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月面コモンズが拓く人類の未来

はじめに

前号では、国際宇宙ステーションの運用がコモンズ成功の原則に合致し、国際協力のもと数10年にわたり平和に運用されていることや、宇宙食コモンズや水コモンズの宇宙飛行士との関わりについて見てきました。今回は、それらを参考にしつつ、月面コモンズの持続可能な利用について、その可能性を探っていきます。

月面産業の盛り上がり

人類が再び月を目指す時代がやってきました。1969年のアポロ11号月面着陸から50年以上が経ち、米国主導のアルテミス計画などで再び人類が月面に戻ろうとしています [1]。1990年代に月面に水の可能性が発見され、2018年には月に氷が存在する証拠が初めて見つかりました [2]。水は飲み水や水耕栽培だけでなく、酸素と水に変えればロケットの燃料などにも利用できます。また、月には、大量のレアメタルのほか、核融合に使うヘリウム3などの資源の可能性が確認されています。これらを活用することで、月面居住や火星への中継基地という構想も出ています。

アルテミス計画 イメージ図 Credit:NASA

重力がある月面環境は、そこが得意なニュースペース企業 [3]も参入し、日本でも自動車業界や建設業界、プラント業界など多くの企業が月面ビジネスに参入しています。米国では、ムーン・エクスプレスという月の氷を発掘するベンチャー企業まで生まれています。

宇宙条約と月面資源

月面の利用が広がる中、新たなガバナンスの課題も浮上しています。宇宙条約(1967年発効)により、「天体を含む宇宙空間は、いずれの国家も領有権を主張することはできない」と規定されています。しかし、月面資源の所有には言及がなく、その権利の主張には解釈の余地があります。また、「天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、全人類に認められる。」と規定しています [4]。
 
月面では、氷や太陽光が得られる場所は限られるため、探査目的で水と太陽光の両方が得られる稀有な地域を占有することが起こりえます [5]。米国主導のアルテミス計画とは別に、中国とロシアは月面有人宇宙ステーションの建設を計画し、2026年から2045年にかけて長期的な有人活動を行う計画です [6]。さらに2024年6月には中国の月面探査機が月の裏側に着陸し、世界で初めて月の裏の資源を地球に持ち帰りしました [7]。
 
このような国家間の競争の激化を受けて、国連・宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)では、宇宙資源探査に関する規則の策定に向けた検討が行われています。2021年には作業部会が設置され、5年間かけて議論が行われることになりました [8]。

宇宙空間平和利用委員会の様子 Credit:UN photo

コモンズとしての月面資源

月の資源は、誰のものでもない共有の財産、まさにコモンズです。コモンズ論でノーベル経済学賞を受賞したオストロムは、「森林や川などの伝統的コモンズに比べて、海洋や南極などのグローバル・コモンズは巨大であるが、伝統的コモンズを参考にできる。」「コモンズの成功の裏には、いずれも極めて深く幅広いコミュニケーションがあり、その失敗例も含めて参考にすることが成功のカギとなる」と指摘します [9]。

例えば、海洋の囲い込みは、古くはスペインとポルトガルの大西洋と太平洋を分割する条約(1494年、1529年)から始まり、現在は国際海洋法条約(UNCLOS、1982年)でほぼ全世界を対象として平和利用の原則が規定されています。ただ、EEZ(排他的経済水域)の範囲は国家間で重複することがあり、紛争解決が難しい事象もあります。これは、オストロムの成功原則①「範囲が明確」⑥「簡易な紛争解決方法」を満たしていないことによります。

このように海洋や南極におけるコモンズ運用の成功・失敗例を分析することや、オストロムのコモンズ成功原則(表1)と照らすことも月面コモンズの可能性探索につながります。国際協力による平和な運営という点では、コモンズとしての国際宇宙ステーションの運用(前号参照)も参考になるでしょう。

月面コモンズの平和な利用に向けても、ステークホルダーとの深く幅広い協議のもと、宇宙条約との整合性を図りながら、拘束力のある国際規則を策定することが必要です。日本は、米国、ルクセンブルク、UAEに続いて、宇宙資源法を2021年に成立させ、民間企業による天体で採取した資源の所有権を認めています。日本の民間企業による月面着陸も進めており、宇宙資源、月面コモンズに関する議論、ルールメイキングをオールジャパンで国際的に先導していきたいところです。

月面居住におけるコモンズ

月面産業ビジョン協議会は、2040年に月面居住1000人というビジョンを掲げています[10]。月面居住が始まると様々な月面コモンズが生まれるでしょう。成功しているコモンズは、「政府」か「民間」かどちらかではなく、双方の特性をもつ「自主的組織」で地域の特性にあわせて柔軟に運用されています(こちら参照)。このようなコモンズの運営方法は、月面コモンズにも重要な示唆を与えます。

 月面に新たな社会が構築されると、月面でのコモンズは、水、レゴリス、ヘリウム3などの鉱物系資源だけでなく、栽培植物や培養肉、月面で生まれ育った人たちが受ける教育や医療など、様々な新しいコモンズが生まれます。例えば、月面では水が貴重な資源ですから、国際宇宙ステーションの水のように浄水処理して繰り返し使われ、宇宙飛行士が言うように「今日の尿は明日のコーヒー」になります。体内にある尿は自分のもの(私有)ですが、対外に出た尿はみんなのもの(コモンズ)です。植物栽培や培養肉にかかる労働負担と得られる権利のバランスなどのルールも必要になるでしょう。

月面コモンズの運営においては、地球の水コモンズ、農業コモンズ、教育コモンズなどの成功例や失敗例を参考にしながら、月面の特性にあわせて、柔軟で自主的な運営方式をとることが大切です。月面での、水や食を大切にするコンセプト(ソート)やテクノロジーは、地球の新しい生活、ビジネスにもつながります。例えば、月面という土壌・水の限られた環境での食糧生産テクノロジーや浄水テクノロジーは、地球における食糧不足や環境問題の解決に繋がります。

宇宙を考えることは地球を考えること

宇宙に目を向けると、地球の未来を考えるヒントがあります。月面都市の建設は、資源が限られた環境での空間設計、エネルギーシステム、経済システム、社会システムの検討を迫られます。ローバーなどのモビリティや、水・エネルギーの効率的な利用も課題です。これらの課題に取り組むことで、資源やエネルギーがひっ迫する地上の都市問題の解決、新しいスマートシティの計画、新しいビジネスやサービスの創出につながるかもしれません。さらには新しい資本主義や民主主義のヒントも生まれるかもしれません。
 
アインシュタインは、「我々の直面する課題は、その課題を作ったときと同じ思考では、解決できない。」と言います。地球レベルの課題を考えるとき、一歩引いて、宇宙レベルの視座を得ることで、解決できることもあります。

宇宙コモンズを考えることは、地上コモンズを再考するきっかけになります。地上では、水や土地、空気などの共有資源をほとんど無制限に使え、枯渇・汚染などの危機に直面しています。しかし、資源が限られた宇宙での生活、社会を考えることは、地球上でのサステナブルでウェルビーイングな生活へのヒントを与えてくれます。宇宙を考えることは、地球の未来を考えること。宇宙コモンズを考えることは、地球上での新しい生活、新しいビジネス、そして新しい社会の在り方を考えることになります。これからも、人類の未来を開く宇宙コモンズを探っていきます。宇宙コモンズのルネッサンスを目指して。

文:IISEソートリーダーシップ推進部 佐野智
JAXAに長年勤務し社会課題解決に向けた新規宇宙事業創出に尽力。内閣府(衛星を利用した社会実装プログラムを推進)を経て現職。博士(理学)。

参考文献

[1] M. Smith et al., “The Artemis Program: An overview of NASA’s activities to return humans to the moon”, IEEE Aerospace Conference, 2020.
[2] S. Li et al., “Direct evidence of surface exposed water ice in the lunar polar regions”, PNAS, 2018, 115(36), 8907-8912
[3] D. Paikowsky, “What is new space? The changing ecosystem of global activity”, New space, 2017, Vol.5, No.2
[4] Treaty on Principles Governing the Activities of States in the Exploration and Use of Outer Space, including the Moon and Other Celestial Bodies, United Nations, 1967 Oct. 10.
[5] M. Elvis,” The Peaks of Eternal Light: a Near-term Property Issue on the Moon”, arXiv, 2016 Aug 2
[6] Space News, 2021 Apr 26  Early ILRS outline (accessed on 2024 Sep 13)
[7] L. Yangting, et al., “Return to the Moon: New perspectives on lunar exploration”, Science Bulletin, 2024, 2136-2148.
[8] A/AC.105/L.322.Add.6, Proposal on the mandate, terms of reference, and workplan and methods of work for the working group established under the Legal Subcommittee agenda item entitled “General exchange of views on potential legal models for activities in the exploration, exploitation and utilization of space resources”
[9] E. Ostrom, et. Al., 1999, “Revisiting the Commons: Local Lessons, Global Challenges”, Science, Vol284, No.5412, 278-282
[10] 月面産業ビジョン -Planet 6.0の時代に向けて-,令和3年7月, 月面産業ビジョン協議会