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居残り特訓は母の味(すらしない)

これはむかし話である。
が、ノンフィクションである。

今でこそ、痩せたいだのたるんだ下腹が醜いだのと自己紹介代わりに語っている私だが、子供の頃の私はそれはもう極度に痩せていた。

当時から身長は高かったため、まさに箸に楊枝が4本刺さっているようなフォルムで、それはそれは貧相な子供だったのだ。

当然、食は細かった。
いや、極細だった。
尚且つ偏食気味の私のために、母は好物ばかりを少なめに詰めて、幼稚園に行く私にお弁当を持たせてくれた。が、必要な栄養は取らせたいのだろう、それでも私には特盛り弁当に感じられた。

ただ、お腹はすくので、食べる前は多くは感じない。まだ幼児である。お腹が減っていれば全部食べられるような気がするのだ。
これくらい食べれば満腹になる、という目分量など身につけていない。
当然、お弁当の時間は楽しみなのだ。

食べ始めは。

食の細い子供あるあるだと思うが、ご多分にもれず食べるのが遅い。
扁桃腺が大きくのどの狭い子どもだった事もあり、食べ物を上手く飲み込めない。
飲み込むタイミングが分からず永遠に噛んでいるため、味がなくなり吐き気がしてくる。
こうなると、ますます飲み込むのは困難だ。
ただただ、口の中の物を「ペッしたい」気持ちでいっぱいになる。
そして、意図せずよく噛んでいるため、少量で満腹になる。

ここが地獄の始まりだ。

何度も言うが、昔のはなしである。
残さず完食するまで独り居残りで食べ続けなければならないのだ。
クラスメイトはみな園庭で遊んでいる。
先生も遊具で遊ぶ子供たちの安全のため外に出ている。
私以外、誰もいない教室は節電のためか薄暗い。
ほんとうに独りぼっちで泣きながら咀嚼を続ける。
泣いても居残っても、飲み込めないものは飲み込めないのだ。

母の日を前に、みんなが描いたお母さんの絵が壁一面に貼ってある。
自分の書いた下手くそな母の絵を見て「ママ…」と言いながら涙を流し、味のなくなったおかずを咀嚼する。
そう。まだ飲み込めないのである。

あの頃は本当に本当に辛かった。
幸いだったのは給食でなく、お弁当だったことだけだ。
もし給食だったら…好き嫌いの多い私は不登校になっていただろう。

少食は家でも同じであるから、両親も心配していたし、少しでも食べられるように色々と工夫もしてくれた。
食べてくれるのなら…と、冷めたご飯に冷たい牛乳をかけてお茶漬けのように食べても何も言わなかった。
これは思い返すと自分でも理解できないが。

それが今はどうだ。

いつからだろう。
母に「あなた、もっとよく噛んで飲み込みなさいよ…」と呆れ顔で言われるようになったのは。

本当のことを言うと、いつからかは分かっている。
小学校の4年生からだ。
この頃、身体の弱かった私はスイミングクラブに通い始めたのだ。
水泳は体力を消耗する。
それまで運動とは無縁の病弱児だったのだ。
なおのこと疲れる。そしてお腹が減る。
クラブにあるお店で半ラーメンをこっそり食し、家に帰って、まさに何食わぬ顔で夕飯を食べた。

成長期だ。
運動していることもあり、身長もぐんぐん伸びていた。
そのため痩せすぎに変わりはなかった。

そして、身長の伸びが止まりはじめた高校生のころには、学校帰りにケンタッキーでチキンフィレサンドとポテトを食べ、その足でミスドに行きドーナツを3個食べ、家に帰って夕飯を食べるようになった。
水泳はとっくにやめている。
運動は大嫌いだ。
汗をかくのが耐えられない。

そして今、大きなおばさんの出来上がりである。

世の「食べない子」を持つ親御さんへ。

大丈夫ですよ。

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