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スパルタと残骸【無職放浪記・ギリシャ編(5)】

 ギリシャのペロポネソス半島を巡る旅をしている。

 ミケーネの遺跡を見学した後、近くのアルゴスという街で宿を取った。次の目的地は南へ下った場所にあるスパルタなのだが、アルゴスから直通のバスはない。そのため、半島の交通の要所であるトリポリを経由する必要がある。

 前日にチケット売り場の女性から午前9時20分にトリポリ行きのバスが出発すると聞いていた。余裕を持ってホテルを出たはずなのだが、アルゴスのバスターミナルに到着したのは出発時間ギリギリの9時10分のことだった。うっかり別の道に入って迷ってしまったのだ。

 バスは10時半頃にトリポリに着いた。ここでスパルタ行きのバスに乗り換えるのだが、次の便が来るのは2時間後とのことだった。トリポリのバスターミナルには小さなカフェがあったので、朝食兼昼食としてコーヒーとサンドイッチを食べた。

トリポリのバスターミナル


 スパルタに到着したのは午後2時半になってのことだった。バスの待ち時間が長かったとはいえ、5時間もかかったことになる。ペロポネソス半島の移動はバスの数が少ないこともあってなかなかしんどい思いをさせられる。

 田舎町だったミケーネに比べると、スパルタはいくらか都市の匂いが感じられた。インフォメーションセンターに立ち寄って街の地図をもらうと、ついでに安いホテルがある場所を教えてもらった。
 その際にスパルタのガイドブックももらったのだが、無料で配布しているとは思えないしっかりとした作りと厚さだった。街ぐるみで観光に力を入れているのだろうか。

無料とは思えない厚さのガイドブック。結構重い

 紹介してもらったホテルは1泊30ユーロ(約4500円)と、私のような格安旅行者からすればかなりお高めな値段だった。

 ペロポネソス半島では、いわゆるバックパッカー向けのゲストハウスを見つけるのは難しい。とはいえ、しっかり値段相応の清潔な部屋に泊まることができているのだから文句は言えない。私は部屋に荷物を置くと、街の散策を始めた。

 まず訪れたのが、レオニダス王の墓だ。
 レオニダス王は“スパルタの英雄”と称えられた王で、ギリシア世界を侵略するペルシアとの戦争でその勇名を轟かせることになる。300人の親衛隊を率いて20万人を超えるペルシア軍と真っ向から激突。彼自身は戦死してしまうものの、敵軍の進撃を食い止めて時間を稼いだことでギリシア連合軍の勝利に大きく貢献したという。

 その英雄的な功績に似合わず、墓は質素なものだった。公園の片隅にひっそりとあり、一度は見逃してしまったほどだ。
 パッと見ただけでは、古ぼけた石がいくつか重なっているという印象しか受けない。しかしその簡素さが、文化的な遺産を一切残さず歴史に消えていったスパルタという国らしさなのかもしれないとも思った。

“スパルタの英雄”レオニダス王の墓

 街のメインストリートを真っ直ぐ北に歩いていくと、レオニダス王の像がある。トサカのような飾りのついた兜を被り、剣と盾を構える像はカッと目が見開かれていて、恐ろしさや迫力が感じられる。

レオニダス王の像。後ろはサッカー場になっている

 レオニダス王の像のすぐ後ろにはサッカー場がある。確かスパルタにもプロのサッカーチームがあると聞いたことがあるので、その本拠地なのだろう。

 サッカー場の脇を通り抜けるように道を進んでいくと、スパルタの遺跡に出る。
 こちらはミケーネの遺跡とは違い入場は無料だ。しかしそれも納得と言うべきか。そこにあったのは遺跡や廃墟というよりは“都市の残骸”だった。

 何も残っていない。
 本当に何も残っていない。

 かろうじて石壁の一部や建物の基礎部分はあるのだが、元の姿がわかるようなものではない。本当にここに都市があったのかと、疑わしく思ってしまう。

スパルタ遺跡

 だが、その荒れ果て具合が見た者の想像力を掻き立てるのだろうか。私のほかに数人いた観光客は、じっくりと壊れた石壁を観察していた。

 緩やかな坂道を登っていくと、都市の象徴とも言える劇場が見える丘に出る。こちらは座席の石段が残っているため、当時の姿を多少なりとも想像することができる。

劇場の遺跡。奥にタイゲトス山脈が見える

 劇場の向こうにはオリーブの樹が生い茂り、その向こうにはスパルタの街が見える。そのさらに向こうにはペロポネソス半島を隔てるタイゲトス山脈が広がっている。

 古代スパルタでは生まれたばかりの幼児をワインに漬け、体が真っ赤になったら未熟児と見なしてタイゲトス山脈の山の上から放り投げていたという逸話がある。現代で言うならパッチテストで肌が赤くなった者は殺されるというところだろうか。

 曇り空の影響もあるだろうか。私はミケーネの遺跡で味わった以上の甘美な寂しさがこみ上げてくるのを感じていた。

 武力で古代のギリシャを暴れ回ったスパルタは、国の偉大さを示すような遺構を何も残さなかった。
 しかしそれは燃え上がるだけ燃え上がり、後には真っ白な灰だけが残っていたかのような潔さであるかのように思えた。

      *  *  *

 街に戻った私は、ギリシャの居酒屋であるタベルナに入り、デキャンタのロゼワインと串焼き料理のスブラキ、そして季節のサラダを注文した。

 スブラキはギリシャに入ってから毎日のように食べているのだが、今回印象に残ったのはサラダだ。
 刻んだ葉物だけのとてもシンプルなサラダで、運ばれてきた時は緑一色の見た目にがっかりした。しかし一口食べた時には、思わず「うまっ」と声を上げていた。味付けはオリーブオイルと塩だけなのだが、やけに味わい深い。飽きもこず、いくらでも食べられそうだ。

やけにうまかったレタスのサラダ

 何か特別な野菜なのかと思い店員の女性に「この野菜は何ですか?」と聞いて見たところ、「レタス」と短い答えが返ってくる。
 ただのレタスがこれほど美味しくなるのは、オリーブオイルが良質だからだろうか。合計で12ユーロ(約1800円)とやや高くついてしまったが、私は満足だった。

 明日はスパルタからバスで行ける距離にあるミストラという遺跡に行こうと予定を立てた。名前だけは本を読んで知っていたのだが、歴史的背景やどのような遺構が残されているのか全く知らない場所だ。

 さっさと次の街に行ってしまうのも、もちろん選択肢にあった。しかしスパルタを想像以上に堪能することができたので、せっかくだからもう少し遺跡というものを味わってみたいと思ったのだ。

 何も残っていないからこそ、スパルタだった。
 今回の旅を経て、遺跡というものへの新しい捉え方が見えたような気がした。

遺跡内の道

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