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【戦争なんてクソ喰らえ】Comme des Garcons Homme Plus 25AW
はろーこんにちは。
takiです。
今回はパリコレクション25AWで発表されたコムデギャルソンオムプリュス25AWコレクションについて述べていきます。
コムデギャルソンというブランドは「問い」を提示してくる。
そう、私は思っている。
他のブランドはテーマがあってそのテーマに対する「答え」を提示してくるのに対して、ギャルソンだけはテーマに対する「問い」を求めてくる。
現代においてファッションは、単なる衣服の領域を超え、政治や社会問題を語る場へとシフトしている。その中でも、川久保玲が手掛けるCOMME des GARÇONS HOMME PLUSは、常に時代への鋭い視線をファッションに投影してきた。
その半分かそれ以上が戦争やテロに対する疑問、存在意義の提示だ。
2025年秋冬コレクション「TO HELL WITH WAR」は、その最たる例と言える。
今回のコレクションは、戦争というテーマを取り上げた。
それもド真ん中火の玉ストレートで、だ。
解体と再構築という手法を通じ、戦争と人間の理性がもたらした「発展」の闇を問い直すこの試みは、単なる服作りの枠を超えた哲学的な挑戦を以て、戦争が内包する矛盾と暴力性を象徴する衣服を断片化し、再び縫い合わせることで新しい意味を創り出している。
ギャルソンの特徴(特にオムプリュス)は、服そのものが持つ物語性にある。
今回のコレクションでは、「断片」がキーワードとなる。
世界大戦時、あるいはその直後の詩や文学、芸術において、断片的な表現が多用されるようになった。
たとえば、ダダイズムという芸術思想は、理性が引き起こした暴力に対する人類の応答として、理性を真っ向から否定することで、断片化した表現を示している。
こうした歴史的な文脈を取り込みながら、戦争という巨大な暴力装置の中で破壊された個人性や多様性を再び浮かび上がらせる。
ショート丈に切り取られたサファリジャケットや、左右非対称に縫い合わされたテーラードジャケット、反り返った革靴は、戦争が粉々にした「人間性」を象徴している。
これらの衣服は、完成された「全体」として存在せず、解体と再構築のプロセスそのものが作品となっている。
それらを踏まえてルックを見ていく。
ルック1から。
軍服を燕尾服のナポレオンジャケットに魔改造したルック。
頭には実際にイギリス軍で使われていたヘルメットに花を添えた形に。
そしてそこからエクステが伸びている。
極端なテーパードパンツに90度に折れ曲がったブーツという下半身の構成。
これらは戦死者に対しての追悼の意とも平和の象徴を示しているとも、ブーツは戦争に行く兵士への足止めとも受け取れる。
既に失くしてしまったものへの敬意も戦争という存在そのものに対してのアンチテーゼもルックをぱっと見ただけで伝わってくる。
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ここまで説得力と明解度の高いルックもどこのブランドを探しても珍しい。
思い起こせば、たとえばテーラリングとは、すぐれた理性を体現する衣服であるといえる。
19世紀半ば、つまり近代のヨーロッパでその原型が固まったとされるテーラリングは、装飾性を削ぎ落とし、色調を抑制することで、純粋な造形を確固たる構築性で追求するものであった。
このように、ドレスに見られるような華やぎを捨象し、身体の理想的なフォルムを具現化する点において、テーラリングはすぐれて理性的な造形である
テーラード、あるいは軍服という理性の象徴が今期のベースになっている。
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ルック4も同様にナポレオンジャケットとターバンで覆ったヘッドピース、極端なテーパードパンツ、90度に折れ曲がったブーツという構成。
服という戦争に必要なものから衣食住の中で最も必要性からかけ離れた存在で戦争という存在意義を真っ向から否定する非常にメッセージ性の強いコレクションである。
ナポレオンジャケットを彷彿とさせるフロントストラップや、肩章を彷彿とさせるショルダーパーツをあしらったジャケットも今までに述べた全てを見出すことができる。
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裂け目が施されては断片へと解体され、再びモンタージュされることを経て、1着の衣服として構築される。サファリジャケットはショート丈にカットオフし、その下には艶かしい質感のファブリックを組み合わせる。
アシンメトリックに解体し、幾分斜めに歪めたうえで左右の一方だけを残し、もう一方にテーラードジャケットの断片を合わせる。
オープンカラーのジャケットの上に異なるジャケットをレイヤリングする。
色とりどりのファブリックをパッチワークすることで、1着のジャケットを紡ぎあげる。
あるいはボトムスに目を向ければ、カーゴパンツなどを解体し、ポケットといったディテールを残しつつもシルエットを消し去り、大きく広がるスカートへと仕立て直している。
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色彩も豊かだ。
これは戦争時に使われた大砲の煙によって敵味方がわからなくなるというところから派手な色の軍服が使用されていたという歴史から紐付いているものだと思われるが、基盤としつつ、その配色を再構築している。基本的には、カーキやブラウンをはじめ、ミリタリーウェアを特徴付けるアースカラーが数多く見られる。その一方で、赤、青、黄、あるいは緑と、ヴィヴィッドなファブリックの断片は、パッチワークとして1着の衣服を織りなす。
こうした色彩の歩みに目を向けつつ、それらを断片化し、互いに異なる色彩を激しいせめぎ合いの裡に置いているといえる。
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ここからWWD JAPANの記事を一部引用する。
20世紀前半を生きた批評家ヴァルター・ベンヤミンは、画家パウル・クレーが描いた「新しい天使」という天使の姿に寄せた言葉を残している。翼を広げ、大きく見開いた眼を過去という廃墟に向ける、その天使。彼は、「進歩」という強風に翼をはらまれ、抗いがたく押し流される。けれども天使は、どうにか廃墟に留まり、破壊されたものを寄せあつめて組みたてようとする。
この言葉を借りて今回のコレクションを統括するならば、砕かれた断片をかき集め、ある種、人類が「進歩」を遂げたキッカケとなった戦争という存在に対してそれは絶対悪であり、絶対悪を美しいとする思想への否定を表現しているし、私自身もそして全世界の人類も否定したいし、否定しなければならないのである。
戦争なんてクソ喰らえ。
それをコムデギャルソン、あるいは川久保玲はドストレートに提言し、我々を試しているのである。