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私と音楽1

小さい頃から歌うことが大好きだった。
戦後の物がない時代に、両親は楽譜の載った歌の本を買ってきて、家族四人で片っ端から歌ったことを覚えている。
2階建ての公務員宿舎の一室、六畳一間で暮らしていた。もちろんピアノなんてない。雑誌の付録の紙鍵盤を弾いていた。学校に行くと音楽の先生がピアノを教えてくれた。
やがてオルガンを買って貰い、それでバイエルから練習した。
仕事から帰った父は、私に弾いてみろと言う。一つでも間違うと
「もういい、やめろ」と怒られた。
父自身もバイエルを独学で練習していた。
自他共に厳しかったけど、大変な勉強家で努力家だった。

東京郊外に両親が家を建てて引っ越した。
敷地が30坪という小さな家だけど、よく工夫されていたっけ。
そこでも転校した学校の音楽の先生がピアノを教えてくれた。
オルガンを弾いているとその癖が抜けなくなる、と言われたけど仕方ない。
それにピアニストになるわけではないし・・・

高校2年の終わりに、ピアノを買ってくれることになった。
兄の進学用に借りたお金が浮いたので、それで買ってくれるという。
住んでいた国立には国立音大直営の楽器店があり、そこの倉庫で好きな一台を選ぶことができた。機種は同じでも一台一台感触が異なるので、実際に触れて選ぶなんて貴重な経験だった。

音大を受験する友人に紹介して貰って、コールユーブンゲンを習いに行っていた。また、母がパートに出ていた通信教育のNHK学園本校の音楽の先生が声楽を教えてくれた。楽しい先生だった。

大学は音楽か国語か迷って、国語学を選んだ。もともと本が大好きで詞を書いたり童話を書いたりもしていた。なぜ文学ではなく国語学かというと、日本語の音韻やアクセントに興味があったから。
「はし」でもアクセントの違いで別の言葉になる。またその後に続く助詞でまた変化する。とても興味深かった。

大学の研究室では、音声記号に従って発声したり、録音した物を逆回しして音声記号の確認をしたり、これもとても面白かった。
このころの経験は歌うときにも役に立っている。


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