立ち返り

noteを始めた日のことを思い出した。
原動力は「その時の感情を忘れたくない」ってだけだった。その残る或る感情がどんなものであるかは一切に気にしない。今、見返せば腐ってる言葉でも、熟成され旨味を増してる文にもなってるかもしれない。どうだっていい。思い出すことが出来るだけでいい。

それがいつの間にかくだらない鬱屈とした日々の掃き溜めに落ちぶれていた。そんな場所じゃ無かったはずなのに。ほかのコミュニティが増えてきたからこそ、楽しさもある程度の悲しさも、その場に合う感情から順にその場で消費されてしまって、ただ残る誰にも見せることの出来ないようなどうだっていい臭い何かが残っていた。
バンドマンにでもなれると高を括った僕は、それさえも栄養だと言って、味だと言って保存と言う名目で、無責任にも吐き出していた。
そんなことをしてるうちに、noteからは離れてしまった。「こんなことしたかったわけじゃない」

それでもたまーに戻ってくる。
それはあの時が輝かしかったから。
受験と言う最大の山場を登っている最中の、苦しみ、もがき、諦めている僕の言葉は美しいかの審議は必要のないものだ。甲本ヒロトみたいな素敵な感性で言えば、ドブネズミみたいな美しさがあった。その頃に戻れるとは思わない。

最近知り合った友達が僕と同じようにnoteを更新してたことがあったらしい。その友達と思い出話が盛り上がって最近は生活の手札に今一度noteが潜んでる。

今一度、今の忘れたくないと言う儚く可愛げのある感情についての話をしようと思う。

最近の変化と言えば、煙草を吸い始めたこと。
あんまり人目のあるところで吸いたくは無い。人前で吸ってると公言することもしたくない。ここでだってそれはそうだ。肯定的に捉えてもらうと困る。

どうしようもないストレスで始めたと言えば、収まりがいい。それに加えて煙草を吸わせようとしてきた友達が身近にいたことが一番の理由だ。僕はどうしようも無いほどに意思が弱い男だ。自らに課した約束を無事に果たしたことはほぼないと言える。そんな人間がいずれかにくる「禁煙」を達成出来る気がしない。だから、始めたくなかった。

日々の溜まるストレスの器に溢れる前の1滴が、その友達の前で落とされたから、僕は始まった。
思った通りに抵抗感は無くて好きな味がした。
おじいちゃんが大好きだった僕は、タバコ臭いおじいちゃんの匂いを「思い出の匂い」「安心する匂い」とこの鼻腔で記録している。

最初は煙草始めたて特有の酩酊感がたまらなく好きだった。お酒を飲んで泥酔している時みたい。現実についてピントが合わなくて、ふわふわしているような感覚。見たくもない現実が勝手にピントをずらしてくれる。

そんな心地いい不安感は煙草に慣れてしまったのか居なくなってしまった。残るのは吸うと言う幼稚な習慣。単品で楽しめなくなったからこそ、要素を増やして嗜んでいる。普段はつけない両耳にイヤホンを付けて吸った。「街中の音が聞こえないと不安じゃん」と言う理由で、片方のイヤホンしか付けない。ヘッドホンなんて以ての外だ。だから、両耳にイヤホンを付けて味わう耳の圧迫感や、何も聞こえない生活の音とか、それがどこか不安感と言えるような気がしてとてもいい。選曲も重要だ。元気づけるような明るい曲でも、「死にたい」とボヤく鬱屈とした曲も嫌だ。LoFiみたいな、ゆるりとトラック数の多い曲が適している。普段は味わえない音の裏側まで隅々聴こえてくるようで、心地いい。
それ以外にも煙草を吸いながら本を読んだりしている。右手の中指と人差し指の間にタバコを挟み、それ以外の指で器用に本を持つ、捲る。体育座りみたいな格好で地面に腰を降ろし、煙草の灰がふくらはぎに落ちてこないように、端正に灰を落とす。でも、それは単純に今の夏の残骸みたいな温度の外と小さい夜中の生活音で本を読むことに味を占めてるだけ。
極めつけはnoteだ。
1本吸うだけの時間で書こうとアプリを開くが、結局か想いが加速して、二本目、三本目と火をつけている。今日だってそうだ。昔は寝れないからnoteを少し書いて眠りにつく日々だった。それが最近では1本の煙草に変わって、習慣が合流して、吸いながら書いて眠るに落ち着いた。


そんなことをつらつらと述べながら、忘れたくもない想いを残そうとしたが、外で呼吸をするのにも飽きて、布団に潜った。
翌朝には忘れたくない気持ちを少し忘れてしまった。2400文字近く残して置いたものが翌朝になれば半分は消えてて、存在意義すら無くなったnoteが続いてる。その時の気持ちは今は言語化出来ない。

思い出せる文は、今回の恋はいい終わり方をしようと心に決めているってだけ。その思いを胸に躍動してたが(LINEの文面上のみ)それも終わりが見えてきた。
自分の好意を分かりやすいように提示してきたつもりだ。小さい言動もそうだが、顕著なのは彼女の空港から帰ってくる時に、お迎えに行ったことである。「迎えに来てくれるの?」なんて甘い言葉をくれるのなら、僕はどこへだって行ってしまう。傍から見れば、それは僕の好意のむき出しらしい。誘ってくれたから言ったってだけなのに。そんなわかりやすい行為をしたからこそ、あちらにはバレバレなのだと思う。幸いにもあちらは数多の経験を積んできてる歴戦の猛者だ。僕のちっぽけな好意など見え透いているはずだ。
だから、今度は遊びに誘った。単純に遊びに誘ってるってだけだ。会いたいし。デートじゃない。

「飲みでも、どっか行くでもいい。行きたい店も行きたい場所もあるんだ。」

「なんで、私なの?」

「やだ?もっと話したいし」

「デートならNOかも」

僕の剥き出しの好意を出てきたこの恋は終わりかもしれない。相手から拒絶されることを僕は嫌う。でも、これまでの結末は全て拒絶されて来ている。それは全て僕由来の拒絶だ。その上で僕はつらつらと思い出して、好きになって被害者ズラをすることが大の得意だ。振られても、二度と会うことがなくなっても、僕はまだ好きでいると。

最後の返信が今朝に返ってきた。
寝る前に書いていたnoteには、彼女へ対する想いを書いていた。「今回は大丈夫」だとか、「今回はしっかり終わらせる」など、等々。結果、少しはみ出た未来が目に見えただけで、僕の心は折れてしまいそうになっている。

どうしてくれようか。
叶うと臨んでいた今回でさえも、散ってしまったら、どうしたものか。
何よりも僕が悲しいのは、純粋に好いていた時のここに書き残していたあの幼気な感情までも消えてしまったことだ。それが無くなってしまったからこそ、僕は今ろくに羅針盤もなくつらつらと歩いている。昨日書き残した気持ちの中に、今の僕を奮い立たせるひとつの言葉があったのかもしれない。