ソートリーダーシップの実践事例【Vol.2】 WELL認証
ビジネスの世界では古今東西、様々な創造的取り組みが為されてきました。後から振り返ると、「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)」の教科書的な事例、ケーススタディといえるものも少なくありません。
様々な事例を、ビジネスの潮流や市場の拡大などの実績から俯瞰的に見つめなおし、学ぶべきところを見つけ出す。現在進行形でソートリーダーシップを企画、推進している私たちのヒントにならないか。こうした思いを込め、ソートリーダーシップの事例やケーススタディを、ビジネスの潮流から読み解いていきます。
「ウェルビーイング」とは何か?
第二回では、建物環境の評価を環境性能から「人のウェルビーイング」に焦点をあて、新たな視点を生み出した「WELL認証」の考え方や世界的な広がりを、ソートリーダーシップの事例として紹介します。
ウェルビーイング(Well-being)という概念が社会的な認知が広がり始めたのは、2010年代に入ったころ。WHOは次のように定義しています。
日本国内では健康経営や働き方改革などもあり、ウェルビーイングに注目した数多くのビジネスや事業が生み出されています。
「WELL認証」とは何か?
WELL認証(WELL Building Standard)はワークプレイスの国際的な設計基準です。2014年にアメリカで発表、開始されました。評価の視点として、その空間で過ごす人々の「健康」や「ウェルネス」に焦点を当てているのが新しい特長です。
ソートリーダーシップを推進する上で参考になりそうな、WELL認証のポイントは以下の3つです。
1 見方を変える再定義
2 みんなが平等に使える納得の制度化
3 ビジネスの広がり
一つひとつ、紐解いていきましょう。
1 見方を変える再定義
まずは、WELL認証よりも先に実施されてきた、LEED認証およびCASBEE(建築物総合環境性能評価)について、説明する必要があります。
LEED(Leadership in Energy & Environmental Design)は環境性能を構造面から評価する国際的な認証制度で、1998年から米国グリーンビルディング協会にて開始されています。米国ではLEED認証取得済のビルはプレミアム化され、高い賃料設定が可能になったり、稼働率が高まったりと、不動産市場での重要な評価軸になっています。
日本国内では国土交通省が支援するCASBEEが有名です。こちらも基本的なコンセプトはLEED認証と類似します。建物やビルそのものを、省エネや環境配慮など構造面から総合的に評価する内容です。
2000年以降、世界中の都市化が加速度的に進んできました。現代を生きる人々の多くは、その全人生の90%を室内で過ごすと言われています。
『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』2012年5月号「幸福の戦略」では、「幸福感の高い社員の創造性は3倍、生産性は31%、売上は37%高い」と言及されるなど、関心の高まるウェルビーイングの文脈を後押しするように、幸福度を高めるための人への投資という新たな潮流も生まれています。
WELL認証はそのような背景のなか、アメリカの不動産企業DELOSのCEOを務めるポール・シャッラ氏(Paul Scialla)により提唱され、2014年のv1から開始。2020年にWELL v2の運用が始まり、2024年6月現在も続いています。
氏が着目したのは、建物や空間を使うのは「人」であるという事実。
「人」がその建物や空間の中で過ごすことにより、いかにウェルビーイングを得られるのかを評価する。これがWELL認証の基本的コンセプトです。
ここではまず未来像として「世界中で都市化が進む未来」、「ウェルビーイングがより重視される未来」を捉えています。そこに、都市生活において「人は建物のなかで90%の時間を過ごす」というファクトを掛け算する。さらに、従来からあるLEED認証などでは見出すことができなかった建物の評価軸を加え、全体として再定義することで、WELL認証のコンセプトが完成する。
筆者はこうしたコンセプトの生み出し方に、ソートを考えていくためのヒントがあるのではないかと考えています。
2 みんなが平等に使える納得の制度化
建物や空間を使う「人」に注目する。この新しいコンセプトにより多くの人が「共感」できるようにするために、エビデンスに基づいた制度化が必要になります。
WELL認証は医師や科学者、各業界の専門家らの共同研究によって検証されたエビデンスに基づき、認証を得るための詳細な評価項目が決められています。具体的には10のコンセプト、24の必須項目と91の加点項⽬があります。
↓コンセプトと評価項目の詳細は、以下のページをご覧ください。
建物や空間を使う「人」に注目するとは、どういうことでしょうか。もう少しはっきりとイメージを持ってもらうために、WELL認証における独特な視点の一部を紹介します。
「独特な視点」とは例えば、次のようなことです。
・自然光を一定以上取り入れられる、採光デザインの導入
・「サーカディアンリズム照明」の設置
・人間工学に基づいて設計された、椅子や机などの配置
・飲料水の品質確保や、ウォーターサーバーの設置
・自然とのつながりやアクセスの確保、バイオフィリックデザインの導入
・自動販売機の飲料の「糖質量」もチェック
あるWELL認証取得の建物を筆者が訪問した時、自動販売機にミネラルウォーターやお茶が数多く並ぶのを見て「ああなるほど、そういうことか」と、実感した記憶があります。このようにWELL認証は徹底的に、建物を使う「人」の「ウェルビーイング」に焦点を当てて評価されます。
認証制度ですから、認証するプロフェッショナルや専門家も必要です。WELL認証は世界中に公認コンサルタントが存在します。公認コンサルタントは認証を取得するための助言や評価をするだけではなく、WELL認証の意義や重要性も説明します。一人ひとりがWELL認証の考え方を伝える重要な役割を担っています。
個人としてのソートリーダーが前面に出て、強く引っ張っていくというより、WELL認証の「認証制度そのもの」と「コンセプト」がソートリーダーのような役回りとなり、公認コンサルタントの一人ひとりもソートリーダーの役割の一端を担っているようにみえます。こうした形は、個人のソートリーダーが生まれにくい日本企業としても参考になりそうです。
3 ビジネスの広がり
一般社団法人グリーンビルディングジャパン(GBJ)の調査によると、WELL認証件数は日本でも右肩上がりで伸び続けています。
日本でもここまで注目を集める理由は、ESGやSDGs、ウェルビーイングを重視する潮流があったからだけではありません。
WELL認証の「仕組み」を振り返れば、一目瞭然です。ステークホルダーがWELL認証に対応した建物を通じて何を得られるか、改めて整理してみましょう。
・建物の中で働く従業員は、ウェルビーイングを獲得できます。
・ビルに入居する企業は、従業員の労働生産性が向上し、健康経営を推進できます。
・建物の所有者は、物件の資産価値や賃料がプレミアム化し、物件の稼働率が上がります。
・建物の企画・設計会社(ゼネコン・設計事務所など)は、共通のエビデンスに基づいてデザインを設計できます。
・ウェルビーイングを実現するための(=WELL認証に対応した)照明や椅子、机などの開発や販売など、関連ビジネスも新たに生まれます。
・公認コンサルタントなど、新たに直接的な役割が生まれます。
ステークホルダー、みんなが喜ぶ。そこに新たな市場が生まれる。WELL認証は非常によくできた構造であることがわかります。この構造そのものが「共感」を生み、より多くのステークホルダーを引き付けていきます。
ソートリーダーシップの視点で見ると、いかにして「共感」を生むかが大きなテーマになります。そのヒントはステークホルダーが喜ぶ仕組みであるかどうか、であるといえそうです。当たり前過ぎて見落としがちですが、きれいなビジョンや言葉を発信する「だけ」では、「共感」は生まれにくいということを忘れずにしておきたいです。
構造面に加えて、「人」中心へ
ウェルビーイング、働く人の労働生産性、メンタルヘルスなど、社会のテーマや社会課題に目を向ける。そして建築の評価そのものに対し、従来からある「環境性能を構造面から評価する」に加えて「建物や空間を使うのは『人』であり、その使う『人』がウェルビーイングになっているかどうかを評価する」と、新たなコンセプトを加える。環境にいいだけでは足りない。人にいいだけでも足りない。両方を満たすことで、建物の評価が全方位で完成する。
現在、従来からのLEED認証とWELL認証の同時取得を目指すケースが増え続けています。
そして、こういうことも言えます。「良いソート」が、「共感」を得るのではありません。「共感」を得たソートが「良いソート」である、と。
より詳しく、ソートリーダーシップの意義や進め方、プロセスなどに興味をお持ちの方は、以下の記事もお読みいただけると幸いです。
今回はここまで。
また次回。
文:IISEソートリーダーシップHub 鈴木 章太郎
企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、塩谷公規、石垣亜純)
引用・参考文献
「WELL Building Standard」のコンセプトと概要(Green Building Japan)
コラム:止まらない世界の「都市化」、エネルギー消費急増に懸念(ロイター)
WELL(ヴォンエルフ Woonerf Inc.)
『バイオフィリア:人間と生物の絆』エドワード・O. ウィルソン 著、狩野 秀之 訳