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東日本大震災と原発事故から10年

今週の木曜日、私たちは東日本大震災と原発事故から10年を迎えます。10年を迎えるにあたり、皆さんも改めて当時のことを思い起こしていらっしゃることと思います。

震災が起こった当時、私は東京にいました。
ですので津波被害を直接経験したわけではなく、原発事故による避難を経験したわけでもありません。
2013年に現在私が牧師をしている岩手県花巻市の教会に赴任してから、いろんな方からお話を伺い、震災について教えていただきながら、少しずつ自分なりに理解を深めてきました。

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この度の原発事故が起こるまで私は原発の問題性や危険性について、一切考えたことがありませんでした。東京で生活し、東京電力の電気を消費していたにも関わらず、福島で稼働している原発について、その問題性について、考えたこともありませんでした。

無知であった自分、無関心であった自分を恥じる思いはありましたが、自分が真に変わるきっかけとなったのは、震災から3年後の2014年に福島を訪ねたことが大きかったと思います。
2014年6月に福島県の会津若松市でキリスト教団体主催の研修会が行われ、そこで原発事故の困難の中を生きる方々の声を聴く機会が与えられたのです。福島を訪問したのも、それが初めてのことでした。

原発事故により想像を絶する困難を強いられた方々のお話を伺いながら、私は自分の心が、奥深くから強く揺り動かされてゆくのを感じました。自分の無知や無関心を思い知らされたということもありましたが、それ以上の、何か根本的な変化が自らの内で起こり始めているのを感じました。
キリスト教では「回心」という言葉がありますが、この福島での経験は、私にとってある種の「回心」の経験と呼べるようなものとなりました。以来、私の中で聖書の読み方自体も変わってゆきました。

そうして、原発事故と放射能問題に関して、自分にできること・なすべきことをしてゆきたいと考えるようになりました。

若枝


自分にできることは何だろうと自問自答する中で、「文章を書くこと」が自分にできることの一つだと思うようになり、作品の構想を練り始めました。
そのような中で出来上がっていったのが、このnoteでも掲載している小説『ネアンデルタールの朝』です。この小説では原発事故を経験した福島の浜通りの青年を主人公にしています。困難や痛みの中を生きる人々の想いを少しでも汲み取ることができればと願いつつ、文章を書き進めてゆきました。


原発事故という未曽有の出来事を物語にするにあたって、主人公の想いを受け止める「器」が必要であると感じていました。事故によって深く傷いた主人公たちの心をそのままに受け止めてくれる、大きな「器」が必要である、と。

これまでは宗教が、その「器」としての重要な役割を果たしてきたことでしょう。けれども今回の作品において、私は「新しい器」を構築したいと思いました。
そのための「器」として選んだのが、私がこれまで十数年間あたため続けてきた「ネアンデルタールの朝」です。ネアンデルタール人をはじめとする初期人類の世界認識が、主人公たちの存在を受け止める「新しい器」になるのではないかと思い、その視点を軸として作品を書き進めてゆきました。

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ご関心がありましたら、ぜひ小説の方も読んでいただければ幸いです。

原発と放射能問題を巡って、現在も大変な状況が私たちを取り巻いています。10年を区切りとするのではなく、10年の区切りを過ぎたその後も、たとえ微力であっても自分なりにできることをしてゆきたいと願っています。

原発事故による避難を直接経験したわけではない自分が声を上げることにためらいを覚える瞬間もありますが、原発事故と放射能問題は私たち日本に生きるすべての者が「当事者」であり、それぞれの仕方で向かい合ってゆくべき大切な課題であると受け止めています。

どうか原発事故の悲劇が二度と繰り返されることのないように。一人ひとりのかけがえのない生命と尊厳が、これ以上、傷つけられることがありませんように……。


小説『ネアンデルタールの朝』は以下のリンクをご参照ください。


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