、夕子はそこに心惹かれる。

仕事後、バーで逢引をする夕子と正晃。深夜にギョウザを食べたいと謎の持論を語りだす正晃に夕子は引き気味だが、場面最後、正晃は夕子の顔を覗き込み、こう言うのだ。
「ていうか、本物の阿部夕子だ。かーわいい♪」

そして、夕子の母親から『捨て猫のように汚らわしい』と言われるような二人の関係が始まるが、間もなくデート現場をパパラッチされてしまう。夕子の事務所はそれを金で握り潰し、二人を別れさせようとした。

ホテルで逢引しようとする夕子と正晃。
夕子の事務所から手切れ金を渡され、別れろ、ダンサーの道は諦めろと圧力をかけられた正晃だが、すんなりそれを呑み、もう就活用のスーツまで買っていた。

正晃は、ダンサーのキャリアも、夕子との関係も、すんなり捨てることを選んだのである。
別れないよね!?とショックを受ける夕子を正晃は無理矢理抱く。

そして、その場面を収めた動画は流出させられ、夕子の芸能界での地位はあっという間に墜落していく……

というのが3話のダイジェスト。

その台詞がズルすぎるんだよ

以下が私の感想。

真剣佑(17)の、

「ていうか、本物の阿部夕子だ(驚いたように)
(一拍置き)
かーわいい♪(にんまりと笑って鼻歌交じりに)」

が、罪深すぎた。なんという魔物を産み落としてくれたんだ千葉真一よ。

直前まで唐突にギョウザについて語る正晃に戸惑う夕子も、
このかーわいい♪でドキっとした表情を見せている。

子役育ちである夕子は小さなころから、周りの大人からも、世間からも、可愛い可愛いキレイキレイと飽きるほど言われていただろう。
しかし、この正晃の「カワイイ」は、きっと特別な言葉でしかなかったはずだ。

むしろ言われ慣れた言葉だからこそ、正晃の不思議な魅力と共に強いインパクトが残ったのだろう。
一見ミーハーでありながら、夕子という一個人を鷲掴みにした一言であると思える。

今まで周囲から、商品そして人形として大切にされてきた夕子のことを、正晃はまったく違うものとして扱った。
それを夕子は特別扱いと感じて恋に落ちていったのかもしれない。

まぁ、特別雑にも扱われていましたが。

事務所から手切れ金を渡された正晃は、すんなりダンサーを引退し、すんなり夕子と別れようとします。

嘘くさい愛の言葉も言うこともせず、夕子を抱き、その様子を友人に撮影させ、その動画を流出させます。

もはや金目当てで騙そうとするタイプの悪人ですらない。サイコパス。だがそれがいい。

まるで気まぐれな猫のように、美しき宇宙人のように、正晃は夕子のキャリア、周囲の大人、そして世間をくるりと引っ掻き回してそのまま舞台から退場していきます。

不可解な狂気は美しい

これが本作のgoogle検索サジェストです。

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一番下のこれ。

いやぁ、なぜって野暮なこと聞くよなぁ…と思いましたね。

現代文明社会で生きていくとき、ヒトは常に、理性を以て狂気を抑え込んでいます。
ギリギリの理性で何かを抑え込みながら生きていると、ノンフィクションの中でその理性という枷が解放するのを見たとき、ヒトは一種の快感を覚えるのかもしれません。

正晃は何にも囚われていない存在でした。

ストリートダンサーで、野良猫のように自由で、夜中に突然ギョウサを食いたがる。
子どもの頃から母親を始めとする周囲の大人に抑え込まれ、真四角の芸能事務所の中で四角四面に働いてきた夕子にとって、同じ芸能人というカテゴリにありながらも、ストリートで踊る正晃の存在はとても眩しく見えたのではないでしょうか。

しかし、正晃は何にも囚われていなかった。自身の夢にも、夕子との関係にも。

そういう危うくて狂気じみた存在だから美しかったし、作中で夕子は惹かれたのではないのでしょうか。

だから、googleサジェストの最後のアレ。何故なんて野暮なことを聞くもんじゃないよ、と私は思うのです。

"カワイイ"は死に至る甘い毒

美少女タレントである夕子は、もう飽きるほど、掃いて捨ててもまだすぐ溜まるくらいに、カワイイも綺麗も言われ慣れてるはずです。
しかし、この正晃の「カワイイ」は、きっと特別な言葉だったに違いありません。

ありふれているようで異質。

それは発声者である正晃の特殊性でもあり、受け手側である夕子の特殊性でもあります。

この日常に迫りくる美しき狂気、甘美な毒に触れてしまうと、ドラマに描かれた芸能人でなくとも私たちの生活は突如として舞台に変わり、そして破滅していくに違いない。

それを画面越しにチラ見して30分だけ破滅できるから、ノンフィクションっていいものなんです。

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