ミストラは世界で最も美しい遺跡かもしれない【無職放浪記・ギリシャ編(6)】
先に結論だけ書いておくとこのようなことになる。
今の時代に存在する最も美しい遺跡は、もしかしたらミストラかもしれない——と。
午前8時に荷物を担いでホテルを出た私は、近くのカフェでクロワッサンとコーヒーだけの簡単な朝食を済ませた。バス乗り場に移動すると、スパルタの隣村であるミストラへ行くバスを待つ。
この日、私はギリシャに数ある世界遺産の一つであるミストラ遺跡に向かおうとしていた。
と言っても、ミストラについては「世界遺産の遺跡である」「中世の宗教都市である」という以外に私が知っている情報はない。詳しい歴史的背景を知らなければ、外観の写真を見たこともない。
取り立てて訪れる理由はなかったのだが、スパルタで見た遺跡が心に深く染み込んできたので、もう少し遺跡というものを巡ってみようと思ったのだ。
午前9時過ぎにスパルタを出発したバスは9時半前にミストラに到着した。
遺跡の観光拠点であるミストラ村は、レストランや土産物屋が並ぶ至って普通の村だった。
バスを降りた場所から周囲を見渡してみたのだが、遺跡への道案内などは見当たらない。通りがかった住民の男性に場所を尋ねてみると、高い山の上を指差して「あれだよ」と教えてくれた。
——え、あれなのか?
私は住民の言葉をすぐには信じられなかった。
実はバスを降りた時から「山の上に遺跡っぽい建物があるなー」とは気づいていたのだが、あまりに高所にあるので別の何かだと思い込んでいたのだ。
あの場所まで歩いて行くとなると、もはやそれは登山と呼べる行為になるだろう。
麓の村から山道を30分ほど登ると、遺跡の入口に出た。とはいえここもまだ山の中腹でしかない。遺跡の全てを見るためにはまだまだ山を登らなくてはならない。
——まあ、軽く入口付近を散策できればいいかな。
私はそんな軽い気持ちでミストラ遺跡に入った。入場料はアクロポリスやミケーネと同じ12ユーロ(約1800円)だった。
一歩踏み入れて、すぐに「ここは何か違う」と感じた。
灰色の石壁とオレンジの屋根の建物群が山の斜面に沿って綺麗に並んでいる。外から見る限りでは、都市が丸ごと残されているかのようだ。
石畳の坂道に足を踏み入れた時から、私は自分の気持ちが高揚するのを抑えられなかった。
そこはまさにイメージしていた通りの「中世都市の廃墟」だったのだ。
うまく表現ができないのがもどかしいのだが、ゲームや創作物の舞台としての廃墟がそのまま目の前に現れているかのようだった。
私は熱に浮かされたように廃墟の都市を歩き回った。崩れた門をくぐり、朽ちた聖堂を覗き、壊れた石段を登っていった。夢の中に迷い込んだような……というたとえがあるが、まさに私はどこか違う世界をさまよっているかのようだった。
ビザンティン帝国時代に建てられたという王宮や貴族の居住地だった場所を見て回り、さらに石段を登っていくと一際保存状態がいい教会に出た。内部の壁画も繊細に残されている。
どうやらここは今も現役で使われている尼僧院で、修道女が暮らしているらしい。廃墟の都市で今もなお祈りを捧げる人がいることに、私は不思議な感動を覚えた。
朽ちた都市でひっそりと生き続ける教会。
それはなんとも物語に登場する幻想的な舞台のように思えた。
壁画が綺麗に保存されているハギア・ソフィア教会や、修復作業中の王宮などを見て回った後、最後に長い石段を登って山の頂上にある城塞に行った。壊れた城壁だけが残る殺風景な場所だったが、そこから望むミストラの景色は素晴らしいものだった。
山の麓にはミストラ村のオレンジ色の屋根が広がり、中腹にはさっきまで私が熱心に歩き回った遺跡の全景が見渡せる。こうして上から見ると、廃墟だったはずのミストラ遺跡が今も息づいてるように思えるから不思議だ。
山を降りて遺跡を後にした後も、高揚した気分はなかなか抜けなかった。どこか別の世界か別の時代へ迷い込み、ふとした拍子に現実へと帰ってきたような、そんな感覚だ。
美しく風化した遺跡だった。
私がミストラについて語る感想があれば、その一言に尽きるだろう。そこまで多くの遺跡を回ってきた訳ではないが、その中では間違いなく最も私の心を揺り動かした遺跡となった。
——もしかすると、今の時代に残っている中では世界で一番美しい遺跡なんじゃないのか?
もちろん、事実を確認するすべはない。しかし、ミストラ遺跡を回り終わってすぐの熱に浮かされたような状態の私は本気でそのようななことを考えていたのだ。
遺跡、もしくは廃墟と呼べるものはこれから先も時間の経過とともに生まれていくだろう。だが、この時代、この瞬間において地球上で最も美しい遺跡はミストラに違いない——と。
昼過ぎにミストラ村に戻ってきた私は、すぐに目についたレストランに飛び込んだ。ほとんど水も飲まないまま山を歩き回ったため、喉が完全に干上がっていたのだ。
おそらく夫婦で切り盛りをしているであろうレストランで、奥さんがメニューを持ってきてくれた。私は『スパルタ』という地ビールと、ローカルパスタなるものを頼んだ。地元色が強い注文内容だったためか、奥さんは嬉しそうだった。
地ビールの『スパルタ』は舌を出した男が印刷された特徴的なパッケージだったが、味は格別尖っているわけではなく飲みやすい。乾いた体に染み込んでいく。思わず一気に飲み干しそうになり、途中から意識して少しずつ飲むことにした。
ローカルパスタは麺の上に塊の肉がドンと乗っているシンプルなパスタだった。肉を少しずつほぐしながらパスタと絡めて食べていった。
昼食を食べ終えると、村の散策を始める。土産物屋が並んでいる以外は、取り立てて何かがあるわけではない。しかし遺跡歩きの疲れもあったので、泊まる場所があればこの村に泊まろうという気持ちになってきた。
歩き始めてすぐにゲストハウスを見つけたので入ってみる。清潔に保たれた感じのいいゲストハウスだったのだが、残念ながら4人部屋以外は埋まってしまっていたので宿泊は断念した。1人で泊まるのに4人分の宿泊料を支払うのは、いくらなんでも贅沢すぎる。
ゲストハウスの女将さんに教えてもらったホテルに行ってみたのだが、1泊50ユーロ(約7500円)と予算を軽々と超えてきたのでこちらも諦めた。
他に泊まることができる場所がないかとさ迷い歩いているとスパルタへ戻るバスが通りかかったので、勢いで飛び乗ってしまった。ミストラ村に1泊したかったが、ホテルがないなら仕方ない。
スパルタの次はオリンピアへ行く予定だった。言わずと知れた古代オリンピックゆかりの地である。ここには競技場の遺跡などが残されていると聞いたことがある。
しかし、私はオリンピアへ向かうのにいまいち気分が乗らなかった。
理由は大きく二つある。
一つはオリンピアがスパルタから離れた場所にあるということだ。今から迎えば到着は日が沈んだ後になる。夜中の宿探しを避けるならば途中どこかの街で降りる必要があり、旅が長引いてしまう。
もう一つの理由は、これ以上遺跡を見ても心を動かされることはないだろうという予感だ。ミストラ遺跡を見たことで、私の中の遺跡への興味はすっかり満たされてしまった。しばらく時間を空ければまた楽しむことができるのだろうが、今すぐ別の遺跡を見ても若干“食傷気味”になってしまうような気がした。
どうするか決めかけたまま、私はスパルタのバスターミナルへ戻ってきた。アテネへ戻るにしろ、オリンピアへ向かうにしろ、どちらにしろ一度はペロポネソス半島の交通の要所であるトリポリに寄る必要がある。そこまでのバスの中でもう少し考えてみるつもりだった。
ところが、バスが来てすぐに私は考えを固めた。そのバスはトリポリを経由して一気にアテネまで向かう直行便だったのだ。窓口の男性にトリポリ行きのチケットをアテネ行きに替えてもらい、私はアテネへ戻ることにした。
ペロポネソス半島の旅はわずか2泊3日で終わった。短い期間ではあったが、ひたすら過去の遺構に触れ続けたことで、なんとなく遺跡というものの見方がわかったような気がする。
もしかしたらオリンピアへ行かなかったことを後悔する日が来るのかもしれないが、その時はまたこの半島へ戻ってくればいいのだ。
旅は心残りがあるくらいでちょうどいい。
私は充実感とともに、ペロポネソス半島を後にするのだった。