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「小さな痛み」と思えるものでも

昨日3月11日、私たちは東日本大震災と原発事故から10年を迎えました。皆さんも改めて、この10年の歩みを振り返っておられたことと思います。

震災が起きた当時、私は東京で生活をしていました。
津波による被害を受けたわけではなく、原発事故による避難を経験したわけでもありません。
私は私なりに苦労は経験しましたが、自分が経験した苦労や辛さは直接被災した方々に比べると「ささいなもの」だと感じてきました。
被災された方々のその大変な困難や苦しみを、私は想像することしかできません。

痛みは本来、比較することができないもの――。私は普段はそのように考えています。と同時に、知らず知らずの内に自分の痛みと人の痛みを比較してしまっている自分もいます。


あの人の大変さに比べれば……

私は2013年より、岩手県の内陸部に位置する花巻市で生活をしています。

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(胡四王山から見える花巻市の町並み。中央に流れる川は北上川です)

岩手での生活を通して、同じ岩手県でも沿岸部と内陸部とでは震災に対して認識にかなりの相違があることを知らされました。
内陸部で生活している方々ももちろん、震災当時、大変な経験をされたことでしょう。しかし内陸部に暮らす多くの方は、「沿岸部の人々に比べると自分たちの被害は大したことはない」「経験した苦しみは大したことではない」と認識しているようです。
「津波によって被災した人々に比べれば……」と、辛い気持ちをグッと胸の奥に押し込めてきた人がたくさんいる。そうして、胸の内にある想いを言葉にすることをせず、語ることもほとんどしてこなかった方がたくさんいらっしゃるように感じています。

岩手での生活を通して、津波による被害を直接経験していない方々の心のケアも重要な課題であることを知らされました。震災によって心に深い傷を受けているにも関わらず、それがかえりみられず、見逃されたままになってしまっている方もいるのです。これは今後も引き続き向かい合うべき、大切な課題であると思っています。


取るに足らない痛みはない

東日本大震災と原発事故は非常に広範囲に影響を及ぼした(及ぼし続けている)出来事です。日本で生活していた人で、何も影響を受けなかった人はいないことでしょう。
震災直後、テレビ流される津波の映像を繰り返し観ることによって心身に深刻な不調をきたした方々もたくさんいらっしゃると伺っています。
たとえ距離は離れていても、私たちは心に深い傷を受けることがあるのだと思います。
しかし、「被災地の方々の大変さに比べれば、自分の痛みなんて大したことない」――そのように受け止めて、この10年、自分の想いを言葉にしてこなかった方も数多くいらっしゃるのではないかと思います。
語られることなく、言葉にされることもなかった無数の痛みや想いが、いまも多くの人の心の戸棚にしまい込まれたままになっているのではないでしょうか。

経験した事柄の規模の相違は確かにあるでしょう。
しかし、取るに足らない痛みというのは本来、存在しないのだと思います。
たとえ私たちの目には「小さな痛み」だと思えるものでも、かえりみられる必要のない痛みは存在しない。

またそして、本人が「小さな痛み」だと思っているものでも、その「小さな痛み」が積み重なってゆくことによって、私たちの心身に深刻な影響をもたらすこともあるでしょう。

これは災害が起こった非常時だけではなく、私たちの日常の生活においても同様のことが言えます。
置かれている状況を人と比較し、「あの人に比べれば大したことない」とみなして、自分の辛い気持ちをかえりみないでいることも多々あるのではないでしょうか。
たとえ自分の目には「小さな痛み」であると思えるものでも、丁寧に向かい合ってゆきたいものです。

若枝

これからの10年は

これからの10年は、震災と原発事故に関して、それぞれが自分なりの経験を語ることができる10年になればいいと思っています。あのとき感じた痛みを、あのときから抱いてきた様々な想いを、改めて言葉にすることができればいい。言葉にして、互いに伝えあってゆくことができればいいな、と思っています。
他の人の経験に比べたら、「小さなもの」「ささやかなもの」であるように思えても。
自分の(小さな)経験を物語るその営みが、この度の震災と原発事故を風化させないことにもつながってゆくのではないでしょうか。
またそしてそれが、次なる災害への防災意識を高めることにもつながってゆくでしょう。

昨日は震災と原発事故に関するたくさんの報道に触れる中で、幾分自分の心の容量がオーバー気味になってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。幾分疲れを覚えてしまった方もいらっしゃることでしょう。
自分の経験を言葉にするのは、ゆっくりでよいのだと思っています。これから、ゆっくりと時間をかけて、それぞれが自分の経験を――痛みも悲しみも、そして喜びも――少しずつ、言葉にしてゆくことができればと思います。



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