【雑記】 不思議な出来事ーー神託とは何か(私感)
はじめに
今回は今年6月以降、特に先祖を調べるうちに私の身に起きた不思議な出来事を今回のみ訳あって記したい。
私自身、普段は仕事の一環でデータを多く扱うため、心霊現象のほとんどは脳や目の誤認/錯覚や思い込みの類だと思っている。それでも、科学でも説明ができない事象はあるとは思う。
自分が見えない・聞こえないからといって、別の人が力説する実体験や見えぬものの存在を全否定することは個人的に好まない。
「そういう世界もあるのかもしれない」。
そういった具合に理解を示すといえば良いのだろうか。
だが、『念』は存在すると思う。『自己暗示』や『呪い』というものは存在すると思う。
ここでの後者は他人を過剰に嫉妬したり、忌み嫌ったりすることで、相手に必要以上に執着し、いずれは自分の心身を滅ぼす。所謂、『人を呪わば穴二つ』という意味合いでだ。
上記のような考え方をしている私だが、「これは少し理解し難い」と思ったことが起きたのだ。
先に書くが私には霊感はない。オカルトは苦手。霊は見えないし、ほぼほぼ聞こえない。
そのスタンスで書くつもりだが、不思議体験が苦手な方はここでページをそっと閉じることをお勧めする。
前提条件
先祖が代々熊野信仰を崇敬してきた。
「ご神託をうけた」という記載が系譜に見られる先祖もいる。
加えて、先祖・鈴木重辰が建立した『八柱神社』を守り、また、神主を明治中期頃(推定)までしてきた家系だ。
目に見えぬ『ナニカ』を受け取るアンテナがあるのかもしれない。
過去の不思議な経験
随分前の話だが、大東亜戦争で多くの方が亡くなった南方の地に観光に行ったことがある(固有名詞は伏せる)。
その県でもとりわけ多くの一般市民・兵士が亡くなった地に平和記念と鎮魂で訪れた時のこと。
例えるなら『体の下に伸びる糸に多くの人がしがみつく』といった体が重だるく、また心まで塞ぐような感覚を体験したことがある。その場所に近づくほど、それはより強くなったことを記憶している。
崖がある場所だったが、柵越しでも崖の近くに立つことや海を見下ろすことは全力で拒絶した。
その際、すこぶる体調が悪くなり、その特定の地を離れた後も体調が良くなかったのだが、続いて同じく戦争で命を落とした方を供養する場に入った瞬間にその苦しみ(?)が完全に消えたことがある。
ガイドさんが「10人に1人ぐらいの割合で体調が悪くなる方が毎回でるんですよ」と最初に仰っていた言葉を「激しい思い込み(笑)」と思った過去の自分を本気で殴りたくなった瞬間だ。
今回起きたこと
先祖の情報に関し、ある親族から書物をお借りした際の出来事だ。
それ前の私は先祖の法名すら知らずにいた。もちろん、名前(俗名)も知らなかった。江戸時代の墓石は表面が朽ち、読むことは叶わないからだ。
さて、代々の法名が書かれた書物を見てから、
・書物を見る度
・それについて考えた時
・それに関する話をした時
という限定された条件でのみ、涙が止まらなくなった。自分自身の感情はよそに涙が流れるのだ。また、涙だけではなく何とも形容し難い『念のかたまり』のような物も感じたのだ。
しばらくそれと共存していると
・悲しい、寂しい という『哀』
・なぜ?どうしてなんだ? という『困惑』
・どうしてそういうことをするんだ という『不満』
・けしからん という『憤怒』
そういった多くの感情、数人ではない。少なくとも10人以上の念(仮)。『先祖の気持ち(仮)』『訴え(仮)』と言っておこうか、そういうものに分類出来ることに気付いた。
たとえの話をするが、雪深い山中で道に迷い、日もとっぷりと暮れ、寒さと飢えで命が危うくなったとしよう。その道なりに何軒か家が建っている。最寄りの家には明かりは灯っていない。それでも、門扉を叩くのではないだろうか。しかし、誰も気付かない。次の家に行く。同じく無反応だ。ようやく明かりが灯った家を見つけたとする。希望から門扉を激しく叩くだろう。一度気付いてもらえなかったら、二度目はもっと大きく叩くだろう。
「助けてくれ」と。
ここで気付いてもらえなかったら、次はどこで人の気配を感じられるか分からない。相手の迷惑よりも自分の訴えを優先するだろう。
私もそうすると思う。
上記に類似したことが起きたのではないだろうかと思う。
しかし、私は『先祖の訴え(仮)』に気付くまで3週間かかった。情緒不安定なのかと思ったからだ。しかし、特定の条件でのみ起こる事象ということで流石になにか違うと気付いたのだ。
その間も思考/体調には全く異変がなかったことだけは付け加えておく。
たまたま、私がその光の灯った家だったのだと思う。
そのことから先祖の気持ち(仮)を親類に簡潔に代弁した時もある。結果、激しい口論に発展し、私は一族を追放されたが(苦笑)
先祖の願い
ひとつは適切にお弔いされていない先祖が複数(相当数)いた。
それは、『寂しい』……そう訴えられても仕方ない。
これは先祖供養をし、今でも私が代わりに供養している。あくまで代わりだ。
もうひとつは9月15日に八柱神社に行った際に気付いた。
導かれるように、祓戸と社の『葵の御紋』が目に留まった。今まで何度も行っていたが気にも留めていなかった些細な箇所だ。
社の御紋に気付いた時は
「これが嫌だったんですね、そうですよね」。その場で膝から崩れ落ちそうになった。
その際に心に残っていたトゲにも似た『憤怒』の感情が消えたことを付け加えておく。
これについてはnoteで重辰やその妻、その子孫がどのように生きたか。なにを信仰したかを記すことでお赦しいただきたいと思う。
熊野信仰を崇敬した先祖だ。
八百万の神(が既に宿っている物)を壊せ、とまでは言わないだろう。
だからこそ、『重辰が建てた神社』『葵の御紋とは無関係』と私は書いている。これからも書き続けるだろう。
威厳を持たせるためなのか理由は定かではないが、重辰が建てた『八柱神社』に敵対した可能性が高い家康公の『葵の御紋』を付けることがどれほどの屈辱か、どうかご理解いただきたい。
子孫がその屈辱を少なくとも数十年という長い間、先祖に与え続けたのだ。特に重辰や妻、その子供、孫は怒るだろう。怒って当然だと思う。
本来なら、事を知る一族全員で頭を垂にいっても済む話ではない。
誰も過ちに気付いてくれなければ、前述のように激しく『戸』を叩くだろう。先祖供養として、ここで重辰たちの生き様を書いていると次第に納得してくれているのだろう、という空気に似た『何か』は感じる。
但し、一部を除き、今生きる一族のためにこれを記載している心持は毛頭ない。何故、気付かなかった?と私でも憤りを覚えるからだ。
全ては先祖とご厚意で書物を貸してくださった遠縁の方々のためにしている。
まとめ
本来、ここで思いのたけをすべて書き込もうとnoteを始めた時から思っていた。『若宮八幡宮』の記事を書いたら次に。そう思っていた。『若宮八幡宮』の記事を書いたのは10月8日のことだ。
しかし、10月8日・9日と2日連続で不思議な夢を見た。
神社の社が記憶に残る夢だ。それ以外は何も覚えていない。しかし、目覚めると誰かに諫められた気がし、自分の今の行いを振り返る……それを2日続けた。
私は、都合よくこれを「他人の悪口を書き連ね、自身の人格・徳を落とすな」と捉えた。それ以降、社の夢は見ていない。
だからこそ、抽象的な書き方をしている。
「精神を病んでいる」「思い込みだ」「嘘つき」。
どう思われても良い。私が実際に体験したことを書いただけだ。
『子孫の行いを良しと見なせない。改めよ』という先祖からの忠告なのかもしれない。もしくは神社を介した『神託』か。
先祖がいて自分がいる。
先祖が大事にしてきた信条・信仰に叛き、その行いの度が過ぎると先祖は忠告してくるのかもしれない。私はその『神託』を無視した結果だと思えることが長年続いていると思っている。一族なら身に覚えがあるはずだ。
『神託』や『忠告』を見聞きし、信用しないもよし。
自分たちの進んできた道を振り返るもよし。
私個人として『神託』『忠告』は「これからの人生をどう生きるか」「何か、見直すべきことはないか」などを間接的に示唆されていることだと思うが、みなさんはどう考えるだろうか。
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