ねこまたっち
うつ病、パニック障害、複雑性PTSDなどメンタル疾患の記事まとめ。
福祉に支えられているミニマムライフまとめ。
自分の考えやふと思ったこと、こうだったらいいのになぁー!などの記事まとめ。
猫さんの記事まとめ。
日常生活のできごと。
これまでは、クリエイティブ活動をするときの名前でnoteを投稿していたのだが、そちらは身内にも知られているため、改めてアカウントを作った次第である。 私には複数の持病があり、福祉ライフ——いわゆる「健康的で文化的な最低限度の生活」——によって生活をしている。 福祉ライフになる以前から一緒に暮らしている猫さんたちもいる。 メンタルの状態に変化があり、X(旧Twitter)やインスタなどのSNSがしんどくなってしまった。 人とのやりとりや人の感情に触れることが苦痛になってしま
スキが来たと思ったら金儲け主義のアカウントばかり。私はカモか。病者をカモとしか思わない人は要らないのだ。noteがイヤになってきた。
診断されたあと、毎日自宅で過ごしながら過去のことを思い出すことが多くなった。 正確には、自分の意に反して過去の嫌だった記憶が侵入してくる。 まあ、今に始まったことではないんだがね。 どんな記憶が侵入してくるのか。 それをここで書いても読者にとっては面白くもないだろうし興味もないと思うので、書くまい。 過去の記憶が湧いて出てくることで生じている今の心情を書こうと思う。 私はTwitter(X)をやっているが、他人の投稿を見るのがしんどくなってしまった。 日常の報告、愚痴、落
前回の続きである。 生活保護受給者に対する冷たい声。 そうゆうことをネットで言っているひとたちも思慮が浅い。 よく見るのが「本当に困っているひとに税金を使ってほしい」というもの。 「本当に困っているひと」ってすごく抽象的なのだが、具体的にどうゆうひとを指していっているのだろうか。 受給者は大概「本当に困っているひと」である。 不正受給をしている場合、見つかりしだい返金させられているし、場合によっては起訴されている。 思慮が浅いのは無知だからであり、また広い視野で社会の在り
メナンドロス王がいい質問をしてくれた。 これは私も気になるぞ! 「知らないで悪い行ないをする」とは、現代の法律でいうところの〈違法性の錯誤〉というやつだろう。 〈違法性の錯誤〉とは、違法とは知らずにやってしまった、という行為のことである。 悪いことだと認識しつつも悪い行ないをすることのほうが罪深いような気がするが、はたしてナーガセーナ氏は何と答えるのだろうか。 むむむ…っ! 無知ゆえに悪い行ないをするほうが悪いらしい。 「悪い」というか「禍いが大きい」とある。 つまり、
かつて、Twitterの相互フォローさんが、ご本人と同じような病気により働くことができず生活保護を受けている人たちを中傷する投稿をしていたのを見た。 根拠なく不正受給であると言っていた。 私が見たところ、そのお相手は不正受給をしているのではなく、趣味のものを購入したいと言っていただけであった。 そしてそのお相手は、どうやら実際に面識のあるひとのようであった。 つまり、Twitterでコソコソと陰で罵っていたのである。 なぜ友人関係を続けているのか疑問だが、まあそれは置いといて
私はお勉強がしたいのだ。 しかし、ちょいちょい猫さんから「オレをかまえ!」「オレを愛でろ!」と主張される。 しかもけっこうしつこい。 愛が足りないんか? その対応をするたびに、私の手は止められるのだ。 これが3猫ぶんである。 そのなかには、無視すると私にオシッコをして抗議する子もいる。 ゆえに、その子に対しては完全スルーできない。 億劫に思ってスルーをキメこんで服やオフトゥンにオシッコをされたら、予定外の洗濯をする羽目になり、むしろマイナスである。 猫さんが女の子だった
noteの企画ってつまんなくね?
けっこう前から、夕食後に腹痛に見舞われることが続いている。 腹痛は毎回ではないが、お腹の張りは毎回起こる。 そのままやり過ごせることもあるのだが、排便がある日は他にもさまざまな症状に見舞われる。 吐き気、めまい、脳貧血… 軽いパニック発作のような感じかもしれない。 とにかく不快である。 めまいがするためオフトゥンに横になるのだが、その状態でもなぜか脳貧血が起こる。 頭から足のほうに血液が一気に下がっていく感じである。 つっても、横になってるから下がるとも違うんだが。 一時
自己と他者の平等ってどうゆうことだろう。 唯識で説く「四智」の一つである「平等性智」について、佛教語大辞典で調べた。 自己と他者は平等であると知り、大なる慈悲心を起こすという。 ここでいう「平等」とは何なのだろう。 集団生活をしていれば、目上の者を敬えと言うし、知識が多い者や何か一つのことに秀でている者はヨイショされる。 そこには上下関係が存在するのだ。 これは、平等といえるのだろうか。 また、「大なる慈悲心を起こす」という言葉に上から目線を感じる。 それとは逆の、下
ぬん シリコン製の耳栓である。 ベルギーのブランド。 生産は中国と表示されていた。 XSからLサイズまで対応できるようになっている。 Mサイズは本体リングにすでにセットされてケースに収まっていた。 フタが固くて開けるのが少々大変であった。 小さいから余計に開けづらい。 これはなんとかしてほしかったなぁ〜。 まあ使っているうちに開けやすくなるかな。 このリングの部分が耳介に収まる。 ゆえに、装着したまま寝ても痛くないらしい。 商品の詳細は公式ホームページを見てくれ。
ふむ。「否定的な自己概念」というのが具体的にどうゆうものなのかわからんが、それ以外については全て当てはまっている。 最近はとくに「感情調整の困難」に困っている。 些細なことで心理的に圧倒されてしまい、それが身体症状として出てしまうのだ。 重度の倦怠感、疲労、食欲不振、痛み、吐き気、脳貧血、意欲喪失、無気力などである。 この歳になってやっと自分の親が、いわゆる毒親だったと分かった。 毒親は連鎖するものらしい。 つまり、親の親も毒親だった可能性が大いにあるということである。
抜群に頭の賢い人にとっては、周囲の人々のほとんどが自分より頭の悪い人ということになる。その人は、自分より愚かな頭の悪い人ばかりの世界で生きることに、絶望感をおぼえることはあるのだろうか。
これに対してナーガセーナ尊者は、さまざまな喩えを出して説明する。 その一つが以下である。 ミリンダ王よ、本当に納得しているのか!? 私は腑に落ちないぞ! まぁ、地獄という世界が存在するとしてもだな… 食べたものと胎児の場所を「体腔」と一括りにしてしまうのはどうかと思うのだ。 そもそも、釈尊在世時において、すでに人間の解剖学的な知見は存在したのだ。 ギリシャでも同様なのではないだろうか。 (知らんけど) つまり、食べたもの(肉)は胃に入り、胎児は子宮にいると知っているは
尊者いわく、前世の業(行ない)が原因で、健康だったり病気がちだったり、お金持ちだったり貧乏だったり、容姿端麗だったりブサイクだったりするという。 ぐぬぬ… 私はあんまり腑に落ちないのであるが、自分が病気で不幸であることを前世の行ないのせいだという人は、たしかにいる。 まあ、どこまで本気にして言っているのかはわからんが。 さて、この問答に対する註を見ると、釈尊が説く「業」とナーガセーナがいう「業」とでは解釈が異なるようである。 「業」という言葉は仏教を学ぶ者にとっては基
今年の8月、我が家の猫さんが腸重積になり、腸を一部切除する手術をした。 その手術のときの写真である。 その後の説明のために先生が撮影してくれていたようだ。ありがてぇ。 参考になればこれ幸い。 なお、手術時の写真の権利は手術をしていただいた動物病院に帰属する。 転載は禁止だ! ⚠️刺激が強い画像が含まれるため、苦手な方は閲覧を控えてほしい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 手術日までは大変であった。 排便したいけど出ない「しぶり」が