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親父と林檎7

「ちょっと座って話そうや。さとちゃんは何飲む」
マスターはカウンターに入って言った。
俺は何となくドッと疲れてしまったのでしばし言葉が出なかった。
「マティーニでも飲むか。奢るぞ」
マティーニはスパイ映画でおなじみのカクテルの王様だ。マスターが気を使ってくれているのがわかった。
俺がよっぽど湿気た面をしていたのだろう。
「いえ、今アルコール飲んだらガンガンきちゃうんで…ジュースが…」
俺は酒が弱い。疲れている時に飲むと覿面に3秒で酔う。
「ジュースか。せっかくだからプッシーキャットにするか。うまいぞ」
「はい。じゃプッシーキャット」
マスターは楽しそうに用意を始めた。
「かわいい子猫ちゃんか。さとちゃんはいいなあ」
プッシーキャットというのはノンアルコールカクテルだ。
オレンジとパイナップルとグレープフルーツのジュースにグレナデン・シロップを合わせる。
マスターは手早くジュースとシロップを調合し、氷を淹れ鮮やかにシェイカーを振るった。
タンブラーにに「可愛い子猫ちゃん」が注がれる。この一瞬が何よりのご馳走だった。
「さっお疲れさん」
マスターが俺の前にストローをさしたタンブラーをスッと置く。
俺は「いただきます」とストローで中身を吸いこんだ。トロピカルな柑橘とパイナップルな爽やかな甘さ。身体の隅々までほぐれていくような甘さ。キリリと冷えて喉が目覚めた。
「うまいなぁ」俺はホロリと言った。
マスターは自分は水を飲んでいる。
「俺は何より水が1番うまいと最近思うわ。水にも色々あるけどな」
マスターは頭をつるりと撫でた。
さすがに仕事終わりの顔には疲れが滲んで見えた。朝になると酒場の魔法は解ける。空が白々と明ける頃、馬車はかぼちゃに、お姫様はみすぼらしい娘に、夢は無惨な現実に戻ってしまう。
「さとちゃん、親父さんが死んだのっていつだ?」マスターが俺に訊いた。俺はまたプッシーキャットを飲み、記憶を手繰る。
「2ヶ月くらい前でした。いきなり母から電話がきて、親父が死んでたのが見つかったって…」
「死んでたのが見つかったってどういう事?もともと親父さんは行方知れずだったのかい」とマスターが言うので俺は親父は昔から放浪癖があり、一週間くらいいなくなるのザラで、その為母も親父がしばらく帰って来なくても心配しなくなっていたと説明した。
マスターは唸った。
「放浪癖ねぇ…」
「その上、親父はアル中気味で家にいても朝から酒飲んでいたので、まともな会話というのもできない男だったんです」
「まともな会話ができないって、酒乱なのかい?」
「いえ、大人しいんです。へらへら笑っているだけなんです」
「ふぅん…。で仕事はしていない?」
「そうですね。ほとんど母のヒモでした。ヒモというのもおかしいか。正式な夫でしたけど…」
「じゃ何かい。家事とかさとちゃんの世話とは親父さんがしてたのかい?主夫か」
「まあ、俺が幼稚園の頃ぐらいまでは親父はたまに洗濯とか飯なんか作ったりしてましたけど、俺が小学校あがってからはふらっといなくなる事が多くなりましたね」
「じゃ家の事はお袋さんが仕事しながらやってたの」
「いや母はまったくしませんでした。作る飯もクソまずいんです。だから婆ちゃんが俺の面倒みてくれました」
「ああ、すみれさんか。さとちゃんはそれでばあちゃん子なんだな」
マスターはなるほどというように頷いた。

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