FUJI ROCK FESTIVAL 1997の思い出
★全然アーティストの話していない幻の富士山下+台風直撃フェスの体験談です。音楽語りはほぼないのでご留意くださいませ★
当時、海外のような音楽フェスがまだなく、FUJI ROCK FESTIVAL開催のニュースは音楽好きには衝撃だった。絶対絶対行きたい!と鼻息荒く情報をつぶさにチェックし、チケット発売情報まで入手したのはいいがあの頃の私は超貧乏だった。
フェスに行くにあたり問題は、最低限の音楽はたしなみつつフジロックに行くお金を捻出するはどうしたらいいか。で、出した結論は、
昼ごはん抜き!
若さですね。今やったら確実に倒れる。とはいえほんとに実行すると病気になりフェスどころではなくなるのでおにぎり1つで妥協し、数ヶ月間空腹に耐え足りないお金をなんとか工面していざ記念すべき最初のFUJI ROCK FESTIVAL!2日通し券のバスツアーで7人一部屋の相部屋に1人で申し込み、単身富士へ!
ラインナップ
Main Stage
Red Hot Chili Peppers
Rage Against the Machine★
The Yellow Monkey
Foo Fighters★
The High-Lows
Southern Culture on the Skids
Third Eye Blind
Summercamp
Second Stage
Aphex Twin★
Atari Teenage Riot
Denki Groove
Boredoms
The Mad Capsule Markets
Girls Against Boys
Zoobombs★
Black Bottom Brass Band★
★は実際に見たバンド
伝説になりつつあるので知ってる人もいると思うが、この日は台風直撃。
そして客も音楽には慣れてても山には慣れてないメンツばかりで軽装の人ばかり。例に漏れず私もトレーナーしか持っておらず、ほどなくびしょ濡れに。
皆、雨風で寒さに震えながら音楽聞いて踊りまくってて異様としかいいようがない。もちろん私も暴れてました。踊ってる方が体あったまるし。
いやー、音楽ファンはこのくらいじゃへこたれないです。震えながら笑顔。
まず本命のひとつZoobombsで暴れ倒し、ちらっとThird Eye Blind見た(ような気がする。記憶があいまい。)それからお買い物エリアでいろいろ物色し、軽くごはんも食べてうろちょろしてたら、友人にばったり遭遇。
音楽好きは引かれ合う。
その後友人とは別れFoo Fightersへ。人の波に流されて身動きとれなくなったところで近くにいたウィスキーラッパ飲みの外国人酔っ払いが暴れ出し、でも人だらけで身動き取れず死ぬかと思いました。なんとか無傷でFoo Fighters終了。自分の生死が気になって音楽聞こえず(泣)
本命2、Rage Against the Machine。いやー暴れた暴れた。楽しかった。
めちゃくちゃ盛り上がってたような気がするがすっかり記憶飛んでます(涙)
で、Aphex Twinを観るべく移動。ほんとはAtari Teenage Riotも観たかったのだがこの時は断念。複数ステージだとこういう時ほんと悩む。
Atariについてはその後大阪でオールのイベントがあったので、そこでちゃんとこの時の借りは返しましたとさ。
で、レッチリも観たかったけど、さすがに朝から暴れ倒して体力が限界にきており、しかも寒さで全身震えてどうにも力が入らずツアーバスがある駐車場へ避難。バスはエンジンはかかっているもののドアが閉まっていたので、仕方なく排気ガスで暖を取る。絵面ひどい。他にもびしょ濡れで泥だらけの人達がわらわらとバスの後方に集まってくる。ここは戦場か。
なんとかホテルに戻り、翌日の大本命BECKのためにお風呂であったまり早めに就寝。翌日意気揚々とバスに乗り込んだところで無情なアナウンス。
今日のフェスは中止となりました。このまま大阪に向かいます。
バス内、沈黙。無言。誰1人ショックで言葉が出ない。
ひそひそ話すらない、完全にお通夜状態。バスはただゆらゆら揺れながら高速を走る。
数時間後、昼休憩のドライブインでご飯を食べ、皆正気を取り戻したのか午後は少し話し声が聞こえたもののそれぞれ落胆は隠せなかった。
私も、BECKがいるのに!BECKが富士にいるのになんで大阪向かってるん!?って発狂しそうになってました。ええ。
BECKのために数ヶ月昼食おにぎり1個でがんばったのに。
まぁ、1998年にちゃんと観れたんで1年で機嫌は治りましたけど、でもやっぱり今でも富士山の麓でBECK観たかったなぁと思うのでした。
ちなみに冒頭の写真はリストバンドのカラーコピーです。後日2日目のチケット代精算のためにリストバンドを送らなければいけなくて、思い出の品だから取っておきたかったものの、前述のとおり超貧乏だったので泣く泣くカラーコピーして現物を送り返金してもらったのでした。(当時はデジカメなぞない)
(当時の心境)