もう「プロ/アマ論」は飽きた
時代の流れは固定概念を容赦なく破壊し、新たな現実を我々の前に突きつけています。特に、プロ/アマチュアの間の境界は我々の予想を遥かに超えるスピードでその輪郭を失いつつある。この背後にあるのはもちろんインターネットとSNS。YouTube動画はその最たる例で、そこではプロ作品とアマ作品の区別なくただ一つの基準、「大衆の評価」が全てを支配している。
岡田斗司夫という人物がいます。アニメのプロデューサーであり(GAINAXの設立者)、社会学者でも思想家でもない彼は、2011年に「評価経済社会」という概念を提唱し、この到来を予言していました。他の多くの知識人がわりと漠然としたポピュリズム時代の到来を語る中、岡田氏の主張はその具体性と精確さで際立っていました。例えば思想家の東浩紀さんなども著書「動物化するポストモダン」で、大きな物語の消失とキャラクターの前面化を語っています。これもまた、権威の失墜と超ポピュリズム社会の到来を予言していたと言えますが、岡田氏の言は、彼が学者でないが故に、却ってより具体的で解像度の高い未来(つまり身も蓋もない未来)を映し出していたように思います。
現実既に、この評価経済社会の影響は広範囲に及んでいます。例えば、お笑いエンタメは素人の作る面白い動画によって侵食され、プロの芸人よりも稼ぐ素人の動画制作者は既に大勢います。英語教育では、正規の教師よりも言語系YouTuberが人気を博していますし、芥川賞作家よりもKindle電子書籍で稼ぐ、アマチュア作家も大勢います。投資大手のファンドマネージャーより、また音楽でもメジャーアーティストよりも、YouTuberがより多くの支持を集めることは多々あります。政治においてすら、アカデミックな権威よりSNSインフルエンサーの方が実社会に影響力を持ち、場合によっては実際に政治を動かしてしまうことすらあります。
このように、プロとアマチュアの境界が曖昧になる現代において、早期にこの変化を察知した者もいれば、未だに現実を把握できていない者もいます。多くの人々は「こうあるべき」という固定観念に囚われており、この新しい社会の構造を受け入れることに苦悶しているように見えます(そもそも、私自身もそうです)。この変化を受容できたのはごく近年のことで、かなり遅かった。それは自分がある専門領域のプロである、というプライドが邪魔をしていたのだろうと思います。
是非は置き、我々は既にプロとアマの境界が消失する時代に突入しており、この変化に適応することが求められています。もちろん適応せずに過去の資産を食い潰しながら生き残っていける人もいるでしょうし、また、適応せずには生き抜けないものの、プライドが邪魔し、ただただ社会の現状を呪い続ける人もいるでしょう。だがそういった人もそのスタンスを完遂すれば、孤高のポジションを獲得できるかもしれません(もちろんかなり困難な道と思う)。いずれにせよ、本来どうある"べき"かということと、現実、どうなっていくかということは別で、それは理想への諦めを強要するものでもないけれど、我々はたかだか100年も生きられない以上、そこ(今)から目を背けることもまた非現実でしょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?