血のつながり
あのひとと血が繋がっていることが嫌でたまらない。
あのひとと同じ血が自分の中にも通っていることを憎悪する。
顔が痩せるとあのひとにそっくりな骨格が浮き出てきて、鏡を見るたびに呪わしい。
まあ私にはそんな気持ちがあるんだけど、そんなことをずっと抱えていても事実は変わらないわけで。
人格は、さまざまな経験からいろんなことを感じたり学んだり気づいたりしてつくられていく。
この肉体には確かにあのひとの一部が含まれている。
だが、自分という人格をつくっているものはそれではなく、経験から得た思想、哲学、知識などである。
人格や人間性にとって肉体は大した問題ではないのではないだろうか?
あのひとの一部が自分に組み込まれるのはほんの一瞬だ。
最初に受け継いだ血なんて、ケガの出血や経血としてすでに排出されているだろう。
つまり、いま自分の体の中を流れている血は、自分からつくられた自分オリジナルの血なのだ。
そして、その体に人格が肉付けされていく過程は、一瞬ではなく何十年もの積み重ねだ。
自分という人格の核は肉体ではないのだ。
血の繋がりなんて大したことではないのだ。
ひとは後付けでいくらでも違う人間になれるんじゃないかな。
ぶひ🐽
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