親父と林檎14
馴染みの商店街を歩く。
俺は母の家に行く前に八百屋に寄った。
店先にカゴ盛りの林檎が並んでいた。
4個で200円だった。キズありとあったが安い。赤い林檎。
10年前、俺が風邪の時、親父はこの店で林檎を求めたのだろう。
おばさんが膝に猫を抱いて店番をしている昔からある店だ。
キズありの野菜を激安で売っているので近くの飲食店や外国人留学生に人気がある。
店の中の冷蔵庫コーナーには自家製のぬか漬けや浅漬けが並んでいた。
糠のついたきゅうりが3本パックされている。それで100円。
俺はきゅうりのぬか漬けを手に取り、それも買った。俺はガキの頃この店のぬか漬けが好きだった。
「はい、まいど」
1000円札を出すとおばさんがおつりを手渡してくれた。
膝のブチ猫がちらりと俺を見やった。
俺は「ねこ…」と撫でようと手をのばすと猫はふいっとそっぽを向いた。
「無愛想でねぇ。タマちゃんは」
おばさんが笑って言った。
タマちゃんにつれなくれた俺は林檎とぬか漬けの入ったビニール袋をぶら下げで母の家まで歩いた。
玄関をガラッと開けると目の間に母が立っていた。俺は思わず「うおおっ」と声を上げた。びびった。
「なんだよ、おどかすなよ」
俺はドキドキしながら母に抗議した。
「立って待ってたのかよ」
俺を迎えた母は、目が血走っていた。
「聡」
いつになく真に迫った声で言った。
俺は玄関で靴をはいたまま、母の顔をじっと見てしまった。
化粧をしていたが目の下にどす黒いクマがあり、なかなかのやつれっぷりだった。
おまけに口紅をつけていないので口唇が白っぽく死人みたいだった。
「墓場のババアみてぇな顔になってるぞ」
俺は思わず言った。
その途端母の手が飛んできた。
「いてっ」母は俺をひっぱたくとぷんぷん怒り出した。
「あんたは口を開けば、ろっくな事いわないんだから、憎たらしいガキだよ」
母の襟のたるんで色あせたTシャツの下はノーブラなのか乳房と乳首が浮いて見えた。
「あんた、息子が来るんだってわかってるんだからもうちょっとマシな身なりをしようよ。乳首浮いてるぜ」
「どスケベな事抜かすんじゃない。みなきゃいいだろ」
「嫌でも見えるだろ。そこはさ」
俺は母について居間に入った。
いつものしなびた匂いがする。
親父の遺骨は座卓のよこのミニテーブルに載っていた。安っぽい木箱はこけしや壊れた目覚まし時計やガラスの寅などと同じように薄っすらほこりすらかぶっていた。
「親父、まだここにいたんか」
俺は立ち尽くしたまま言った。
「あたし、毎日毎日、店に出てるから、まったく余裕がなくてそのまんまなのよ」
母が座卓の上を片付けながら言った。
灰皿に吸い殻が山盛りになっていた。
「余裕がないって、夫のだろ?仕事は大事だろうけど骨が家にあるってどうなんだよ。やばくない?」
「やばいんだろうけどあたし、ゴタゴタしてでいるうちにさ…」
母はどこか虚空を見ていた。
斜め上の天井あたりを見ているので俺も目をやるとでっかい蜘蛛の巣がホコリまみれで獲物の残骸を張り付けてそこにあった。
俺は母に視線を戻すと母の顔には血の気がなかった。
「忠が出るようになったんだよ」
母はがらんどうのような目で言った。
俺は畳に尻をついてあぐらをかいた。
訳もなくビニール袋から林檎を取り出し座卓に並べた。
「忠が出るんだよ」
母がまた言った。
「親父が出るって?幽霊か」
俺は口がカラカラに渇いていた。今、気がついた。
「喉かわいたな。水…」
「お茶があるよ」
母は台所の冷蔵庫からペットボトルのほうじ茶は出してきてくれた。
「サンキュ」
俺はボトルのフタを開けると飲んだ。
よく冷えたほうじ茶が喉を通っていくと気分がましになった。
「俺が言っただろ。親父がねこまんま食ってたって。本当だったじゃねーか」
俺は力なく言った。
「うん、そうだね」
母の声も暗かった。
本当の通夜のようにふたりとも黙り込んで座っていた。
時計の針のチッチッという音だけが空虚に響いた。
このまま母といつまでも黙り込んでいると地獄の底まで落ち込んでいくような気がした。
俺は何とかしようと口を開いた。
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