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【歴史散歩】岡崎城石垣~伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)

※駆け足で書いたため、間違いが多いかもしれません


はじめに

2時間ほどファイルの待ち時間ができたため、先日、運動不足解消も兼ねて岡崎城の石垣堪能→能見城の碑→伊賀八幡宮(の往復)をしてきた。

今年は未だ初詣すらしていなかったため、初詣も兼ねてだ。
※拙宅の神棚には相応のお祀りはしている

位置関係

先だって、今回の歴史散歩の位置関係を以下のとおりにお示しする。

岡崎公園内石垣を眺め、伊賀川に沿って伊賀八幡宮へという行程だ。
(寄り道ナシの往復)
画像出典元:Googleマップ

次に、岡崎公園内で今回写真に収めた石垣の場所を以下のとおりにお示しする。

石垣の写真を撮った場所
 番号付与をしているため、番号を参照いただけると幸いだ
(加工はネコチャーンによる)
画像:岡崎公園内、案内板より

それでは、歴史散歩へレッツゴー。

岡崎公園内の石垣

石垣の説明は下記リンク先を参照いただけると幸いだ。

https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p022955_d/fil/isgkmap.pdf

(上記、『岡崎市HP、岡崎城跡 石垣めぐり(PDFファイル)』

先ずは大手門から入る。
京都府の「岡崎公園」と混同されるーーという言い分から「岡崎城公園」と名称を変えたらしい。賛否あるだろう。私はコメントを差し控える。

昔は大手門向かって右手にHSST(リニアモーターカー)が実走展示されていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/HSST
現在は、岡崎南公園に展示されているようだが、公園が工事中(2027/4に再稼働模様)
https://okazaki-kanko.jp/minami-park/closed

今回は石垣にのみ用事があるため、先を急ぐ。

1 太鼓門付近

岡崎城は石垣こそ見ていただきたい
※主観

背面には空堀が。

掃除は大変そうだな、と

太鼓門近くから撮った岡崎城。

レトロなトンネルと空
城の写真を撮る際の個人的なおすすめスポットその1

2清海堀

高低差があるため、圧巻
桜の季節の写真がおすすめ

番外編 龍城神社・岡崎城

様々な方が写真をアップされていること・記事を書かれていることは存じているため、私は割愛する。
※龍城神社では参拝のみさせていただいた

大晦日にウサギ汁の振る舞いがあった記憶があるが、
今も続いているのだろうか
(小学生頃に父に連れられ、食べ……られなかった記憶←父に押し付けた)

個人的に1回、他都道府県・海外の客人のアテンドで登城は数知れず。
「説に過ぎないかもしれぬ」が、先祖・重辰の義弟・松平新右衛門も天守ではないだろうが、この地近くまで登城していたことを考えると感慨深い。

2本の松の木は伐採したのか……残念だ

3 風呂谷曲輪

岡崎城を写真に収め、菅生川に向かう石階段を下りる。

石階段を下りた付近
分かり難いかもしれないが、石階段を含めた全体像
階段の向かって左側
風呂谷曲輪の説明板
攻められにくい構造だったらしい

朱色の太鼓橋を渡り、菅生川に出る。

割と水位は低い
菅生川に架かる「潜水橋」と愛称・ミカちゃんと呼ばれる鯉の群れ(なつこい)

4 菅生川端石垣

説明・詳細は下記(岡崎市HP 岡崎城跡の史跡整備 PDF)を参照いただけると幸いだ。
https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p035464_d/fil/PDF.pdf

堤防近くに石垣が連なる
角はやはり美しい
桜の季節にぜひ

隙間時間に訪れたため、先を急ぐ。(今も隙間時間)

5 月見櫓付近

岡崎城付近に戻る。

月見櫓下付近の石垣
池の真向かい
暖かい日はゆっくり過ごせるだろう
月見櫓下近くから収めた岡崎城
野良積みの石垣と城
個人的な写真撮影おすすめスポット、その2だ。
伊勢神宮遥拝所鳥居を下から収める

「伊勢神宮遥拝所鳥居」横にある石垣は「本丸埋門石垣」というようだ。

また時間がある際に刻印を探してみたい

6 本丸埋門北袖石垣

「清海堀」と同程度ぐらいはあるであろう、高低差のある石垣だ。
ちなみに岡崎城西側にあたる。

これは少々分かり難い、か……
よくぞここまでの石垣を組んだ……と思わず見惚れる

今回の石垣めぐりはここでストップ。
頭に思い浮かぶところのみをピックアップして速足で訪問・写真で追ってきた。
また、時間ができた際は事前勉強もしつつ、ゆっくりと訪れたいと思う。

伊賀川を北上し、伊賀八幡宮へ

岡崎城の石垣(本丸埋門北袖石垣)は伊賀川のほど近く。
堤防沿いに出て、ひたすら北上する。

長閑な風景を見つつ1.5㎞強歩く

伊賀川沿いを歩いたのはもう一つ理由が。
「能見城跡の碑」があったためだ。

しかし、残念なことに家に戻りデータをスマホからPCに移行しても「能見城の碑」と「伊賀八幡宮」の写真が移行できない。
再度、チャレンジすると上記のデータのみがゴッソリと消えたという……。

「載せてくれるな」という先祖、もしくは先方の拒否かもしれぬ。

そのため、再度の写真撮影は控えておくことにする。

この日歩いた距離

※2時間弱の散歩

平坦で適度に舗装された道は歩きやすい

不思議なご縁+まとめ

現状、私が置かれている立場(氏子A氏に恨まれている……という、逆恨みだが)を鑑み、どなたから聞いた話という明言は避ける。
しかし、この日は”とあるご縁”があった。

地誌『参河総視禄』によると、1500年代に欠村の御領主であった柴田一族の柴田弥重郎正勝殿が台命(家康公)により伊賀八幡宮の別当に。正勝殿御子孫が大東亜戦争前まで伊賀八幡宮宮司を務められたという。
また、大正~昭和にかけて発刊され、私も記事を書くにあたり相当にお世話になった『岡崎市史』。
御子孫にあたる柴田顕正殿が執筆されたことも家に戻り調べた際に判明した。

ここで詳細は書けないが、400年前の欠の御領主の御子孫に私は助けられた気がする。

中立的な立場・疑問に思ったことは湾曲的に書き添える等。学者として神官として公平中立でいてくださったこと、感謝申し上げます。

どれ程忙しくても外出をし、外の空気を吸う。
新しい情報や考え方に巡り合うことも人とかかわってこそ、というべきか。
それを痛感した、とある晴れた日の昼下がりだった。

補足(2025/2/17追記)
昨日に書くか悩んだ内容だ。
当然、某神社の氏子A氏にはA氏なりの言い分がある。私には私なりの言い分がある。
A氏の”考え”に対し批判をしているわけだから、A氏には私の”考え”(否定・人格否定・暴言・悪口の流布は論外)に対して批判するのは適切だと思う。
最近になって特にA氏を擁護する言い分を主張する方々がいるのだが、私はA氏が特定されない配慮をしている。
A氏を中心とし、私の名誉を棄損している証左になっていることに気付いていただけないか。私の言い分・行動の中長期的な展望等は未だ公的機関以外は理解していただけない/話し合いのテーブルにすら着いてもらえない状況だということをご理解いただきたい。
私を批判して良いのはA氏だけだと個人的に思うのだが、加担すると一線を越えた時に罪に問う範囲が増えるということは重々承知していただきたい。
1年ほど前にも触れたが、私は町の人を巻き込むことは望んでいない。

ある意味で、このアカウントは私の身の安全を保障する保険だということもご理解いただきたい。昨今、事実と嚙み合わない主張?に大変に困惑していることにはご留意いただきたい。



最終改定: 令和7年2月17日(1回目)一部加筆
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

【注意事項】
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【参照/参考文献】
岡崎市HP https://www.city.okazaki.lg.jp/
岡崎観光ナビ https://okazaki-kanko.jp/
『参河総視禄』 岡崎市中央図書館 翻刻ボランティア編
Wikipedia 『柴田顕正』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E9%A1%95%E6%AD%A3

【画像出典元】
Googleマップ



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