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さらば、はじめての「推し」選手

 今日は残業して、仕事を頑張ろうと思っていた。15時までは。

 「ましゃロス」「ガッキーロス」などを鼻で笑っていたが、今ならその気持ちがわかる。鼻で笑ったみなさん、すみません。「ぎわロス」で仕事になりませんでした。すみません。 

 気がそぞろになったので、さっさと家に帰ることにした。

 「よくわからないが、すみやかにこの気持ちをまとめておきたい」。

 その思いからか、冬の強風のせいだろうか、自転車で帰っている時間が、今日はいつもより5分も短かった。ありがとう、冬将軍。追い風参考。

 

シンパシー

 ゴールキーパー、高木和徹(たかぎわ・とおる)選手。僕が人生で初めて、「この人を」応援したいと思った選手だ。


 僕はかれこれ10年弱ほど、V・ファーレン長崎というクラブを応援している。毎年選手の入れ替わりが激しいチームということもあり、これまではずっとチームそのものを応援する、いわゆる「箱推し」の状態であった。

 2020年、清水エスパルスからレンタル移籍で長崎に加入した高木和選手は、下馬評をよそに、開幕スタメンで試合に出場。U-19日本代表経験者のポテンシャルを遺憾なく発揮し、ビッグプレーを連発。開幕4連勝の立役者となった。

 しかし、徐々にミスが目立ち始め、中盤はベンチを温める機会が増える。

 控えに逆戻りか……そう思っていたが、「ゴールキーパーからパスを繋ぐ」スタイルを目指していた当時の長崎で、足元に定評のある高木和選手は「替えがきかない」存在であった。第22節・福岡戦以降はスタメンに返り咲き、最終的にはキャリアハイの19試合に出場した。

 

 しかし、周囲で目にする高木和選手の評価は、決して乏しいものとはいえなかった。

 「替えがきかない」存在ではあったが、ミスが目立つ……。そして、2019年に19試合に出場した、生え抜きの人気選手であるゴールキーパー、富澤選手を差し置いてのスタメン起用……。

 ゴールマウスを守る高木和選手の表情も、どこか自信なさげな、曇りがちなものになっていた。

 

 それでも高木和選手は、ディフェンスラインの兄貴分、二見選手を中心としたチームメイトと一緒に、必死でゴールを守り抜き、J1昇格争いを最後まで戦い抜いたのだ。


 そして僕はその姿に、当時の自分を重ね合わせていた。

 

 当時の僕は、会社で自分の知識レベルに見合わない高度な仕事を任され、完全に自信をなくしていた。

 それなりに期待されて入社したはずなのに……なんでこんなこともできないのだろうか……。任されるのは嬉しいけれど、さすがに荷が重い……。

 僕は周囲の先輩社員のサポートを受けながら、まさしく泣きそうになりながらも、なんとかギリギリのところで凌いでいた。


 苦難と向き合いながら、精一杯ゴールを死守する高木和選手の姿は、そんな僕に重なって見えた。

 これが僕にとって、「はじめての推し選手」の誕生である。



いない!

 去就が不透明だった2021年、高木和選手は期限付き移籍期間を延長、引き続き長崎でプレーすることになった。

  

 毎年恒例の「ユニフォームの背番号は誰にしようか問題」も、今年はなんの迷いもない。契約更新が決まってからすぐ、21番のユニフォームを申し込んだ。

 

 そして開幕まで残り2週間。開幕に向けた準備も進み、地元紙「長崎新聞」には大きな広告が張り出された。

 

 ……高木和選手がいない……!

 

 25人も選手が写っているいる中で、なぜか高木和選手の姿がない。

 

 その数時間後に行われた、開幕への決起集会。

 「……19番、澤田崇選手。20番、大竹洋平選手。22番、鍬先祐弥選手。23番……」


 ……高木和選手が……いない……!


 あれだけ待ち望んだ開幕のシーンに、高木和選手の姿がないのである。「コンディションの問題で」という説明こそあれど、所詮は隠れ蓑的なセリフだ。僕はうろたえた。


 そして向かった開幕戦。当然のように、メンバー表に高木和選手の姿はない。せめてもの抵抗だ、グッズを買おうとショップに向かう。


 僕「高木和選手のタオルマフラーはありますか?」

 店員さん「ないですね」

 僕「在庫にもないですか?」

 店員さん「そうですね。おそらく売り切れかと。」


 ……グッズショップにもいない!

 自分で推しておいてなんだが、そこまでの人気選手ではない高木和選手のグッズが、朝10時に売り切れるわけがない!


 僕は最悪の事態を覚悟した。何か言えないようなことをやったのではないか?取り返しのつかないことになってはいないか??


 「契約解除」という言葉が頭をよぎる。

 

 3月、「全選手背番号対応グッズ」なるものが発売される。「21番」を買おうと意気込んでいると、同じ高木和選手「推し」の、友達の母がこう言う。


 「全選手」なのに……いない……!


 あまりにも不遇である。確かに「21」のユニフォームを着ている人が5人(僕と友達の母調べ)であるとはいえ、この扱いはあまりにも浮かばれない。


 なんとか見返してほしい。僕はその一心で、復活の日を待っていた。



「推し」と一緒に復帰しよう

 5月29日、レノファ山口戦。休職期間中だった僕が、社会復帰を決意したまさにその時期に、高木和選手がピッチに帰ってきた。控えではあるが、メンバー表に「高木和」の名前がある。


 6月9日、天皇杯・沖縄SV戦。カップ戦ではあるが、高木和選手はとうとうスタメンに復帰した。

 

 7月8日、天皇杯・コンサドーレ札幌戦。J1の強豪相手に、高木和選手はビッグセーブを連発。勝利に貢献し、ベスト16進出の立役者となった。

 

 そして私も同じ頃に、部署を変えて職場に復帰した。

 高木和選手が少しずつ復活の階段を上っていく後を追うような気持ちで、僕も社会復帰への重い足を一歩、一歩と踏み出していったのだ。

 高木和選手の復活への過程が、僕が一歩を踏み出す、その勇気となった。



最後の応援席

 天皇杯では活躍するものの、リーグ戦ではなかなか出番が回ってこなかった高木和選手だったが、11月13日、栃木SC戦でとうとうリーグ戦のスタメンを掴む。

 

 見事無失点で勝利に貢献した高木和選手。試合後の監督インタビューで、松田監督はこう語った。

--高木和 徹選手の起用はハイボールの強さを期待してのものだったと思いますが、評価を。

 いや、富澤(雅也)のコンディションがちょっと合わなかったということが一番の理由にありますが、高木和はどんな状況でも出てもらって構わない選手だと思っています。
 今日はたまたま彼の良さが存分に発揮されたと思いますし、久しぶりのゲームで能力的には持っているんですが、実戦となるとメンタル面がしっかりコントロールされていないと良いパフォーマンスというのは難しいと思いますが、彼は本当に良い精神状態で自分の良さを発揮してくれた。「高木和ここにあり」みたいなことをしっかり示せたゲームじゃないかなと思います。


 「高木和ここにあり」

 あれだけ不遇だった高木和選手が、これまで報われてこなかった高木和選手が、ここまで松田監督に評価された!!!

 

 嬉しくて涙が出そうだった。苦境を乗り越えて、這い上がって、ついにここまでたどり着いたのだ。

 嬉しくてモーショングラフィックスまで作った。(覚えたてのAfter Effects)


 そして翌週、J1復帰の僅かな望みをかけた首位・磐田戦。高木和選手は先週に引き続きスタメンを張る。先週行けなかった分、ここで精いっぱい応援した。

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 僕自身、完全に社会復帰がかなった状態で、同じく完全復活した高木和選手を応援できるのが、とても嬉しかったのだ。

 この試合でJ1昇格の夢は(結果的に)絶たれてしまったが、それでもなお、この場所で応援できることが、それだけで嬉しかったのだ。



新天地で

 今もまだ、高木和選手を「自分のチームの選手として」応援できないことが、どうにも信じられない。心のどこかで、「来年もまたいてくれるのでは……」。そう思っていたので、まだ気持ちの整理はついていない。

 

 惜しむらくは、高木和選手に直接「応援しています!頑張ってください!」と伝えられる機会がなかったことだ。

 もし、直接会って自分の口で、応援している人がここにちゃんといることを、きちんと伝えられていたら。

 磐田戦の時に、忙しさにかまけずメッセージのひとつやふたつ用意して、掲げていたら。

 声が出せる環境で、ゴール裏から思いを伝えられていたら。

 

 うまくボタンが噛み合えば、高木和選手がもう少し長崎のことを好きになってくれたのかなと、そのように思うと、とても惜しい気持ちになってしまう。

 

 高木和選手の新天地は、東京ヴェルディ。浦和レッズをACL制覇に導いた、堀孝史監督が率いる、Jリーグ創設当時から存在する伝統あるクラブだ。環境も整っているであろう、伝統ある素晴らしいクラブから声がかかったことが、素直に嬉しいと思っている。

 まだ26歳、ゴールキーパーとしてはまだまだ若い。ここから開花して、日本を代表する選手にまで上り詰めてくれたら、それは高木和選手にとって幸せなことに違いない。

 そして、僕自身も今、新しい部署で自分の存在価値を示そうと頑張っている。新天地で結果を求められる立場ではあるが、以前とは異なり、今は前を向いて仕事をしている。

 

 「プロスポーツ選手を応援する理由」として、こんな理由で応援していることは、本当は間違っているのかもしれない。

 けれども、同じ時期に苦しみ、同じ時期に離脱し、同じ時期に新天地で戦っている高木和選手に対して、僕はどこか戦友のような、そんな親近感を覚えているのだ。


 高木和選手が移籍したからといって、東京ヴェルディのサポーターになることはない。

 ただ、V・ファーレン長崎を応援することとはまた別の軸として、高木和徹という一人のサッカープレイヤーが幸せになれるよう、応援を続けていきたい。書きながらだんだんと、そのような気持ちになっている。


 高木和選手と同じように、自分も新たな気持ちで、自分の価値を高めていこう。今はそう思っている。

 そして、いつか誇れる自分になったら、去年今年の分まで、ちゃんと「ありがとう」を自分の口で伝えにいきたい。


【著者プロフィール】キワタ ユウ|Yu Kiwata
ライター。ソングライター。長崎県出身。大阪府在住。大学卒業後、会社員として勤務する傍ら、音楽活動、執筆活動を行っている。旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌「OWL magazine」ライター。V・ファーレン長崎(J2)のサポーターであり、現地観戦のために、月に1~2回ほど全国各地を旅している。




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