カッパドキアの風景と私の心の天邪鬼【無職放浪記・トルコ編(13)】
カッパドキアと言えば奇岩地帯に気球が浮かぶ風景を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
写真でよく見かけるあの景色を見るためには、少し早起きをしなければならない。熱気球が空に浮かぶのは夜明け前から日の出の時間帯なのだ。
私はその日、スマホのアラームに起こされて午前4時半に目を覚ました。ドミトリーの同じ部屋に眠る人たちには、前日の夜に早起きをする旨を伝えてあったが、なるべく物音を立てないようにして身支度を整えると、まだ暗いギョレメの街へ飛び出した。
私が目指すのは、街のはずれにある岩山の高台だ。この場所からはギョレメの街やカッパドキアの奇岩地帯を一望することができる。頂上にトルコの国旗が翻っているので、初めてこの街を訪れた人もすぐにそれとわかるだろう。
ただ、そこに至るまでの道は入り組んでいて少々分かりにくい。初日に初めて登った時は、ツアー客の後ろをついていってたどり着くことができた。
高台に登る道の途中に受付のような場所があり、そこを通るためには5リラ(約40円)を支払わなくてはならない。実は南側からぐるっと回り道をしていけば、通行料を取られず高台に登ることができるのだが、この日の朝は時間が惜しかったので素直に5リラを渡して通ることにした。
なぜ私が回り道を知っているのかというと、たかが5リラとはいえ通行料を徴収して小遣い稼ぎをする姿勢がなんとなく受け入れられず、前日に数時間かけて岩山を反対側から登るルートを探していたからだ。
5時過ぎに、岩山の頂上に到着した。
ビュースポットは早朝にも関わらず観光客で溢れている。気球はポツポツと上がってきているが、まだ写真で見るような風景ではなかった。
気球の数がピークに達したのは、日の出前の5時半ごろだ。カラフルな熱気球が次から次へと浮かび始め、奇岩地帯を埋め尽くしていく。
高台に集まる観光客の数も増えていく。私は人の間をすり抜けながら、高台をあっちこっちに動き回って写真の撮影に励んだ。気球は近づいたり遠ざかったりしていくので、ベストな距離感で撮るためには移動し続ける必要があるのだ。
この時の私は風景を楽しむよりも、完全に写真撮影の腕試しに振り切っていた。私は少々“天邪鬼”な面があり、人が大挙して押し寄せる場所では心が冷める傾向があるのだ。
——まぁ、こんなもんか。
何枚か満足のいく写真が撮れた私は、さっさと高台を降りて宿に戻り二度寝を決め込んだ。
* * *
早朝に高台に登ったのはこの1回だけだったが、夕方から夜にかけての時間帯は足繁く毎日通った。
私の日課はこうだ。
日が傾き始めた午後6時過ぎくらいに、町外れのケバブ屋に行ってドネル・ケバブを一つ購入する。チキンケバブは35リラ(約280円)、ビーフのケバブはそれより20リラ高い55リラ(約440円)とやや高めの値段なのだが、トルコに来て食べたケバブの中でこの店が一番おいしいと感じた。
店の親父は基本的に無愛想なのだが、安いチキンケバブではなくビーフケバブを頼んだ時は接客がとても丁寧になるのが面白い。
毎回「トマト、オニオン、ソースは入れるかい?」と聞いてくるので「全部入れて」と答えていたら、3日目から何も言わずに全部入れてくれるようになった。
ケバブをテイクアウトすると、次は向かいのリカーショップでビールを購入する。トルコで最も一般的なビールは「Efes」という銘柄なのだが、同じ値段帯で「TUBORG」や「BECK’S」といった銘柄も流通しているので、気分でそっちを買うこともあった。
ケバブとビールを用意すると、南側からぐるっと回って高台に登る。こっちの道は5リラの通行料が取られない代わりに、少々足場が悪いので十分気をつける必要がある。
高台に登ると、景色が見える場所に腰を落ち着けて食事を始める。日が落ちて来て、ポツポツと明かりが灯り始める光景を眺めながらケバブを頬張っていると、なんとも贅沢な気分になる。
完全に日が落ちて夜になると、幻想的な景色が広がる。街全体がオレンジ色の光に包まれ、ライトアップされた奇岩が夜の闇の中に浮かび上がってくる。
ギョレメの夜景はいつまでも眺めていられた。
街は完全に観光客向けの姿になってしまってはいるのだが、遠目から見る限りでは自然の中に溶け込んだ一つの風景のように感じられる。
私はあまりにも観光地化した街を「テーマパーク」と呼んで敬遠する傾向にあるのだが、夜のギョレメに対してその感情は湧き上がってこなかった。
同じ場所から眺めているのに、気球が上る朝の風景と感じ方が異なるのはなぜだろうか?
一つ思い当たるのは、事前に写真や映像でその光景を見ていたか見ていないかという違いだ。気球の景色は何度も見たことはあったが、ギョレメの夜景はどこでも目にしたことはなかった。
もちろん、憧れた景色を実際に見て心が震えることもある。イスラエルの街エルサレムやエジプトのピラミッドなどはまさにそうだった。しかし、大勢の他人が切り取った景色を“再確認”するだけの行為は、どうも私の中の天邪鬼は基本的に好まないらしい。
——ままならんなァ、自分の心というのは。
しかし、だからこそ自分が見つけた景色はいつまでも眺めていられるのかもしれない。
ビールを飲み終えた私は高台の露店でワインを購入し、元の場所に戻って夜景鑑賞を続けるのだった。