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衛星データコモンズが拓く人類の未来


はじめに

人工衛星は以前ご紹介しましたように(こちら)、気象衛星「ひまわり」などの地球観測衛星、カーナビなどの位置情報を提供する測位衛星、BS放送などを提供する通信衛星と、主に3つの形態があります。

現在、多数の衛星が地球低軌道に配置され、コモンズ(共有資産)としての宇宙空間や周波数に限りが出ており、新しいルールメイキング、ガバナンスが必要という点を以前(こちら)紹介しました。今回は、これら人工衛星から得られるデータが、はたして共有材として、デジタルコモンズとして地上で使われているのか、また、地球におけるコモンズにどのように関わっているのか、それらを探索していきます。

デジタルコモンズ

オストロムが2009年にノーベル経済学賞を受賞し、コモンズ論に火がつくと、コモンズ・ルネッサンス[1]がもたらされ、牧草地や森林のような伝統的コモンズだけでなく、教育や医療、知識などのニューコモンズにも注目されるようになりました[2] 。その1つがデジタルコモンズです。

古代から、知識や情報は人類共通のコモンズとして共有されてきました。例えば、火のつけ方、荒廃地での再生農業、ヤシからのデンプン採取方法、近親交配を避けるための婚姻制度などです。産業革命以降、科学や技術の発展とともに、知識コモンズの価値は高まり、知的所有権の強化、知識の商品化が進みました。さらに知識、情報のデジタル化が進むことで、データが価値創造の源泉となり、囲い込みも進んでいます。GAFAなどの巨大IT企業は、我々の生活を豊かにしている一方で、個人データの囲い込みも進めています。

このような中、知識や情報を人類共有のコモンズとすべきという動きもあり、LinuxやWikipediaなどのようにオープンに活用されるソフトウエアやデータベースもあります。また、欧州ではGDPR(一般データ保護規則[3])という個人データを保護するルールが制定され、GoogleやAmazonが多額の制裁金を科せられています。GDPRの根底にはコモンズの理念が現れ、政府でもなく、巨大IT企業でもなく、「コモンズ」としての個人データ管理の可能性が探索されています[4] 。

▼Amazonに罰金970億円

欧州当局、Amazonに罰金970億円 GDPR違反で過去最大 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

デジタルデータが行き交うサイバースペースもまたグローバル・コモンズの1つです。サイバースペースの軍事的影響が拡大するにつれて、コモンズとしてのサイバースペースの運用は、ともすれば牧草地よりも脆弱なコモンズであり、重要な課題になっています[5]。生成AIによるデジタルコモンズの変化も予想されます。このようにデジタルコモンズが胎動する中、衛星データもそれらと融合し、活用されはじめています。

コモンズとしての宇宙デジタルデータ

・測位データ

スマホやカーナビなどのナビシステムは、測位衛星(GPSなど)により成り立っています。GPSは元々、アメリカの軍事システムでしたが、大韓航空機追撃事件を契機に、このような悲劇が二度と起こらないようにと、米国レーガン大統領のもと、コモンズとして利用されるようになりました[6]。位置情報データは様々な地上デジタルデータ、デジタルコモンズと融合し、観光・防災・交通・消費行動分析など様々な場面でますます活用されています。

・観測データ

地球観測データは、政府衛星では無料のもの、民間衛星では有料のものが多く、価格は数万円(アーカイブ)~数100万円(高解像度、新規撮影)など様々です[7][8]。これらは利用者が相応の負担をすることで共有のコモンズとして利用されています。衛星データは、地上の各種ビッグデータやデジタルコモンズと融合して、農業や金融、保険、都市計画など様々な産業で活用が進んでいます。また、衛星コンステレーションによるリアルタイム地球観測、衛星の小型化・低コスト化、ロケットの低コスト化・ライドシェアなどにより、より豊富で安価なデータ利用が進むでしょう。

・通信データ

衛星通信サービスは、従来、静止衛星(高度3.6万km)が使用されデータ遅延が課題でしたが、最近は民間企業による地球低軌道衛星コンステレーション(高度数100km)が登場し、高速・低遅延の通信が実現しています。これらにより、インターネットが届かなかったような地域でもコモンズとしてのサイバー空間が世界中に広がるとともに、海上や山間部、災害により地上通信が断絶した地帯でも通信が可能になっています。また、日本を含む各国で、衛星間の光通信ネットワークも検討されており[9]、宇宙空間を利用した、インターネット利用はますます拡大し、コモンズとしての地上無線、wifi[10]と融合して活用されていくことでしょう。

地球コモンズへの宇宙からの貢献

宇宙空間に配置された衛星は、地上のコモンズ、ウェルビーイングでサステナブルな生活にどう貢献しているのでしょう?例として、コモンズとしての森林への貢献を見ていきましょう。

森林は、古代から人類が使ってきたコモンズの1つです。山菜採り、薪拾いなどに利用される森林は、日本では養老律令(718年)で「山川藪沢之利公私共之」と規定され、コモンズとして大切に利用されてきました[11]。現在でも、森林は、水や空気の浄化、防災など我々の生活に欠かせない重要な役割を果たしています。

森林の炭素量把握

森林は、光合成を通じて二酸化炭素を吸収し炭素を貯蔵するため、地球温暖化の抑制に大きく貢献しています。また、パリ協定における二酸化炭素の排出削減目標などに対応するため、森林の炭素蓄積量を把握することも求められています。
一方で、現地調査による計測は多大な時間と労力を要します。例えば、アマゾンで1区画(20mx125m)ずつ樹木を採取して炭素含有量を計測する場合4年の歳月を要します。また、区画へのアクセスには先住民の許可も必要ですし、噛まれたら死ぬ毒蛇もいます。そこで、国境に関係なくグローバルなデータを収集できる衛星を活用することにより、森の地形や構造などの地上データと組み合わせ、アマゾン全体の炭素量を効率的に計測することが可能になりました [12]。衛星は毒蛇に噛まれることもなく安全で、これらをもとに地球温暖化抑制への道筋が描かれています。

衛星画像:アマゾン川とリオネグロ川の合流点(Credit:NASA)

森林伐採の監視

アマゾンに数千年にわたって暮らす先住民は「人間が森を大切にすれば、森も人間を大切にしてくれる。」と言います[13]。
しかし、1980年代、ブラジルではジャングルの人口を増やす政策の一環として、森林伐採が行われました。その結果、温室効果ガスの大量排出、生物多様性の減少など様々な環境問題が引き起こされました。これを危機と感じたブラジル大統領のルラ氏(任期:2003-2010、2023~)は、森林伐採阻止を政策の柱に据え、チェーンソーの有料回収や、伐採阻止ができなかった州への資金提供の停止、違法伐採地産の製品販売の禁止、衛星による違反者の監視など様々な対策に乗り出しました。その結果、森林伐採率を大幅に削減(55%~70%低下)することに成功しました[14, 15]。
ルラ氏は「地球には、生きて呼吸するアマゾンが必要」と訴え[16]、その強い意志(ソート)のもと、衛星監視を含めた様々な施策により、サステナブルな森林保全を実現しました。このように人間が森を守ることで、森もまた人間を守ってくれるでしょう。


森林浴と健康

森林浴は、ウェルビーイングな森林の使い方の1つです。霊長類から進化した人間にとって、森林は長い歴史の中で共生してきた大切な場所です。また、日本人の自然観は、欧米と異なり、自然を征服の対象ではなく人間と同等の存在と考え、森林で癒し効果を得る機会も得てきました[17]。「Shinrin-yoku」という言葉は、1998年に国際科学誌で本格的に登場して以来[18]、英語でも使われる日本語の1つとなっています。森林浴には、ストレス減少、血圧低下、心拍数正常化、免疫力向上など、様々な健康効果があることが科学的に確認されています。現在、森林浴の人間への影響については、学際的な研究が広がっており、土壌のDNA解析や衛星によるリモートセンシングなどの技術も用いられ、例えば、微生物データと衛星の植生データ、健康データなどを統合することで、生物多様性と人の健康との関係、住宅の自然環境近接性と慢性疾患の関係などの疫学データが提供されています [19]。

このように衛星は、森林だけを見ても、炭素蓄積量の把握、森林伐採の監視、森林浴効果の科学的検証など、様々な側面から私たちのサステナブルでウェルビーイングな生活に貢献しています。宇宙コモンズを考えることは地球コモンズを考えること。これからも、人類の未来を拓く宇宙コモンズの探索を進めていきます。宇宙コモンズのルネッサンスを目指して。

文:IISEソートリーダーシップ推進部 佐野智
JAXAに長年勤務し社会課題解決に向けた新規宇宙事業創出に尽力。内閣府(衛星を利用した社会実装プログラムを推進)を経て現職。博士(理学)。

参考文献

[1] Clippinger, John, and David Bollierm, 2005, A Renaissance of the Commons:, Massachusetts Institute of Technology
[2] Hess, Charlotte,2008, Mapping the new commons, Social Science Research Network
[3] General Data Protection Regulation, EU官報, L119, 4/5/2016, p1-88
[4] 土屋大洋, グローバル・コモンズとしてのサイバースペースの課題, 日本国際問題研究所 平成26年度研究プロジェクト 「グローバル・コモンズにおける日米同盟の新しい課題」分析レポート
[5] Mitsuhiro Takemura, 個人データの「コモンズ」は可能か, WIRED, 2018/1/26
[6] 福島康仁, 宇宙利用をめぐる安全保障-脅威の顕在化と日米の対応-, グローバル・コモンズ(サイバー空間、宇宙、北極海)における日米同盟の新しい課題, 平成25年度外務省外交・安全保障調査研究事業(調査研究事業)
[7] 宙畑, 日本全域で0円~38.87億円!?衛星画像・データの価格まとめと今後の展望、2018
[8] 地球観測衛星データを社会インフラとして利用定着させるための方策の調査検討, 計測と制御, 第53号, 第11号, 2014
[9] 宇宙技術戦略 - 内閣府, 宇宙政策委員会, 令和6年3月28日
[10] RIETI - コモンズとしての電波ディジタル無線技術と電波政策, 池田信夫, 経済産業研究所, 2002
[11] 三井昭二, 森林からみるコモンズと流域, The Japanese Association for Environment Socilogy, 1997
[12] 外務省, アマゾン奥地での調査と衛星データで炭素量を解明, 援助の現場から8,2023
[13] Rod Griffin, Deep inside the Amazon, Indigenous leaders are fighting to preserve the rainforest and stabilize the climate, Vital Signs, 2023, Environmental Defens Fund
[14] Lorenzo Morales, Mighty Agro-lobby threatens reforestation of Amazon- Our World, United Nations University
[15] ブラジル・アマゾンの森林伐採、昨年は前年比で半減。ルラ政権の自然保護策が効果。代わりに隣接するセラード・サバンナでの開発が増大。農業ビジネスとの調整が課題(RIEF) | 一般社団法人環境金融研究機構
[16] BBC, Twelve governors also elected in Brazil's second round , 2022 October 31
[17] 小林功ら,森林浴の歴史について ,2013年,群馬パース大学紀要第15号別刷[18] Ohtsuka Y, Yabunaka N, Takayama S. Shinrin-yoku (forest-air bathing and walking) effectively decreases blood glucose levels in diabetic patients. Int J Biometeorol. 1998;41:125–7.
[19] JM Craig, et al.,Natural environments, nature relatedness and the ecological theater: connecting satellites and sequencing to shinrin-yoku - PubMed J. Physiol. Anthropology, 2016, 35:1