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秋(6)

お母さんが幽霊みたいと言ったように青ざめた女の人の顔を見た時、私は掛け軸の幽霊を思い出した。
おじいが箪笥に大事にしまっていた掛け軸の幽霊画。
おじいが何度か見せてくれたあの絵。
白い着物姿の女の人が枯れすすきの中にぼんやりと浮かんでいる。
寂しげな表情で黒髪をまとめて佇んでいる。
その女の人はゾッとするほど綺麗だった。
「これはな、おじいの初恋の人なんだで。お菊、お母さんにはないしょだかんな。お菊にだけ見せてやる。」
おじいが嬉しそうに掛け軸を畳の上に拡げて見せてくれた。
寂しそうな表情の女の人は儚げで今にも消えてしまいそうだった。
相変わらず厨房の方から物音はするがまだうどんはできてこない。
お母さんはセルフサービスの給水器からプラスチックのコップに水を汲んできた。
「菊ちゃん、水。あの女の人まだ天ぷら揚げてるわ。うどんまってる間に味噌おでん食べたかったのにぃ。うどんと一緒に出してくれるのかな。手際悪いわ。普通味噌おでんを先に出してくれるんじゃないの。もう。」
お母さんはお腹が空いているのか機嫌を悪くし始めた。
「お母さん。」
水を飲んでいたお母さんの肩に小さなクモがいた。お母さんは虫が嫌いなので教えたら大騒ぎするかもしれない。
「なあに?菊ちゃん。」
「ううん。何でもない。お腹空いたね。」
「天ぷらうどんと味噌おでんおまたせしました。」女の人がカウンターの受け取り口で呼んだ。秋の空に吸い込まれそうな澄んだ声だった。
「来たわ。うどんよ。」
お母さんはいそいそと受け取り口まで行った。私はその後ろ姿を見た。お母さんの肩から小さなクモが転がり落ちた。
「わあ、天ぷらがこんなに。おいしそおー。いいんですか。これ。」お母さんは受け取り口ででかい声で言った。
「サービスです。今日でこの店閉めますので。」と女の人が言った。
「えー。ここやめちゃうんですか。昔からあったのに、なくなっちゃうなんて。」
「長らくありがとうございました。」

お母さんは天ぷらうどんと味噌おでんののったトレーをテーブルに持ってきた。
「この店今日でやめちゃうんだって。サービスだって。すごい天ぷらたくさんつけてくれたわ。」
ねぎののったかけうどんに別添えで大皿にたくさんの天ぷらが盛り上げてあった。
舞茸、春菊、しめじ、さつまいも、ちくわの磯辺あげ、玉ねぎとにんじんと小海老のかき揚げ。
それにこんにゃくに味噌ダレのたっぷりかかった味噌おでん。
「菊ちゃん。ラッキーだったね。天ぷらおいしいわよ。」
お母さんは割り箸を割るが早いかさっそくさつまいもの天ぷらにかじりついている。
「いもが甘くてホクホク!さっ熱いうちに食べなさい。」
私は何となく厨房の女の人が気になった。
あの人は本当に生きている人なのだろうか。
そんな気さえしてきた。
お母さんはずるずるとすごい音を立ててあっという間にうどんを半分すすり、つゆの中に舞茸の天ぷらを浸してわりわり食べた。
私はお母さんの食べっぷりを見ているだけでお腹がいっぱいになってしまい、うどんを2本づつすすっていた。
確かに天ぷらはおいしい。
でも食べた物がおいしくても喪失感は埋まらない。
おじいはもう天ぷらもうどんも食べられない。
物を食べても自分がまだ生きているという事を思い知らされるだけだ。
お母さんは平気なのだろうか。自分の父親が死んで、もう二度と言葉をかわせない。
私は自分の時間が止まってしまい、自分だけがこの世から取り残された気がするのに、
お母さんはなぜこんなに元気にわりわり物を食べられるのだろう。
お母さんは鈍いのだ。
だから最初から失くしたことにすら気がつかない。
そのお母さんは今度は串にささったこんにゃくの味噌ダレをたらさないよう顔をテーブルに近づけてかじりついている。
無心に物を食べる人間には凄みがあった。
これからもお母さんと暮らしていくことに私はなんだか絶望した。

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