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「自分の感情を言葉にのせて、メディアに消化する」が今の私のテーマかもしれない。

最後に投稿してから、少し時間が経っていました…。
この記事は、ちょっと読むのに疲れるかもしれない。(甘いものと一緒に🍰☺︎という雰囲気ではない内容だけど笑)

それにしても、今、5月の半ばくらいなんだ…。時間感覚がわからなくなるし、
しかも、ドッと疲労感が……。
働く環境にも慣れず、家帰ったら → 寝る のサイクルが一定でどこかで入社前との自分にギャップを強く感じます。
想像していたのは、キラキラと働く姿。実際は、周りは淡々と業務をこなす姿。(てか入ってそんなちょいヶ月で全容など知ったかぶるな!なんだけど。)

正直、毎日が充実していないと感じています。
(今週マジで何もしていないような気がする…。というような)

もっとクリエイティブな自分でいたい!新しいアートを知りたい!なんていう、新しいモノ・コトへの嗅覚が完全に鈍っている…。


◎SNSに消化することで、振り返れば楽しいことあったかも!となる

ちょうどGWに少し遠くに出かけ、ずーっとしたかった昼呑みを実現させました(ぱちぱち)。この感動を忘れないうちにインスタに投稿。

投稿してしばらくすると、「あ〜、最高に美味しくて素晴らしく良い休日だったな〜」とひしひしと感じる充足感。
そのとき、思い出を自分だけに閉じ込めて風化させないことって大事だな〜ってふと気づきました。

インスタのデメリットとしては、まず他者との比較による自己嫌悪、物欲の増加…などなど挙げればキリがないと思うけれど、メリットは、思い出を残すことでその時をもう一度楽しめること。そして、そのときの自分でしか感じられなかった感情の足跡を残すことで、今の自分が見えている目線(視座)とのギャップもわかる。(私の場合、この思い出はこういうふうな言葉を使って感情を残していたんだな〜、とか。)

また、自分の好きなコト・モノ、ちょっくら出かけてきた〜などの素敵な経験やセンスを別のだれかに渡していけること。
自分だけの思い出にしておくには、もったいない…!!といった経験を、不特定多数のメディアに残すことで、(私の大尊敬する)松浦弥太郎さんのいわゆる『センスの良さのソシアルワーク』が誕生。

ちょっと話は逸れたのだけれど、
今、自分が振り返ると、
SNSで 投稿して得たスッキリとした感情 ⇒ 充足感  につながるのか〜、となった。

ただ、毎日働いていると淡々とした日常が流れるわけで…。

でも、新しく自分が受けた刺激を自分の中で風化させずに、友達が見てたり、知らないだれかにでも見てもらえるようなメディアに残すことで、振り返ると、今月こんなことあったな〜、とか、変化のある?(うーん……。表現がわからないけど、)味変で、スパイスが加えられたひと月ではあったな〜というような、充足感はちょっとは感じられるかもしれない。

◎やはり、将来的にはキラキラしていたい

正直、将来はクリエイティブな自分になりたい!と思う。
でも、その将来っていつ来るの?とは考える。
結論、今からでもクリエイティブにはなれる。
一歩がダメなら、半歩からでも、自分の環境を変えていくことはできる。
だから、こうして、文字や写真を通して発信していくこともその半歩だとは思う。

今の不満感が日々の充足感がただ足りないだけなのか、
それとも本当にやりたい仕事ってなんだろうか、
本当に自己分析がまだまだ甘い。

でも、ちょっとずつ文字に残していけば、何が合っていて、何が自分に合わないのかは、見えてきやすいとは思う。
だからこそ、ジャーナリングでA4の紙に勢いよく自分の思いを書き連ねたり、SNSに良かったと思えるコトを消化して行ったり、とにかくアウトプットしていく。これが今、自分がやるべきことなのかもしれない。

🌼おまけ🌼ジャーナリングの力

この気づきを得て、自分なりに整理するには、ジャーナリングが一番有効でした。
できれば、朝、嫌なこと、良かったことなど思っている感情をまっさらなA4の紙に殴り書きする。ちょっとしたモヤっとの原因がわかるし、自分の心をうまく整理できました。自己分析にも有効なツールだと本でも言われています。ちょっとずつでも、これからもジャーナリングは生活に取り入れていこうと思います。✏️



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