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4thスタァライブ "Starry Ocean"感想

1/2~1/3に開催された「少女☆歌劇 レヴュースタァライト 4thスタァライブ "Starry Ocean"」のDay1に現地参加し、Day2の昼公演を配信で観た。本稿では、その中でも特に印象的であった「大海原のレヴュー」についての話を中心に、感想を綴る。


「大海原のレヴュー」について

率直な感想を言ってしまえば、現地では、『復讐の剣』〜『wi(l)d-screen baroque』の部分は面白かったが、『わがままハイウェイ』〜『星のダイアローグ』の4曲は面白がれなかった、となる。もちろん、全曲楽しくはあった。これまでに見てきたレヴューたちが、殺陣とともに目の前で繰り広げられている様子は非常に壮観だったし、様々に工夫を凝らした意表をつくような演出には何度も驚かされた。一方で、特に「恨みのレヴュー」「魂のレヴュー」については、ファンコミュニティの中で一般的になっている「印象的なセリフ」を無理に反復しているような印象が強く、あまりに「見知ったもの」としての側面が強かったのではないかと感じる。

「渇望」〜「魂」の5つのレヴューは、過去に華恋たちが演じてきた過去のレヴューを「再生産」するものとして位置付けられてきた。実際、そのような特徴を見出すことも可能であっただろう。その中身は、以下のツイートに詳しい。

つまり、自分自身のものとして一人称的な振る舞いをしていた作中でのレヴューを、三人称的な視点にも目配せしながら観客に「魅せる」ものとして演じ直すことによって、前進するにあたって必要な「糧」「燃料」を過去に見出す作業が、5つの「演じ直し」だということであろう。こうした「再生産」の捉え方は、以下の記事に端的に表れているといえよう。

すなわち、TV版におけるななのように、過去への憧憬に基づいてそれを反復することを目的に行う「再演」は停滞の原因としてネガティブに描かれているのに対して、TV版における華恋や劇場版における華恋たちのように、過去を再解釈することによって新しいモチーフを見出す営みである「再生産」は、 ポジティブに描かれている、というのである。

このような発想を踏まえると、確かに「大海原のレヴュー」は「再生産」を行っていたと言いうるであろう。では、そこで私が「楽しめなかった」と感じたまさにその理由はなんなのか。それは、私がその中に「新しいもの」を見出すことがなかった、ということを意味しているのではないか。以下の記事が示す通り、「恨みのレヴュー」と「魂のレヴュー」は、すでに観客がその中に含み込まれているということができる。

そのような感覚があったからか、あるいは『劇場版』のセリフが「とうに馴染んで」いたからなのか、はたまた演じ直しとして変奏された文脈の中にもとのセリフがあっていないからか、引用されたセリフたちが陳腐なものであるように感じられて、あまり面白いと感じられなかった。

はじめ、この「面白くなさ」の原因を、「再演」の欲望を「再生産」によって粉飾していることに求めていた。すなわち、「もう一度あのレヴューが見たい」という、「キラめきに目を灼かれた」ことによる欲望を、「もう一度あのレヴューを見ることによって「再生産」をしたい」という一見響きの良い理屈を付けることによって、正当化しているように映っていたから、「面白くなく」感じたのであろう、と結論づけていた。

こうした議論において前提とされているのは、「再演」は停滞の兆候であり、「再生産」は前進の萌芽である、という枠組みである。前者が悪しきものとして、後者が善いものとして位置づけられている。このような枠組みのもとで、「悪しき」欲望を「善なる」理屈によって上書きをしているから、「面白くない」と捉えたのであろう、という議論である。このような感覚は妥当に感じられる一方で、必ずしも正しくないと考えられるだろう。「再生産」は、「再演」の欲望によって成り立っていると言えるからである。

「再生産」を行うには、頭の中であれ、現実世界においてであれ、再解釈しようとするそのものごとを反復することが必要となる。現象レベルで見ると、それは「再演」と大差のないものである。ここで「再演」との差異が存在するとすれば、それは動機の差異によって説明されることになるが、その動機、すなわち「過去を繰り返すため」と「新しいものを見つけるため」は、多くの場合混在している。いやむしろ、「過去を繰り返すため」に行われた反復が、結果として「新しいものを見つけ」たとき、「再生産」したことになるのではないか。その反復が「再演」にあるか「再生産」になるかはあらかじめ決まっているわけではなく、非常に偶発的な要因によって決まるものなのではないか。

その傍証として、「再演」に対する欲望それ自体は、作中でネガティブなものとして描かれていないことが挙げられる。TV版におけるななの「再演」に対する欲望は、9話において「全部持っていってあげて」と肯定されるし、劇場版「狩りのレヴュー」における「やっぱり、眩しい」という憧憬も、それを否応ないものとして肯定するような態度が取られている。また、『私たちはもう舞台の上』の歌詞「君の言葉あれば いつだって戻れるよあのページ」も、そのような欲望を肯定しつつ、それでも前進を進めることへの覚悟を歌った歌詞である。

そして、その「再演」に対する欲望というのは、我々も有しているものである。その表れの最たるものが、まさに、4thスタァライブ "Starry Ocean"での熱狂である。目の前でレヴューが見られるというまさにそのことの喜び、何度も見返し耳にしていたあの曲が披露されることの喜びが、その欲望の存在を明らかにしている。そして、そのような欲望に動機づけられた「再演」から、これまでは見えていなかった何かを見つけ出すことができた時、その「再演」は「再生産」であったことになる。これはあらかじめ決められているものではなく、文脈依存的であり偶発的な現象である。そのような構造に気づく契機となったという点でも、今回の参加は実りあるものになったと感じている。



パフォーマンスなどについての感想

はじめのセトリが非常に良かった。「舞台少女とは何か」を端的に提示する『舞台少女心得』から始まって、舞台に上がることのポジティブな側面に焦点を当てる『舞台に恋して』/『素敵なドレス着させてよ』という流れは、「新たな一歩」を迎えるライブとして、非常に綺麗なスタートだったと思う。『舞台に恋して』は舞台の上に上げる歌だと解釈していたが、「舞台裏」的な演出がなされていたのは興味深い。

『舞台少女心得』で中央の階段に佐藤さんが座っているパートに、なんとも言えない良さを感じた。

『復讐の剣』における佐藤さんと小泉さんの低音が非常に良かった。また、Cメロの岩田さんの表情も最高だった。

『LIFE IS LIKE A VOYAGE』における舵輪の使い方が非常に良かった。DAY1は若干持て余しているように(遠目からは)見えたが、配信でDAY2を見ると非常に世界観に沿った使われ方がされていてかっこよかった。

『星のダイアローグ』2番のフリが非常に良かった。「歯車が回り始めたら二度と止まらない」「季節は躊躇いをおいて進む」が、「Show must go on」的な勢いではなく、非常に重みを伴った切実な事実として受け止められるようになった、という解釈をしている。



(記事に関して、思うところや新たな着想などあれば遠慮なく筆者(@nebou_June)にお聞かせください。)


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