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「地域をこうしたい」ではなく「こんなことをやったら面白い」が出発点 ~対談・プロジェクトデザイナー、umari 古田代表×IISE 藤沢理事長

自社の考え(ソート)を社会に広く発信し、共感する仲間を集めて実現を目指す「ソートリーダーシップ(Thought Leadership)活動」。これを体現している企業の経営層やキーパーソンの方々との対談を通じて、「ソートリーダーシップ活動」のヒントを探っています。
第11回のお相手は、プロジェクトデザイナーでumari代表の古田秘馬氏。香川県三豊市では5年間で40社、100件近くのプロジェクトが立ち上がっています。その盛り上がりを支える一員でもあり、取り組みに注目が集まっています。地元メンバーや三豊市に飛び込んでくる若者は、なぜ古田氏のもとに集まり「やりたいこと」を具現化できるのか。自らのソートをメンバーや地域に浸透させていく、チームやコミュニティのつくり方について伺いました。


「新しいことをつくるのが好き」、これが大前提

藤沢 東京六本木で生まれ育って、雑誌社の立ち上げや、ニューヨークで人工知能の会社を設立したり、その後、東京に戻って丸の内朝大学や六本木農園などさまざまなプロジェクトを手掛けられてきました。今なぜ、地方創生に力を注がれているのですか。
 
古田 都市や地域という観点ではなく、「新しいことをつくるのが好き」だから、というのが大前提です。若い頃、地域の人が地方から都市に向かったのは、例えば唸り声と激しいドラムのデスメタルをやっていますと言っても誰も理解してくれないし、そもそも演奏できる場所も機会もなかったからです。都市には新しいことにチャレンジできる余白がありました。余白とは、可能性のことです。

umari 代表取締役 古田 秘馬 氏

今は、都市で勝負しようとしても30坪で家賃が100万円もかかると、いろいろな実験はもうできないですよね。umariの本社がある香川県三豊市なら、30坪家賃1万円で借りられます。僕らが取り組んでいる「新しい社会インフラづくり」は中長期的なプロジェクトとなるため、都市で続けるのはまず費用面で難しいのです。
 
藤沢 今のお話はとても説得力があります。ただ、素朴な質問ではありますが、なぜ社会インフラという時間のかかるテーマで新しいことを取り組みたくなったのですか。

IISE 理事長 藤沢 久美

古田 それは僕の年齢が大きく関わっていると思います。30代は、ヒットするコンテンツづくりに力を注いでいました。僕にとってコンテンツづくりの面白さは、コンセプトをかたちにすることにあります。僕が手掛けた「丸の内朝大学」は、「朝の時間を変える」というのがコンセプトです。通勤ラッシュを回避するために朝早く出よう、ということは誰でも言えます。切り口を変えて、朝早く行きたくなる仕組みとして「朝大学」というコンテンツにしました。そういうことを考えるのが好きなのです。
 
▼「朝時間の自分磨き」という学びの機会を提供する「丸の内朝大学」。開校以来、学びの仲間とのコミュニティを育成し、新しい価値を生み出すことのできる場へと広がっていった

藤沢 例えば「朝の時間を変える」というコンセプトがあれば、それをただ提示するだけでなく、十分に内容を理解してもらうために「朝大学」という具体的なアイデアも一緒に提示する、ということでしょうか。
 
古田 僕がいつも思っているのは、コンセプトとアイデアは一体として捉えるべきものだということです。コンセプトとは、「なぜやるのか」。例えば、子供の笑顔があふれる、まちをつくりたいというのはコンセプトです。それを実現するためにはアイデアが必要となります。地域活性化を考える場合、ご当地グルメやグランピングなどアイデアはいっぱいあります。でもコンセプトがないと、思いつきで終わってしまいます。コンセプトを具現化し、その場所でしかできないものをつくることが大事です。
 
藤沢 古田さんの「丸の内朝大学」や「六本木農園(※)」といったコンテンツは、社会課題解決というよりも、「楽しいことをやろうよ」といった側面が強いように思います。

※六本木農園…古田氏プロデュースによる、「農業の魅力を発信し、全国の生産者を元気にしたい」という思いのもと、都会の中心で営業していた(2015年にクローズ)白壁の一軒家を丸ごと利用した「農業実験レストラン」

古田 満員電車も、乗っている人が全員大好きな芸能人だったら進んで乗る人も多いと思います。解決すべき問題の本質は、満員電車の「満員」ではなく、思わず行きたくなるような「朝」や「まち」をつくるということ。そこが「丸の内朝大学」の出発点でした。
 
藤沢 「本質を捉える」ということは、私たちが発信しているソートリーダーシップにおいても、まさにコアとなる要素です。古田さんは、どのようにして本質を見る力を養ってきたのですか。
 
古田 僕が子供の頃、父親が外資系の会社に勤めていて、母親がアメリカ大使館で働いていたこともあって、六本木の実家で毎晩パーティーをやっていました。パーティーに来たさまざまな国籍の違う子供たちを楽しませるのが僕の役目で。どうやったらいいかと、いろんなことを考えていましたね。その経験が「本質的な問題は何か」を考えるベースになっていると思います。
 
藤沢 ヒットするコンテンツをつくり続けてきた30代のうちに、何か心の変化があったのですか。
 
古田 コンテンツはある程度浸透するとビジネスになっていきます。「六本木農園」も、最初は「農家のライブハウス」という新しい試みだったのが、実験的要素が薄れて飲食店としての完成度が高くなっていきました。僕は飲食店がやりたいわけではなく、新しい仕組みをつくることが好きなのです。
 
六本木農園をクローズしたのは40歳になった時でした。40代は海外にずっといまして。物も持たず自由に過ごしていたのですが、そこでもやはりコンテンツはつくっていました。50歳を目前にして思ったのは、もっと深掘りして根を張っていろいろやってみたいということ。次のステージを探していた時に出会ったのが、三豊市でした。

5年で40社を設立、80件のプロジェクトが立ち上がる三豊市の勢い

藤沢 地域社会の新しい仕組みづくりに取り組むとき、古田さんの考え方を仲間や地元の人たちに共感してもらうための秘訣はありますか。人は通常、自分の経験の範囲でものを見ますから、ときに古田さんの考え方は突飛に映ることもあるのではないでしょうか。
 
古田 「自分が見てきている世界がすべて」というのはその通りだと思います。だからこそ、いろいろな視点を持つことが大切です。資産運用では、外貨や不動産など複数の資産の形を持つ「アセットアロケーション(資産配分)」という手法があります。それをコミュニティに置き換えて、複数のコミュニティに所属することを「コミュニティアロケーション」と呼んでいます。僕は、コミュニティアロケーションによる多様性が重要だと思っています。

震災が起きた後に、普段は東京で仕事をしつつ、月に1回は被災地にボランティアに行くというのは、コミュニティアロケーションの1つのかたちです。実績や肩書ではないところで関係性を築けることに喜びを感じているボランティアの人も多いのではないでしょうか。
 
藤沢 コミュニティアロケーションの考えを広めることで、古田さんと同じような発想を持つ人を三豊市に連れてくることもできますね。地域の人は、古田さんや外部の人をどのように受け入れているのでしょうか。
 
古田 三豊市の地方創生に向けて、僕を呼んでくれた地元のメンバーはもともと僕と近い考え方や感じ方をする人たちでした。三豊市には、100年続く中小企業もいっぱいあります。4代目、5代目の社長は圧倒的な信頼を得ています。地元に対する思いもすごく熱い。メンバーとは、地域活性化の観点よりも、「自分たちの暮らしを面白くしたい」と語り合うことが多かったですね。僕も楽しくなってしまって、訪問回数も最初は3カ月に1回だったのが、1カ月に1回になり、それが月に3回くらい、呼ばれなくても行くようになって。僕の海外の友だちと一緒に来ることもあって、その時は独自の文化を持つバスク地方に行ってみたいね、みたいに話が盛り上がりました。
 
地域のメンバーとは、いろいろなところに行きましたね。自分たちと違う文化や価値観を持つまちを一緒に見るという経験は、同じ目線でものごとを考えて取り組んでいくうえで重要だったと思います。
 
藤沢 「地域をこうしたい」ではなく、「こんなことをやったら面白い」という思いから始まったのですね。三豊市の地方創生がうまく進んでいる理由の1つになっていると思います。
 
古田 地域の多くの人を巻き込んだオフィシャルなまちづくりの組織をつくって、建物やイベントなど大きなものをやろうとすると、会議ばかりで何も動かないケースも多いと思います。僕らは、小さなものをつくることから始めます。トレーニングでも見栄えのいい大胸筋から鍛えがちですけれど、大事なのは「インナーマッスル」です。怪我をしにくい、しなやかな筋肉を身に付けること。地方創生においてインナーマッスルの役割を果たすのが、コミュニティや小さなビジネスだと思っています。
 
この5年で三豊市では40社近くの新しい会社が設立され、80件以上のプロジェクトが立ち上がってきました。中には、24歳の若者が交通会社の社長だったりします。「みんな自由にどんどんやって」というスタンスです。
 
藤沢 「みんなで自由にやっていこう」という時に、共通の約束事やルールは何かあるのでしょうか。

古田 地域に既にあるものではなく、ないものを自分たちでつくるというのがポイントの1つではありますね。
 
藤沢 小さなビジネスや仲間が増えていくきっかけとなる、転換点は何かありましたか。
 
古田 讃岐うどん文化を伝える宿「UDON HOUSE」の成功体験は大きかったと思います。ハラカナ(原田佳南子氏、瀬戸内ワークス代表取締役)が、前職の楽天・地域振興事業部から三豊市に飛び込んできて立ち上げました。田園に囲まれた古民家で讃岐うどんについて学び、味わう体験を通じて三豊市の魅力を知ってほしい、という思いが込められた事業です。
 
彼女の成功により、自分たちでもできると地域のメンバーが自信を持てたことで勢いがついたと感じています。飲み会も頻繁にやりました。自然発生的に「これをやりたい」というものを挙げていくプレゼン大会が始まって、「本当にやってみようよ」と。1個1個、積み重ねていきました。
 
▼「UDON HOUSE」の成功体験は、メンバーが自分たちで新しいビジネスをつくることへの自信を持つきっかけに

藤沢 「UDON HOUSE」が、外から三豊市に飛び込んできたハラカナさんが立ち上げて成功させたモデルだとしたら、内から、すなわち地元メンバーによる成功モデルは何かありますか。
 
古田 コーヒースタンド「宗一郎珈琲」は、地元の唯一のスーパーの3代目の宗一郎(オーナー・今川宗一郎氏)が立ち上げました、最初、地元メンバーが話していたのは、有名カフェチェーンに来てほしいということでした。僕から見ると、有名チェーンが来た瞬間から、自分たちで新しいものをつくるというマインドが持てなくなってしまいます。そんな話をして「宗一郎の名前でコーヒースタンドをやろう」となりました。日本のウユニ塩湖と称される父母ヶ浜海岸沿いで営業しています。
 
▼地元メンバーの今川宗一郎氏が立ち上げたコーヒースタンド「宗一郎珈琲」

僕らのプロジェクトはすべてオリジナルです。自分たちでつくるというマインドを大切にしています。マインドを守るために、地価を上げない活動にも取り組んでいます。地価が上がると今の都市と同じように、余白がなくなるからです。すると三豊市における地方創生の快進撃が止まってしまいます。
 
藤沢 地方創生では外部人材の活用がポイントとなります。特に若者に来てほしいと思っている地域はたくさんあると思います。三豊市に飛び込んでくる人をサポートする体制や仕組みはありますか。
 
古田 年齢に関わらず三豊市で事業を立ち上げたい人を支援する、ベーシックインフラハウスをつくりました。週3日3時間農業を手伝うと住まい、食料、移動など生活するために必要なものを無料で提供します。さらに仕事も紹介します。大学生の男子が1人、古着屋を作りたいと所持金800円で飛び込んできました。今は5つの仕事を受けていて、「あと半年でお店を出せます」と話しています。

藤沢 人手がほしい地元と三豊市に飛び込んできたい人をうまくマッチングするというのは、まさにコミュニティデザインだと思います。
 
古田 新しいコミュニティづくりとして、シニアの暮らしをお手伝いする「まごころサポート」という事業も始めました。介護保険の適用範囲になっていない、ごみ捨てや草刈りなどはケアマネージャーがボランティアでやっているのが現状です。ケアマネージャーでなくてもできる作業を切り出してサポートするのが「まごころサポート」です。これが今とても人気になっています。パートタイムで地元の人同士で助け合ったり、三豊市に飛び込んできた人も仕事を受けることができます。地元のお年寄りと仲良くなるのは、地元に溶け込むことにもつながると思います。
 
(ここで古田氏がドアの向こう側に視線を向けて、声をかける)
古田 ハヤテ、今少し時間ある?
 
「暮らしの交通」代表 田島颯(はやて)  もう出ないといけないけど、少しなら大丈夫です。
 
古田 三豊市に飛び込んできた若者の1人です。僕から見えていない、地域に飛び込んできた若者の言葉も聞いていただくと、客観的な視点も加わると思います。
 
田島 私は元々東京出身で、3年前に三豊市に移住しました。地域の中で、送迎できない家庭の子供が教育の機会を失う状況がある中、みんなで交通会社をつくろうということで、オンデマンド交通サービスを運営する「暮らしの交通」を立ち上げました。まちでシェア(相乗り)する、定額乗り放題が特徴です。

暮らしの交通 代表取締役 田島 颯 氏

▼田島氏が三豊市に移住して3年で設立した「暮らしの交通」は、オンデマンド交通サービスによる自由な移動で、心躍る体験と出会う機会を増やしていく

藤沢 古田さんが三豊市でさまざまなプロジェクトを動かすことができた理由は何だと思いますか。
 
田島 地元のメンバーは、秘馬さんのことを「真っ赤なペリー」と呼んでいます。赤い服を着ていることが多いのと「黒船のペリー」が由来です。それほど衝撃があったということです。でも、秘馬さんがいたからできたことではあるけれど、僕らがいたからできたことでもあると、メンバーはみんな言いますね。あと、「覚悟の決め方」を習っているという話もよく出てきます。
 
飲み会の場で「こういうことをやりたい」と言ったことが実現するケースが秘馬さんといるとよくありますが、これは稀有なことだと思います。秘馬さんは期限と手段をセットで考えることで、「やる」という覚悟を決めているのだろうと、みんなで話しています。
 
古田 最近では、「ペリー来航」ではなくて「ペリー定住」と言われています。僕を本気にさせたのは地元のメンバーです。今は、飛び込んできた若者たちが僕のエネルギー源ですね。
 
田島 三豊市に行くまで、秘馬さんのことは知りませんでした。それなのに気づいたらずっと一緒にいる感じです。
 
藤沢 三豊市に着々と、「真っ赤な“ミニ”ペリー」が育っているわけですね。

人に責任を押し付けない、「無・責任」という覚悟

藤沢 新規ビジネスではリスクと隣り合わせです。特に資金調達はハードルが高いと思います。そこはどのようにクリアしているのですか。
 
古田 僕は、リスクの正体を理解することが大事だと考えています。地域とつながる一棟貸し宿泊施設「URASIMA VILLAGE」を立ち上げた時は、地域の事業者からの出資と、僕が保証人になって銀行から借りたお金が原資となっています。仮にホテルとしてうまくいかなくても、不動産として売却することで銀行からの借入金は返済できます。
 
「URASIMA VILLAGE」で、投資を回収するイクジット・モデル「ローカルIPOプロジェクト」を進めています。「URASIMA VILLAGE」の建物をオフバランスする形で自分たちで作ったファンドに売却をして再度建物を借り受け、運営を自分たちで行います。資金回収したお金で地域診療のための病院や、高齢者の食堂とビジネスホテルの複合型施設をつくろうと思っています。
 
藤沢 ソートリーダーシップの取り組みで思うのは、お金がまわることの大切さです。ボランティアではなく、ビジネスとして持続可能にすることが重要になります。

古田 投資に対する配当はお金だけではないという視点も大切です。「URASIMA VILLAGE」に出資してくれた地元の会社に対し、「URASIMA VILLAGE」から建設や飲食などの業務を委託しています。実際にその売上で資金回収はできています。つまり、地域に新しい事業をつくることが重要だと思います。
 
また「URASIMA VILLAGE」のファンドへのオフバランスの取り組みでは、大手企業が出資するという話が進んでいます。小さなビジネスという微生物で土壌を肥やしていくと、大手企業や自治体の目に留まります。大事なのは、大手企業が価値に気づくまで、ローカルで事業を育てていくということです。
 
藤沢 最後に、企業がソートリーダーシップや新しいことをやろうした時に大切なことは何か。古田さんのお考えをお聞かせいただけますか。
 
古田 僕から見ると、多くの企業は組織論に行き過ぎてしまい、個の裁量が無くなっていると思います。個としても決断できる組織づくりができれば、新しいことにも取り組みやすくなります。個の能力を上手に生かすことで、企業としてのエネルギーも生まれます。経済行為としての企業は組織ですが、チームの観点では個の決断が重要になります。イノベーションという言葉に踊らされる必要はなく、個の裁量で新しいものをつくれるという観点は大切だと思います。
 
藤沢 ソートリーダーシップも1人の突出したリーダーを求めることより、仲間が集まることでソートの輪を広げていくことが大切になります。古田さんとメンバーの関係やチームづくりは、ソートリーダーシップの理想的なかたちの1つといえると思います。
 
古田 1人のリーダーシップに頼らないということですね。局面ごとにリーダーは変わります。僕らのいうリーダーは、リードする人ではなく最終責任者としての存在です。三豊市のプロジェクトがうまくいっている理由をよく聞かれるのですが、圧倒的にコミュニケーション量が多いということは言えると思います。物理的にも近くて、いつも面と向かって話しています。
 
藤沢 企業も社会もリアルな信頼関係づくりがすべてのベースになると私も思います。古田さんとお話をしていて、小さなことを積み重ねてインナーマッスルを鍛えないと文化を改革することはできないと感じました。
 
古田 僕はいつも「無・責任な仕事」をしましょうと話しています。誰かに言われてする仕事は、「言われたからやった」と最終的に責任を押し付けることができます。自分がやりたいことは、「無・責任」です。責任は無いけれど、颯が言っていたように覚悟が求められます。
 
藤沢 これまでにない考えを普及していくソートリーダーシップも、「無・責任」の覚悟を持つことが大切になりますね。古田さん、楽しくて示唆に富むたくさんのお話を、ありがとうございました。

<対談を終えて>

「コンセプトとアイデア」から小さなビジネス、コミュニティデザイン、チームづくりまで、古田さんのお話は多岐にわたり、ヒントになる言葉の宝庫でした。
言葉の力の大切さも感じました。「昔の都市には新しいことにチャレンジする余白(可能性)があった」「コミュニティアロケーションの多様性が重要」という独特の表現は、聞いた人に多くのことを考えさせます。また、いかに人と違う見方をするか。通勤ラッシュの解決において、問題の本質は満員電車の満員ではなく、朝の時間を変えること。思わず行きたくなるような朝やまちをつくるという発想は、新たなソートをつくる観点でもとても参考になります。
地方創生のソートリーダーシップといえる古田さん。なぜ、5年間で80件ものプロジェクトを動かすことができたのか。田島さんが「秘馬さんがいたからできたことではあるけれど、僕らがいたからできたことでもあると、メンバーはみんな言っています」と話すのを聞いて、なるほどと納得しました。田島さんを対談の場に迎えいれた時の古田さんの楽しそうな表情には、人を惹きつける自然な吸引力があります。誰かに言われたからではなく、自分がやりたくて取り組む仕事には、責任は無い「無・責任」だからこそ覚悟が必要という指摘には、ソートリーダーシップの本質があると思いました。

藤沢 久美
大学卒業後、国内外の投資運用会社勤務を経て1995年、日本初の投資信託評価会社を起業。1999年、同社を世界的格付け会社スタンダード&プアーズに売却。2000年、シンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。2013年~2022年3月まで同代表。2022年4月より現職。
https://kumifujisawa.jp/

企画・制作・編集:IISEソートリーダーシップHub(藤沢久美、鈴木章太郎、榛葉幸哉、石垣亜純)

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