「夕飯にソーセージはあり得ない」のかい?
結婚していた約10年間、私は数えるほどしか料理をしたことがない。
料理ができないわけではない。
いや、実家にいたころは(やりはしなかったものの)むしろ好きな方だった。と思う。
ただ、元夫との結婚前、一緒に食事をしていて気付いたのだ。
この人とは味の好みが合わないな。と。
美味しいと思うものがことごとく違うのだ。
しかも、彼はとても味に敏感な人だった。
お店で出された料理にも「これは〇〇(調味料)が使われてるな」というような講釈を垂れたり、「クロワッサンは朝食べるもの。夜に食べるのはおかしい。フランス人は朝しか食べない」などとテレビに文句をつけたりするようなことが多く、「結婚してこれやられたら我慢できないな」と感じた私は、プロポーズ的なものをされた際、結婚しても料理はしないよ。と高らかに宣言したのだ。
すると「別にいいんじゃない?家政婦じゃないんだし」などと言う。
彼の実家では、家庭の事情で家政婦さんを雇っていた時期があったのを思い出した。育ちの違いである。
まあ、何はともあれ言質は取った。
当時は2人とも接客業だったため、勤務時間もバラバラで夜も遅いことが多く、私は自分の分すら料理はせず、ほぼ毎日外食かコンビニ弁当で済ませていた。
そんな中、2人そろって休みだったある日、どうしても鶏肉のトマトソース煮が食べたくなった私は久しぶりに自炊をすることにした。元夫も食べたいというので、買い物に出る。
しかし、時間が遅すぎたのか、目当ての鶏肉が必要な量の半分ほどしか残っていなかったのだ。
ならば、とシャウエッセンを買い込み、メニューを「鶏肉とソーセージのトマトソース煮」に変更した。
食卓に出す。
彼の第一声は「夕食にソーセージは受け入れられない。ソーセージは朝食べるもの。ビールのつまみなら分かるけど、夕食のおかずでソーセージはありえない。だからこれは食べられない。ごめんね。」だった。
は?何言ってやがんだコイツは。
ただ、食事を目前に揉めたくなかった私は、じゃあいいよ。と私の鶏肉をすべて夫に渡し、ソーセージをすべて引き取った。
が、しかし、気分はすこぶる悪い。
夫は、美味しいよ、などと言って機嫌を取ろうとしていたが、まったくもって無駄である。
私にとっては、最後の「ごめんね」も、その後の「美味しいよ」も、先ほどの発言を帳消しにできるものではなかったのだ。
味覚が違うとか、好みが違うといった次元ではない。
価値観が違い過ぎるのである。
この時、「二度と!何があっても!絶対に!今後一切!オマエに!料理は!作らねえ!」と心に誓ったのは言うまでもない。
本当ならば、「だったら食うなや」と言って目の前で捨ててやりたいくらいの気分だったのだ。
穏便に済ませただけ感謝してもらいたいくらいだ。
そりゃあ、彼と同じ価値観の人だっているかも知れない。
その人を否定する気はまったくないが、少なくとも共に生活する人として私とは絶対に合わない。それだけだ。
この事件を根に持ったまま結婚生活を続けていたある日、職場でどうでも良い議論が巻き起こった。
シチューにはパンかご飯か。
外では「細かいことにこだわらないガサツで育ちの悪い俺」を気取る癖のある彼は、当然、ご飯派を名乗った。
「シチューはご飯にぶっかけて食うもんだろ」などとイキっている。
するとこの議論が、そもそもシチューとは白か黒か。論争に発展したわけだ。
黒だと主張する人に対し、「お前、お坊ちゃんだな。シチューは白だろ」などと煽っていたが、本当の姿は「黒いシチューにバケット」人間である。
嘘つきでもあるのだ。
これが決め手になった訳ではないが、私たちは離婚した。
実家には料理上手な父がいる。
当然、それからは昔のように出されたものを食べる生活が続いた。
そして父が亡くなり、母・姉・私は大問題にぶち当たった。
誰が食事を作るのか。これは大問題だった。全員やりたくないのだ。
父が生きていた間、ほぼ料理をしてこなかった母。
レパートリーなんて少ないどころか「無」なのだ。
実家を出たことがない姉など、言わずもがなである。
消去法で食事担当は私に決まった。
それからは、スマホ片手にクックパッドにお世話になる日々。
残業で遅くなり疲れ果てた日は、サラダとソーセージを焼いて出しただけの日もあった。
文句は言われなかった。
だから続けられたのだろう。
世のご飯を作って家族に出す人たちというのは本当に大変なのである。
出される方の人たち。たとえ言い分があったとしても「言い方」には十分気をつけた方が良いと思うぞ。
数年前に一人暮らしを始めてから、すっかり自炊をしなくなっていたのだが、最近また自炊をし始めた。
今日は「ソーセージのトマトソース煮」にしてやろうと思う。