親父と林檎16
「もういや!何もかもあたしもういや!」
そんな事を言われても困る。
「わかったよ」
畳に伏せた母の後頭部には白髪が何本も光って見えた。
母はまだ46歳だ。
24歳で俺を産んだ。俺を引っ叩いてた頃の母なんてまだまだ子供だったのだ。そんな気がした。俺は自分の心がだんだん静かになっていくのを感じた。
「俺が骨預かるよ」
俺は母の頭に向かって言った。
ガバッと顔をあげた母の顔をまじまじと見た。目尻に細かい皺が増え、それでも切れ長の目と通った鼻筋で器量はいい。化粧を塗りたくれば十歳は若く見えるだろう。
これで性格がもっと優しくて毒舌でなければ女としてまだまだモテるはずだ。
だが、言葉に容赦がなさすぎる。
これは致命的だろう。
男という者は無意識にせよ、母性を求めるものだ。母性とはすべてを受け入れ赦す心から成り立つ。母にはそれがまるでなかった。
親父は欠けた心が癒やされぬまま、家庭から離れ、死んだ。相方が悪かったんだよ。
相方というかパートナーだよな。
母もどこか心が欠けているのだろう。
それは親父では埋められなかった。
お互い無いものを相手に求めたのだ。
「聡、いいの?」
母はやっと身を起こすと座り直した。
よれたティーシャツを引っ張って、浮いた乳首を隠そうとしている。
「あたし、着替えてくるわ」
「おう」
どうやら、気分がまともになったらしい。
さっきまでのおかしい感じは失せていた。
結局、俺は親父の遺骨を抱いて帰ってきた。
母はどこからか風呂敷を出してくるとサッサと包んで俺に押し付けた。
もうこれでお前は帰れというように、さっぱりとした顔をして。
俺はため息をついた。
諦めた。
俺は母と向き合うのを諦めた。
いつも、こっちがひどく疲れて終わるのだ。
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