ソートリーダーシップの実践事例【Vol.6】 宇宙開発ソートリーダー列伝~黎明編~
ビジネスの世界では古今東西、様々な創造的取り組みが為されてきました。後から振り返ると、「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」の教科書的な事例、ケーススタディといえるものも少なくありません。様々な事例をビジネスの潮流や市場の拡大などの実績から俯瞰的に見つめなおし、学ぶべきところを見つけ出していきます。
宇宙開発の開拓者たち=ソートリーダー
古今東西、宇宙開発という事業は、次世代の若者に夢と希望を与えるとともに、事業実施に必要となる資金的人的リソースが莫大なことから、その事業遂行にあたっては、ワクワクするソート(構想、理念、考え)が仲間を呼び、事業が拡大・発展してきました。
宇宙開発の先駆者たちはソートリーダーに必要な力(専門性、課題を見つける力、哲学・思想→詳しくはこちら)を有し、それらを言語化・ビジュアル化・ナラティブ化しながら、ステークホルダーの「共感」を得てきたのです。
宇宙開発の父、コンスタンチン・ツィオルコフスキー。
ロケットの父、ロバート・ゴダード。
SF小説界のビッグスリー、アーサー・クラーク。
そして日本の宇宙開発の父、糸川英夫。
今回はソートリーダーシップの実例として、彼ら4人の「宇宙開発の開拓者たち」の足跡を振り返っていきます。
※IISEが考えるソートリーダーシップの定義はこちらをご参照ください
【宇宙開発の父】コンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857-1935)
ロシアの科学者であるツィオルコフスキーは、ロケットを使えば宇宙空間へ行けることを人類で初めて数理的に証明(新しい思想を言語化)し、「宇宙開発の父」と呼ばれています。生涯で500以上の論文を執筆し、人類は宇宙に出ていくというワクワクする思想(ソート)を次世代のエンジニア・研究者に醸成するとともに、様々な宇宙テクノロジーが彼の理論に基づき考案されました。ツィオルコフスキーの理論は、指名買い状態ということができます。
彼の影響を強く受けた一人であるセルゲイ・コリョリョフ(1907-1966)は、後にソ連のロケット開発指導者となり、1957年に世界初の人工衛星「スプートニック」を打ち上げ、さらに1961年にはユーリ・ガガーリンによる人類初の宇宙飛行という人類の新たな活動(新市場創出)につなげました[1]。
ツィオルコフスキーが後世に残した「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう」という思想(ソート)は、100年以上経った今でも宇宙科学者・宇宙エンジニアたちの脳裏に深く刻まれています。
現代の宇宙開発ソートリーダーといっても過言ではないイーロン・マスク(Space-X社CEO)もまた、ツィオルコフスキーの思想に大きく影響を受けた一人です。「人類を複数の惑星に居住する種にする」という思想を打ち出し[2]、それに向けて新たな宇宙市場を開拓しています。
これから人類が地球から旅立ち、火星や太陽系外探査などに進んでいく中、ツィオルコフスキーの思想(ソート)は、ますます語り続けられることでしょう。
【ロケットの父】ロバート・ゴダード(1882-1945)
アメリカの発明家であるロバート・ゴダードは、現在、当たり前のように使われている液体燃料ロケットや、2段式や3段式ロケットを世界で初めて発明、特許を取得(新しい思想の言語化)しました。1926年には世界初となる液体燃料ロケットの打ち上げ(新たな思想のビジュアル化)に成功し、現代ロケットの基礎を築いたことから「ロケットの父」と呼ばれています[3]。
さらにゴダードは、ロケットの推力を大きくするノズルや、ロケットを安定制御するジャイロスコープ、廃棄できる燃料タンクなど、今や「古典」といわれる様々なロケットシステムを考案し[4]、200件以上の特許を取得[5]しました。現在もこれらの考案、基本技術は宇宙エンジニアに継承されています。ゴダードが考案した技術もまた、指名買い状態といえます。
さらにゴダードは、ロケットが月に到達する可能性を公表しました。しかし当時はマスコミを中心に、真空でロケットが飛ぶという考えは嘲笑の的になりました。液体燃料ロケットの価値は、彼が1945年に亡くなるまで理解されなかったのです。しかし、1969年にアポロ11号が月面着陸に成功すると、ゴダードの予測を嘲笑していたニューヨークタイムズ(1920年1月20日)はその記事を撤回、謝罪しました[6](実現により新たな思想へ「共感」)。
ゴダードの残した思想「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。」は、次世代の若者たちに夢やワクワク感を抱かせ、今でも宇宙飛行士や宇宙エンジニアなどに語り継がれています[4]。その情熱とともに、彼の確立したロケットの基本構造は現在の宇宙市場にも脈々とつながっています。
【SF小説界のビッグスリー】アーサー・C・クラーク(1917-2008)
宇宙開発のソートリーダーというと、ツィオルコフスキーやゴダードのような科学者や技術者を想起しますが、彼らの思想(ソート)がSF作家や映画監督に影響を与えたように、SF作家の思想もまた宇宙科学者・技術者に影響を与えてきました。
例えば、ゴダードが宇宙開発に興味をもったきっかけは、H・G・ウェルズのSF小説『宇宙戦争』です。火星人が地球を攻めてくるというワクワクするストーリーにゴダードは胸をときめかせ、火星に行ける装置を考えるようになりました[7]。
実際の宇宙機の設計に寄与したSF作家も少なくありません。その1人がSF作家のアーサー・C・クラークです。彼は、アイザック・アシモフらとSF小説界のビッグスリーとして活躍し、SF小説『2001年宇宙の旅』や『幼年期の終わり』は、日本でもベストセラーになっています。
アーサー・C・クラークの最大の科学的貢献といわれているのが、静止衛星による電気通信リレーの論文(アイデアの言語化)です[8]。赤道上空36,000kmに衛星を3つ配置すると、グローバル通信網が実現できるとクラークは考えました。その後、1964年に最初の静止通信衛星が打ち上げられ(思想のビジュアル化)、米国で東京オリンピック中継を実現し、現在でも世界のあらゆる地域で音声通信、テレビ放送に利用されています(新しい市場の創出)。
また、SF小説『楽園の泉』では、静止軌道上の衛星と赤道上の1点をケーブルで結ぶという宇宙エレベーター構想を描きました。宇宙エレベーター構想そのものは、1895年発行のツィオルコフスキーの書籍で初めて描かれましたが、このSF小説(ナラティブ化)を契機に広く知れ渡り、様々な科学者を触発して宇宙エレベーター構想が研究されるようになりました[9]。現在、日本においても大林組などを中心にこの新しい宇宙事業の創出に向けて研究開発が進められています。
ほかにもクラークは、小惑星の衝突から地球を守る防衛プロジェクト(『宇宙のランデヴー』)や、原子力宇宙船(『宇宙への序曲』)など、先駆的なアイデア・思想をナラティブ化し、様々な宇宙開発計画に影響を与えています[10]。まだ実現していないものもありますが、今後も、クラークが残したワクワクするアイデア、ソートは次世代の科学者、エンジニアを刺激し続け、新しい宇宙市場を創出していくでしょう。
【日本の宇宙開発の父】糸川英夫(1912-1999)
これまで海外の宇宙開発ソートリーダーについて見てきましたが、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれているのが糸川英夫です。
戦後の日本はGHQから様々な研究が禁止されていましたが、1950年にサンフランシスコ講和条約が調印されると、航空機の研究もできるようになりました。当時、東京大学教授の糸川は、早速アメリカに行くと「アメリカではすでに宇宙を目標に航空研究も進んでいる。日本もこれをやらにゃいかん」と、太平洋を20分で横断するAVSA構想(Avionics and Supersonic Aerodynamics)を打ち出しました(思想の言語化)。
この構想は非現実的とも思える内容でしたが、多くの日本人をワクワクさせ、1955年には正月の新聞に「ロケット旅客機 20分で太平洋横断」と大々的に掲載され、日本中から期待が集まるようになりました。さらに、1955年4月には日本初のロケット実験であるペンシルロケット(全長23cm)の発射試験に成功します[11]。
すると、新聞によるナラティブ化の効果もあり、国からロケット予算を獲得。糸川の構想は日本中を巻き込み、いよいよ日本でも本格的なロケット開発が始まるようになりました。ペンシルロケットの小さな機体には、日本人の大きな期待が詰まっていたのです。
日本がついに人工衛星を打ち上げるという段階になると、糸川は射場候補地選びに奔走し、東側に海が開き、自転速度の速い南側に位置する内之浦(鹿児島県)を選びました。
ロケットの打ち上げは爆音や地域の一次産業への影響から、住民から反対されるケースが少なくありません。しかしこの場合は、糸川のワクワクする構想から夢と「共感」を得た地元住民と、一心同体となって射場開発が進められました。その時に内之浦婦人会から受け取った折り鶴の短冊は、JAXA内之浦科学館に今でも展示されています[14]。
糸川は、日本初の衛星「おおすみ」打ち上げに1966年から挑戦しますが2度失敗し、1967年に退官を迎えます。それでも後輩らは糸川の「人生で大切なのは失敗の歴史である。」という哲学を継いで、1970年に5度目の挑戦でついに打ち上げ成功。日本は米・露・仏に次ぎ、世界で4番目に宇宙へ人工衛星を打ち上げた国となりました。ちなみに糸川への敬意から探査機「はやぶさ」が訪れた小惑星には「イトカワ」と命名されています。
ツィオルコフスキーに始まる、ワクワクする宇宙への未来構想、それを言語化・ナラティブ化したソートが時空を超えて、人から人へと伝わり、人類は地球を離れて、小惑星にまでたどり着きました。イーロン・マスクも、国際都市を30分で移動するロケット旅客構想を打ち出すなど、糸川のAVSV構想が実現する日も遠くないでしょう。
さて、彼ら宇宙開発の先駆者たちの足跡を、改めて私たちIISEの考えるソートリーダーシップの定義に当てはめなおすと、次のようになります。
そして、先駆者たちのソートは今や、科学界にとどまらずビジネス界にも波及しています。
大きな宇宙ビジネスの波が押し寄せ、企業によるロケット開発、月面着陸など民間主体の宇宙事業が拡大・発展しています。民間事業においても、火星居住を目指すようなワクワクするソートが人々を惹きつけ「共感」を呼び、新しい宇宙市場を創造しているのです。
詳しくは、「宇宙開発ソートリーダー列伝 ~ビジネス編~」で見ていきましょう。
文:IISEソートリーダーシップ推進部 佐野 智
企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)
引用・参考文献
[1]Konstantin Tsiolkovsky - The father of astronautics and rocket dynamics.Doi:10.2514/6.2002-312
[2] New Space, Vol.5, No.2
[3] Dr. Robert H. Goddard, American Rocketry Pioneer - NASA (Accessed September 9, 2024)
[4] Biographie de Robert H. Goddard, scientifique américain des fusées (Accessed September 9, 2024)
[5] NASA Celebrating 90 Years: Robert Goddard’s Rocket and the Launch of Spaceflight - NASA (Accessed September 9, 2024)
[6] 宇宙飛行士の山崎直子さんによる特別オンライン授業が実施されました!クラーク宇宙教育プロジェクトの一環で開催 | クラーク記念国際高等学校
[7] 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実」-宇宙への道を開いた、ロバート・ゴダード– - SPACE Media(Accessed September 9, 2024)
[8] Wireless World P.305-308, 1945, Can rocket stations give world-wide radio coverage?
[9]『季刊大林』OBAYASHI IDEA No.53 地球と宇宙をつなぐ10万kmのタワー 「宇宙エレベーター」建設構想,大林組プロジェクトチーム(構想),青木 義男(監修)
[10]『科学技術動向』2009年12月号「宇宙開発に於けるイノベーション創出に向けて」,清水 貴史(著)
[11]『生産研究』71巻(2019年)5号P.943-950「生研が育てた日本の宇宙開発」,秋葉 鐐二郎(著)
[12] ペンシルロケットと糸川英夫|国分寺市(Accessed September 9, 2024)
[13] JAXA|的川泰宣~ペンシルロケット物語 日本の宇宙開発の黎明期~(Accessed September 9, 2024)
[14]国産ロケットH3に宿る「ロケットの父」糸川英夫氏の哲学、その原点となった「母の教え」とは | Japan Innovation Review powered by JBpress(Accessed September 9, 2024)