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思い出のペンケース

1989年。元号が昭和から平成になったころ、小学校低学年のわたしは、個人の学習塾へいくことになった。

塾を開いていたのは、小学校教員を定年退職されていたおばあさん、K先生だった。

教室は、自宅の離れを使って近所の子供を対象に5、6人程度。
私以外は近くの小学校の男の子、学年もばらばら。なぜ学区外の車で20分はかかる個人塾を母が見つけたのかはいまだに謎である。



塾は畳の部屋にテーブルを囲んで生徒が座り、先生が用意した市販のドリルを指示があったところまで解き、先生が丸付け、間違えたところは解説、解き直しというシンプルなものであった。

私は塾内で最年少(1年生か2年生)ということもあり、先生の隣が定位置だった。

子どもたちに問題を解かせている間、K先生は暇なのでよく手芸をされていた。

K先生の趣味はレザークラフトだった。

授業中の空き時間に先生は、デザイン画を描いていたり、ヌメ革に様々な模様の刻印を木槌で打っていたり。ドリルを解くわたしの隣で容赦なく「ガン!ガン!」と木槌で模様を打ち付ける(笑)。K先生はやんちゃな小学生男子には雷を落とすので私の中ではちょっと怖い。だからその様子はチラ見しかできなかった。

作業は、デザイン画を描くと、ヌメ革を裁断。模様付けをする。色を塗って、乾いたらファスナーやボタンといった部品をつける。最後に艶出しクリームを塗って完成。後にその時作っていたものは私のために作っていたものだったと知る。

普段の先生は、青や緑系の小物を作っていたのに、今回は今までとは違う赤系でつくっていたのが不思議だった。ある時に、「これ、あなたに。」とその時つくっていた完成品をくださった。

ペンケースだった。

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赤地に黄色や赤、オレンジ色のチューリップが描かれたペンケースだった。

K先生は塾では怖かったけれど、やさしい一面もあった。


教科書を塾へ置き忘れてしまった時。

翌日、学校でその教科の授業の際、「塾に忘れてきた!」と気付いた。
授業が始まる時、担任の先生に「教科書を忘れました」と言ったら、ニコニコしながら「はい、これ」と教科書を渡してくれたことがあった。
実は、塾のお向かいの家が偶然にも学校の担任の先生のご自宅があり、届けてくださったのだ。

塾は2年ほど通って退塾してしまったけれど、いただいたペンケースは当時のキャラクターもの全盛期の私にはどこか気恥ずかしく、あまり使うことなくかなりの年月が経った。

そして、今から10年ほど前に、実家を掃除していた時にこのペンケースを見つけた。

ずっとこのペンケースの存在を気にしていた。

当時小学生の自分のために色々とデザインを考えてくれたと思う。
いろんな思いがこみ上げて居てもたってもいられず、実家から持ってきて使っている。

当時鮮やかな色味は経年で落ち着いた色に変化していた。

定期的に革用のクリームを塗り、メンテナンスをしている。
ファスナーやボタンもまだまだ現役だ。

世界でひとつだけのペンケース。

ずっと大切にしたい一生ものの宝物であり、一生の相棒。
これからもどんなときもよろしくね。

                             <おわり>


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