ペロポネソス半島への旅【無職放浪記・ギリシャ編(4)】
アテネのホテルを午前8時にチェックアウトした私は、バスターミナルを目指して市内を歩いていた。
私がバスに乗って向かおうとしているのは、アテネから西へ行った先にあるペロポネソス半島だ。
世界史をかじったことがある人ならば、ペロポネソスという名前になんとなく聞き覚えがあるかもしれない。この半島では“スパルタ教育”の名前の元になったスパルタや、青銅器文明が花開いたミケーネといった都市国家が栄えた歴史がある。
スパルタを中心とした半島勢力の同盟は、当時最も勢いのあった都市国家アテナイをも撃破し、この戦争はそのままペロポネソス戦争と呼ばれている。
とはいえ、歴史的に見ればこの時代がペロポネソス半島の“全盛期”ということになるだろう。現代においては、アテネ周辺がギリシャの中心部なら、ペロポネソス半島はギリシャの田舎という位置付けらしい。
私の目当ても、ミケーネやスパルタといったかつての都市国家の遺跡にあった。
正確に言えば、それ以外に何があるのか知らないというだけなのだけれども。
アテネにはバスターミナルが2つあり、ペロポネソス半島に向かうバスはリユリシオン・バスターミナルで発着しているらしい。ホテルを出た私は1時間ほどかけて、中心部から5キロほど北にあるリユリシオン・バスターミナルまで歩いていった。
ギリシャのバスターミナルを訪れるのは初めてだったが、バス会社が軒を連ねている様子はトルコとそう変わらない。ミケーネ行きのバスを扱っているのは、バスの出入り口に最も近いバス会社だった。10ユーロ80セントを支払ってチケットを買うと、目の前に停まっているバスを指さされる。どうやら出発する直前だったようで、私が乗り込むとすぐにバスは走り出した。
バスはしばらく市内を走っていたが、30分ほどで海沿いの道に出た。これが本土と半島を隔てるサロコニス湾だろう。私は車窓から朝の光を受けてキラキラ光る水面を楽しんだ。
ペロポネソス半島に入ると、ガラリと景色が変化する。なだらかな丘陵が続くようになり、アテネで見たアクロポリスのような切り立った丘をあちこちで目にするようになる。
出発して2時間ほど経った頃、バスの運転手が振り返り「ミケネス、ミケネス」と声を上げた。どうやらミケーネに着いたらしい。
その停車場でバスを降りた乗客はなんと私1人だけだった。さらに周辺は人気が感じられないガランとした雰囲気で、心細さに拍車をかけてくる。
一体どちらに歩けばミケーネの遺跡に行けるのだろうか。私が途方に暮れていると、男性が近づいてきて「タクシー?」と声をかけてきた。
私が「歩いてミケーネの遺跡に行きたい」と話すと、男性は特に機嫌を悪くする様子もなく「それならこの道を真っ直ぐ30分歩いて行けばいい」と教えてくれた。
田園風景が広がる道の中を暑い思いをしながら歩いていくと、こじんまりとした町に出る。ちょうど昼時だったので、情報収集も兼ねて一軒のレストランに入った。メニューをもらって眺めていると、店の親父がやってきて「ビーフが特別価格で8ユーロだ。食べるかい?」と話しかけてきた。
そう言えば、しばらく肉を口にしていないことを思い出した。私は特別価格だというビーフをありがたく注文する。出てきたのは煮込んだ牛肉で、久しぶりに食べる塊肉を堪能することができた。
親父に話を聞くと、この辺りの宿はどこも一泊50ユーロはするらしい。いわゆるユースホステルのような安宿はないのだという。近くにキャンプ場があり、そこは8ユーロで泊まることができるのだが、残念ながらテントを持っていなかった。
親父は「ミケーネの遺跡に行くなら、ここに荷物を置いていったらいい」と言ってくれた。この暑さの中で重いザックを背負って歩くのはしんどいが、遺跡に向かう道中でもしかしたら安いホテルが見つかるかもしれない。親父の申し出はありがたかったが、そのまま背負って歩くことにした。
ミケネスの町からミケーネ遺跡までは、上り坂が続いていく。
アテネのアクロポリスもそうだったが、この時代の都市は敵が攻めにくいように高台に建設されている。そのため、遺跡を見学する現代の観光客もしんどい思いを強いられるのだ。
ところが、徒歩で遺跡を目指しているのは私ぐらいだった。歩いている横で、車やバスがひゅんひゅんと私を追い抜いていく。
やっとの思いで坂道を登りきり、遺跡の入口に到着した。入場料は12ユーロ(約1800円)。アテネのパルテノン神殿と同額だ。
入場して少し歩くと、2頭のライオンが彫られた門が見える。頭部がもげたなんとも痛ましい姿をしているのだが、このライオンこそがミケーネの繁栄を示す象徴だったらしい。
門をくぐって中へ入ると、石壁だけがかろうじて残った廃墟の風景が広がっている。
そこにどのような建物が建っていたかは、説明パネルのイラストからでしか伺うことはできない。おそらくは最も綺麗に形が残っているであろう円形の場所には『グレイブサークル』、つまり墓地があったと書かれていた。
私は廃墟の都市を歩きながら、甘美な寂しさを感じていた。自分だけがこの風化した世界で生きているかのような、そんな感覚だ。
ところが、私の優雅な散策を脅かす出来事が起こる。
石に腰掛け下界の風景をぼんやりと眺めていると、中学生か高校生くらいの男女の集団がぞろぞろと歩いてやってくるのが見えた。ギリシャの学生の修学旅行か何かだろうか。
それまで寝静まったかのように静かだったミケーネの遺跡が、学生たちの到来によって一気に騒がしくなってしまった。私が感じていた甘美な寂しさも、風に吹かれた雲のようにさっと吹き飛んでいく。
もう少しじっくりと眺めていたかったのだが、私はミケーネを後にすることにした。ツアーや修学旅行を悪く言うつもりはないのだが、廃墟や遺跡は静かに見学しなければ、その魅力は十分に味わうことができない。
もしかしたら、私がアテネのパルテノン神殿に心が動かされなかったのも、周囲の騒がしさが原因にあったのかもしれないなとも思ったのだった。
来た時に登った坂道を今度は下り、町中に戻ってきた。昼食を食べたレストランに立ち寄り、コーラを注文する。歩き続けて乾いた体に、爽やかなコーラが染み込んでいく。
「スパルタに行きたいんだけど、ここからはどうやって行くのかな」
私がそう尋ねると、店の親父は怪訝な顔をした。
「どうしてスパルタなんて田舎に行こうとしているんだい?」
ミケーネも十分に田舎なのではないかと思ったのだが、そこには触れなかった。
「古代ギリシャの歴史が好きなんだよ」
特別古代ギリシャに思い入れがあるわけではないのだが、最もらしい理由を答える。親父は「そうかそうか。お前はエンシェント・グリースが好きなのか」と嬉しそうに頷いていた。
親父が教えてくれたところによると、スパルタに行くためにはペロポネソス半島の交通の中心地であるトリポリという街に行かなければならないらしい。しかしミケーネからトリポリへの直行のバスはないため、先にこの辺りで一番大きい都市であるアルゴスに行く必要があるという。
知りたい情報を教えてもらった後は、しばらく親父のバイク話に付き合った。親父はHonda製のバイクを愛用しるようで、その愛をとくとくと語っていた。
バスを降りた場所に戻ってくると、アルゴス行きのバスを待つ。親父は「すぐに来るから大丈夫」と話していたのだが、30分待っても1時間待ってもそれらしき影は来なかった。1時間半ほど待ちぼうけをくらい、ようやくバスが来たのは午後4時前になってのことだった。
バスは10分ほどでアルゴスのバスターミナルに到着した。
チケット売り場で「今日か明日のバスでスパルタに行きたい」と伝えると、受付の女性はパソコンで調べた後に「今日の便なら午後9時半の到着になるわ」と答えた。
——夜の9時半か……さすがに遅いな。
夜中の到着ではホテルが見つからないかもしれない。アテネのような都会ならばともかく、小規模の町では宿探しの難易度も高くなりがちだ。私はおとなしくアルゴスで一泊し、明朝の便でスパルタに向かうことにした。
「この辺りにホテルはありませんか?」
女性にそう尋ねると、「この道をしばらく真っ直ぐ行ったところに広場がある。その周辺ならいくつかホテルがあるわ」と教えてくれた。
言われて通りに歩いていくと広場に出た。アルゴスは思っていたより大きな都市のようだ。広場の周辺には高級そうなホテルが立ち並んでいる。また広場から見える高い丘の上に遺跡が見えた。自分が知らないだけで、割と有名な観光名所なのかもしれない。
しかしここもいわゆる安宿はないようで、結局1泊40ユーロのホテルに泊まることにした。もう少し粘りたかったのだが、対応してくれた受付の女性が1人分の宿泊料で2人用の部屋に泊まることができるようオーナーと電話で交渉してくれたので、「他のホテルも見てみます」とは言い出しにくかったのだ。
料金の分、部屋は広くて綺麗だった。ちょっとしたバルコニーもあったので、私は近くのスーパーでビールとつまみを購入して晩飯の代わりにした。
明日はスパルタの遺跡を訪れる。
できれば騒がしくなければいいなと願いながら、私は柔らかいベッドの上で眠りについた。