ザリガニを食す【無職放浪記・トルコ編(15)】
中国ではザリガニが人気食材で、ここ10年で消費が激増しているという。
日本では馴染みのない食材だが、食べたことのある人が言うには「味はエビとカニの中間」で「思っていたよりおいしい」とか。
エビとカニのいいとこ取りとは、どのような味なのだろうか。いつか機会があれば食べてみたいなと思っていたのだが、まさかトルコで実現するとは予想もしていなかった。
* * *
私はトルコ中部の町エイルディルに滞在していた。
一帯は湖水地方と呼ばれており、この街も三方を湖に囲まれている。観光客が少なく、流れる空気ものんびりしているので、気がつけば3日、4日と滞在時間は伸びていった。
エイルディルを歩いていると、レストランの入り口の水槽で飼育されているザリガニを見かけることがある。従業員に聞いてみると「エイルディル湖ではザリガニがよく獲れる」らしい。そのためザリガニ料理が街の名物になったのだとか。
——そうと聞いたら、食べねばなるまい。
私は自分の食の好奇心がうずうずと疼くのを感じていた。
エイルディルに滞在して5日目。翌日に次の街へ移動することを決めた私は、エイルディルでの総決算として夕食にザリガニ料理を食べることにした。
どこの店がおいしいのかなどの情報はなかったが、街外れに一軒ザリガニの看板が出ている料理店があったので、そこに入ることにする。入り口にザリガニの水槽を置いている店でもよかったのだが、なんとなく衛生面が気になって避けることにしたのだ。
メニューを開けば、ザリガニ料理が写真と一緒に載っている。ザリガニは英語で「cray fish」という。全く魚には見えないのに、fishと名前が付いているのが不思議だった。
私はザリガニの塩茹でらしき料理を注文することにした。値段は160リラ(約1300円)とかなりお高めだが、せっかくの機会なので奮発する。これにビールも合わせて合計は200リラ(約1600円)となった。
料理を待っている間に、湖を眺めながら先に出てきたビールをちびちびと飲む。
ビールは「EFES」という銘柄だった。トルコで最も普及しているビールで、安く買えることからよくお世話になっている。この店で出てきたのはピルスナータイプのものだったが、他に基本の味である「MALT」やアルコール度数が7.5%とやや高めな「XTRA」などがある。
しばらくすると、ザリガニ料理が運ばれてきた。
真っ赤に茹でられたザリガニが、皿いっぱいに盛り付けられている。おそらく30匹分はあるだろう。注文するまでは楽しみな気持ちが勝っていたのだが、いざ実物を目の前にすると食欲よりも「得体の知れなさ」が上回ってきた。
——これは本当においしいのか?
そんな疑念が頭を過ぎった。
意を決して一つ手に取る。心なしか、私の知っているザリガニより小ぶりに見える。頭と尻尾をちぎると、エビを食べる時にいつもそうしているように、まず頭の味噌を吸った。
「ウッ」
私は思わずえずく。
味噌を吸った瞬間に、口の中いっぱいに泥臭さが広がったのだ。私は慌ててビールを流し込んで口直しをした。
なんということだ。ザリガニ料理の記念すべき一口目でいきなりつまづいてしまった。下処理が十分にされていないのだろうか。それともザリガニの味噌はそもそも食べる部分ではないのだろうか。
——こっちの部位は大丈夫なんだろうな?
私は尻尾部分の殻を剥くと、中の肉を取り出す。小ぶりなので手こずるかと思ったのだが、意外とすんなり殻を外すことができた。
恐る恐る口にすると、若干の泥臭さはあったがしっかりと味を感じた。食感はエビのようなプリプリ感はなくカニのように柔らかいが、味はエビに似ている。「エビとカニの中間」というのは言い得て妙な表現だと思った。
しかし、期待していたような「エビとカニのいいとこ取り」というわけではない。やはり泥臭さは気になるし、食感の物足りなさも感じる。
それからはひたすらザリガニの殻を剥いて中の肉を口に入れる時間が続いた。ザリガニをちぎる、殻を剥く、肉を食べる。そしてビールを飲む……
途中から一体おれは何をしているのだろうと泣きたくなったが、ひたすら機械的に目の前のザリガニの山を崩していった。
完食した頃にはビールが2本空になり、外はすっかり日が落ちて暗くなっていた。手も口の周りもベタベタだ。紙ナプキンで丁寧に拭き取ると、クレジットカードで会計をした。
宿を目指して夜の道を歩く。
エイルディル湖は向かいの街の光を反射して、カラフルに光っていた。
——おれは今日、この湖のザリガニを食べたんだな。
初めてザリガニ料理を実食した率直な感想は、「まずくはないがおいしくもない」というものだった。
ただ、それは味付けがシンプルすぎたのがよくなかったのかもしれない。しっかりと下処理をして、中華料理のように濃い味付けにすれば泥臭さも気にならずおいしく食べることができたのではないだろうか。
一匹の可食部は少なかったが、殻を剥きやすいので量を食べるのには困らない。人気食材になるポテンシャルは感じることができた。
カエルでも鳩でも、そして今回のザリガニでも、いわゆる“ゲテモノ”を初めて食べた時に心の底からおいしいと感じることは少ない。大抵の感想は「食べられないことはない」だ。
しかし、それでもなぜ人は未知なる食材を食そうとするのか。
旅に例えるとわかりやすいかもしれない。その国の評判が良かろうが悪かろうが、行ったことのない国にはとりあえず行ってみたいと思うのが旅人だ。
知らない食材を食べること、初めての料理を食べること、それは広大な食の世界への旅なのである。
……ただ、しばらくザリガニ料理は遠慮したいと思う。